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「言語の脳科学」読了 [読書]

酒井邦嘉著、中公新書。
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文系的なアプローチではなく医学的脳科学的自然科学的アプローチで言語学を考えようという話。これなら僕でもわかるかと思って買った。結果から言うと言語学の難しさを改めて認識した。そして言いたいことが鬱積する本だった。

自然科学的アプローチと言いながらどうも僕には抵抗が強かった。まずチョムスキーを金科玉条としていてそれに反する学説や論文を論駁する。読んでいるとこの説はあれがダメ、こっちはこれがダメという具合に著者の主張に対立する学説への反論に、合計すると半分近くを費やしている。こういうパターンて、数学にはまずあり得ないし、物理でも滅多にお目にかからない。いかにも文系的な主張に思える。

そしてかの有名なチョムスキーの普遍文法だけど、これが僕にはとても信じられない。しかし言語学の分野ではこれが主流らしい。

チョムスキーの普遍文法というのは、ようするに人間は言語の文法を理解するメカニズムが生得的に備わっている、というもの。これがなければ幼児の母語習得の効率の高さを説明できないという。

チョムスキーがどれだけ偉かろうが、多くの言語学の権威がお墨付きを与えようが、僕にはもうどうしようもなく「んなアホな」としか思えない。いかにも西洋的な頭の固い発想だと感じる。「生得的」であるということはすなわちDNAのどこかにそれが書いてあるということになる。そんなものがいったいどうやって進化したのか。

鳥の羽根は飛ぶ必要があるから進化したわけではなく、それまでの環境で生存に有利だった羽毛を滑空に流用する種が生まれたからに過ぎない。「言語」も最初は鳥の羽毛のようなものだったはず。それが進化の過程で選択的に強化されてきて今の人間の言語能力になった。化石のような証拠が残らなかったり進化のスピードが速くて地質学的なタイムスケールが追いつかなかったりするせいで、断絶的に見える場合も多いが、文法を理解するDNAがあると言う主張(チョムスキーはそういう言い方をしている訳ではないがようするにそういうことだ)はあまりにも人間至上主義的な説にしか僕には思えない。

例えばその証拠としてこの本で「実際にわれわれが母語を話すときには、はっきりとその証拠を言い表すことのできないような文法の知識を、数多く使いこなしている。その例を挙げよう」としてつぎのような例をあげている。
  1. 太郎は学校へ行った
  2. 太郎が学校へ行った
では「は」と「が」は置き換えが可能に思えるが
  1. 誰は学校に行ったの?
  2. 誰が学校に行ったの?
では明らかにひとつめはおかしい。なぜ幼児はひとつめが文法的におかしいことがわかるのか。それは普遍文法が備わっているからだ、というのである。これが300ページを超える本の44ページ目に出現する。読んでてへろへろになった。これが言語学の主流の主張なの?

実は、僕は小さい頃発育が遅く、今だとおそらく発達障害と診断されるだろう子供だった。小学校に上がっても教師から「得体の知れない」「何を考えているのかわからない」と言われ続けた。ひとつにはそもそも何も考えてなかった、というのがあるが、その他に言葉を発することが僕にとって難しかった、というのもある。

この本にあがっている主語につく「は」と「が」の使い分けなど僕が小さい頃一番悩んだ問題だった。とっさになんと言えば良いのかわからない。その場で思いついた言葉を使うけどそれがときどき聴き手に「変だ」と思われることがあった。こういう助詞の使い方はいつも悩ましかったが、もっと単純な、例えば「右」と「左」がすぐに区別できなかった。今でもこれは難しくてよく間違う。「前」「後」ならいいか、と言えば空間的な方向で自分の「前」と「後」を間違うことはなかったが、時間的な表現の場合はやはりわからなくなった。「前」が過去なのか未来なのか考えてもなかなかわからない。

意味的な問題にもよく直面した。たとえば「AだからB」というときに、Bになにを言えば良いのかわかるがAとしてどういえばいいのかわからない。Bとまったく同じこと、あるいはわずかに言い回しが違うだけのことを言ったり、全然無関係なことを言ってそれを聞いていたまわりが3秒ほど静かになりそれから「なんやねん、それ?」と非難をあびたりした。「原因を説明する言葉」がどういうものか自分の頭の中に組み立てることができなかった。

歳を経るに従って徐々にましにはなったが、それが小学校の高学年くらいまで続いた。「あまりしゃべらない」「たまにしゃべると変」といわれた。さらに「話を聴いているのかどうかわからない」とも言われた。確かに自分の空想に耽って人の話を聴いていないことが多かったが、たとえ聴いていたとしてもそれを確認されると答えられなくなることが多かった。教師にとがめられても、だってわからない、としか言えなかった。教師はそれを聞いていらだったが、僕にはどうしようもなかった。小学校の同級生には他に僕みたいなのはいなかったけど、こういう経験をした人は僕だけでなないんじゃないだろうか。

著者の主張によれば生得的に備わった文法理解の機能はすくなくとも僕には備わっていなかった、ということになる。これがDNAに書いてあるなら、両親とも片方の染色体に異常があって僕は両方からその異常な染色体を受け継いだらしい。じゃあなぜ今僕は日本語が話せているんだ? 女房に言わせると「今でも全然聴いてないし、全然まともに話せてない」かも知れないけど。

自分の存在を正当化するために感情的になっている、と言われるかもしれないが僕はこの本の著者と、チョムスキーの主張が気に入らないのでさらにこの後に、続く。
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コメント 2

ヅンガ

初めまして。この「言語の脳科学」は明らかに「トンデモ本」ですよ!!著者の勝手な思い込み・勘違いで論理を展開している部分が相当ありますんで…(まぁ、たとえ東大出だろうが、そこのセンセイだろうが、「バカな事を言ったり書いたりする人は居るものだなぁ…」という良い見本だというのが個人的な感想です。一番仰天したのが「日本人には英語は難しいし、アメリカ人には日本語は難しい、だから英語と日本語の複雑さは同じだ」と断じた箇所です。どう考えても、英語より日本語の方が複雑なのに…〔日本人の大半が英語が苦手なのは、引っ込み思案で恥ずかしがりの国民性のせいと、やり方がマズイせい、後、英語の音声の持つ周波数が日本人の脳には聞き取りにくいせいです!!〕)
…何よりも一番驚かされるのは、こんな「トンデモ本」が2002年度の毎日出版文化賞を受賞しているという事実です。選考委員の目は節穴だったとしか思えません(最近では、「中公新書ベストセレクション」にも選ばれてます!!信じられません!!)。
…この著者の勘違い・勝手な思い込みを嘲笑いたい場合は、同じ著者の「脳の言語地図」(学びやブック)もお読みになる事をお薦め致します(こちらも負けず劣らずスゴいですよ!!)。
by ヅンガ (2010-10-30 17:09) 

decafish

コメントありがとうございます。
やっぱりそう思われますか。でもこのひとはちゃんと東大で研究室を持って学生を抱えているんですよね。
本文にも書きましたが、僕もこの人の論考には疑問を感じます。チョムスキーありきで上げた証明や証拠が、証明/証拠になっていない場合が多いと感じます。
ところで、中身に無関係に売れた本に与えられる「ナントカ賞」には僕もあきれます。売れた本をさらに売ろうという自動装置でしかありません。悲しいです。
「推薦」していただいたチャンスがあれば読んでみます。ただ、これ以上読むと笑うほどの余裕はなくなるかもしれません。今度は怒りに転化するかも....
by decafish (2010-10-31 07:44) 

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