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メルニコフ「ショスタコーヴィチ24のプレリュードとフーガ」 [クラシック]

せめてこのブログだけでも、いつまでも震災の影響を引きずらないようにしたい。震災前に書こうと思っていた、ハルモニア・ムンディの録音。女房が買った、メルニコフのショスタコーヴィチ。
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これはほんとうにすばらしい名録音*1である。

ショスタコーヴィチはピアノの名手で学生時代は作曲家になるかピアニストになるか、と悩んだらしいが、その割にはピアノ曲は少ない。ピアノソナタは2曲、それ以外は編曲ものや小品集が多い。その中で「24の前奏曲とフーガ」は彼のもっとも大きなピアノ曲で、全部を通して演奏すれば3時間を超える。もちろんこの曲はバッハの「平均率」へのオマージュ・リスペクトとして作曲された。

僕は学生の頃たまたまリヒテルの弾いたレコードを買った。もちろん全曲ではなく6曲ほどの抜粋だったが交響曲でよく知ってるショスタコーヴィチとはちょっと違っていて面白かった。特にテーマが交響曲10番の最初のクラリネット主題によく似た変ホ短調の3声のフーガは気に入っていた。当時は入手しにくかったニコラーエワを除いて、西側の誰もまだ全曲を録音していなかった。

何年かしてから、全音でピアノ譜が出版された。ショスタコーヴィチのピアノ曲の日本版楽譜なんて珍しかったので弾けもしないのに買ってしまった。音譜を見ると片手の9度10度は当たり前に出てくるし、ソステヌートペダルが前提の音符もあったり、16分音符の片手オクターブのフレーズがあったりしてどうもかなり難しそうだということはわかった。

作曲はジダーノフ批判の時代で「森の歌」の直後。彼がいやいや行かされたライプツィヒでのバッハコンクールで、思いがけずバッハを改めて見直したことがきっかけと言われる。当時彼は多くの曲を作曲するが批判を恐れてほとんどを発表せずにお蔵入りにしていた。発表したのは「森の歌」や「ベルリン陥落」といった当局の意向にそったものだけだったが、派手さのないこの曲なら大丈夫だろうと踏んだようで抜粋でこっそり初演した。それでも「形式主義」などという批判を受けたが、さすがに声高ではなく周囲のピアニストたちの援護射撃もあって、批判する側がそれ以降槍玉に挙げることがなくなるという消極的な支持を得た。

曲の形式はまったくバッハの「平均率」と同じである。ただし調性順は半音ずつあがるのではなくてショパンの前奏曲と同じ5度圏を回ってニ短調で終わっている。全音の楽譜には作曲日が書いてあり、1曲に数日から数週間かけて、すべてを番号順に作曲したことになっている。すごいスピードで書いていることがわかる。全体的にはショスタコーヴィチにしては調性的で当時の彼の表向きの曲のフレーズとよく似た音符が並ぶこともある。

この曲を最も特徴づけているのは、ショスタコーヴィチの他の曲に現れる皮肉やはぐらかしや意味深なほのめかしやパロディがいっさいないということ。彼の他の作品や「平均率」からの借用のフレーズもあるがパロディックな意味付けはまったくされていない。地味ではあるが直球勝負の曲で占められている。この雰囲気はたまに彼が書くパッサカリアの生真面目な表情によく似ている。「平均率」をお手本にしてじっくりまじめに取り組みました、とでも言いたそうである。

それでも「平均率」とは違った彼独自の要素も持っている。フーガのテーマはバッハと違って歌のフレーズのような、長くて複数の要素からできているものが多い。No.8のような、これがフーガのテーマになるのか、と疑うほどねちゃっとした感じのフーガまである。そのためにバッハに較べれば声部の噛み合わせのゆるいフーガが多くなっている。しかし一方で2声はなく3声よりも4声、さらに5声のフーガがあり、2重フーガも数曲ある。こういった特徴のためにフーガがさらにドラマチックになっている。いきなり先頭の1番のフーガは全曲白鍵だけ(♯♭がひとつもない)でできていたりする。

ところで、このメルニコフはすばらしい。強靭なタッチでひとつひとつの曲の性格を的確に弾き分ける。テクニック的にも申し分ないが、ほんとうに目が覚めるような演奏で、これに較べると定番と言われているニコラーエワや、突然の録音だったキース・ジャレットや、その後のアシュケナージの録音がどうしようもなく眠い演奏に聴こえる。

これまでショスタコーヴィチは冷戦時代には政府の御用作曲家、そのあと「証言」の影響による国家権力に翻弄された悲劇の作曲家というイメージで語られて、そう言う見方にそった演奏が多かった。しかしメルニコフは曲の性格を際立たせる上で、そういった図式的なイメージを明らかに無視している。ただ楽譜から得られる情報のみに従って、バッハにインスパイアされた音楽として、どのように影響を受け、どのようにその呪縛からのがれようとしているかに集中しているように聴こえる。

そうだそうだ、それこそが僕らが欲しているショスタコーヴィチの音楽だ。これまでのショスタコーヴィチ演奏は、特に交響曲の演奏は、あまりに音楽とは無関係な周辺情報に色付けられているということに気づかされる。もうそんな時代ではないし、そもそもショスタコーヴィチの音楽は内在的にもっと普遍性を持っているはずだということをこの録音は宣言している。

この曲についてもっといろいろ書こうと思っていたけど、このCDにはメルニコフが師匠のシュタイアーのインタビューを受けているDVDがおまけでついていて、そこで彼が僕の言いたいことをほとんど言ってしまっていた。ということで、そのインタビュー(英語で話していてドイツ語フランス語の字幕がつく)の日本語抄訳をここに書くことにする。行頭の(00:00)は先頭からの分秒で、(S:・・・)とあるのはシュタイアーの質問である。[[・・・]]は僕のコメント。

メルニコフインタビュー抄訳

(0:50)(S:バッハの平均率を誰も連想するが、ショスタコーヴィチもバッハに捧げるあるいはインスピレーションを貰っただろう。彼はどのくらい違う解を求める努力をしただろうか?)24曲が非常に短い間に書かれているが、大変ダイナミックであり、難曲である。最初は小さく始めたがそのうち大きくなったんだろう。全曲を演奏するのにも半分ずつに区切ったとしてそれぞれ1時間半かかる長い曲集である。
(2:30)表面的には多くのバッハ、ベートーヴェン、プロコフィエフと彼自身の引用が現れるが、バッハが最も多い。
(3:00)彼が「情熱的」であったことを知ってるか?ショスタコーヴィチはサッカーが好きで賭けをしたかもしれない(S:モーツァルトもそうだった)、この形式に対して「バッハとは異なる何」ができるか試したと私は信じている。
(3:30)プレリュードも彼が形式を試していて面白い。例えばすべてが2ページにおさまるように書かれている[[ほんとかよ、と思って確認した。すべて3段で書かれているNo.9を除いても3ページを超えるプレリュードは7曲ある。主題に集中したコンパクトな形式が多い、と言いたいのだろう]]。そしてそれぞれがメッセージ[[固有の特徴?]]を持っている。
(4:30)(S:私はいくつかの曲が実験的であることに驚いた...)実験的な曲もあるが、偶然性の音楽ではなく、むしろセリー的である。例えばフーガNo.15のように[[と言って弾く]]。
(5:50)またフーガNo.16は符割りが[[特徴的?]]で、ショスタコーヴィチのようには聴こえない。
(6:15)またフーガNo.7はダイアトニック[[分散和音的]]で、これらは単なるスタイル上ではなく、可能な限り(バッハとは)違うものを加えようと努力したんだと思う。(そのあとフーガNo.7の全曲の演奏)
(9:00)調性的な曲は3つのグループに分かれる。普通の長調、短調それとモード(教会旋法)フーガNo.1にはロクリアンまで含めて7つすべてが現れる[[と言っているがリディアンは出てこない]]。
(10:00)スケール以外の音が出てくるときは必ず下がる方向の音になる。フーガNo.6の87〜92小節のハ短調からロ短調へのスムーズな転調[[低音Fの次がGではなくてF#になっているところを強調して弾く]]。
(11:00)彼の社会的な位置を語るとき、ユダヤ音楽を避けて通ることはできない。彼はユダヤ人ではなかったが、ユダヤに共感していたし、彼にとって重要な人物がユダヤ人だった。例えばプレリュードF#(No.8)。[[と言って冒頭と19小節目を弾く]]彼の社会的市民的な立ち位置の一部だった。
(11:45)(S:プロコフィエフなど他の作曲家は?[[なんて訊いてるのか聞き取れない]])いや、そうは思わない。[[残りなにを言ってるのかよくわからない]]。プレリュードNo.23は明らかにプロコフィエフへのトリビュートである[[と言って冒頭を弾く]]。
(13:00)(S:あなたが言っていたが、彼は彼がなれたであろう作曲家には成長しなかったと非難された。内的外的な理由...)歴史にIFは禁物なので言えないけど、1930年代半ばは、ショスタコーヴィチは毎日逮捕されることをずっと恐れていた。プラウダ批判があった。もちろんこれが彼の挫折の時代だった。たぶん作曲することを恐れた。しかし他の作曲家ならそれが制約になったはずだが、彼はそこから完全で重要な音楽言語を作り出した[[このあと難しいことを言っててよくわからない]]。
(16:20)(S:この曲集は政治的な曲の対極にあるのか?)例えばレニングラード交響曲(7番)は15曲の中ではあまり好きな曲ではないが、real workである[[真摯な作品であると言う意味だろう]]。ドイツでナチに対抗して、ロシア人がスターリンに対抗して人格を向上させるために格闘[[できたか]]というのはバカな議論である。答えることはできない。
(17:00)(S:交響曲などにくらべて室内楽は公になりにくかったので、より挑戦的なことをしたのか?)彼は誰に対しても曲を説明したことはない。何か言われるとすべてを肯定した。「これは赤?そうだ赤だ、でも緑でしょ?そう緑だ」。彼が意識的に決定したとは思えない。より正確に答えるなら、室内楽は聴き手としての私にとってふたつの[[?]]がある。まず、彼は死のことで頭がいっぱいになっていったように思える。だんだん彼には他の何よりも基本的なことに思えるようになっていったんだと思う。もうひとつは室内楽というのがある種の表明だった。ショスタコーヴィチはロシアの作曲家としては最も多くの室内楽曲を書いた。

[[最後の結論的な会話は集中力が続かなくなった。よくわからない。疲れた]]

ところでシュタイアーは英語が苦手なのか性格なのか訥々としたしゃべり方で理解するのが難しい。ならドイツ語でしゃべって英語字幕をつけてくれた方がうれしかったな。

ところで、いつもの通りハルモニア・ムンディのジャケットは美しい。
内側も写真を撮ったので載せておく。

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一番右側はおまけのDVD。実はこれがCDとの裏表貼り合わせで最後のNo.24のプレリュードとフーガだけがCDサイドに入っている。DVDとCDとそのプレーヤの規格を遵守すると実現不可能。おそらくプレーヤによっては再生できない場合もあるだろうし、最悪プレーヤから出てこなくなる場合も起こる。こういうのはやめて欲しい。

追記1:「名録音」と書くと「音のいいCD」という意味に取られるのかな。「コンサート」ではない「録音」による「名演奏」と言う意味のつもり。録音の質なんて聴きづらいほどでなければ気にしたことないもん。

ところでYouTubeにDVDの抜粋が上がっていた。プロモビデオですな。
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コメント 4

corkboy

メルニコフのショスタコーヴィチ、早速Amazon Digital全曲をダウンロードしました。($21でとてもお得)。
実は一端のオーディオマニアで純金スパッタリングの限定版とか○×限定版というCDが出るたびに買いあさった経験があります。
気がつくとCDライブラリーが3000枚を超えてしまいました。2000枚あたりまで重複した買い物は皆無だったのですがその後パンク、多数同じCDを持っております。
それを自慢の大型オーディオ装置で聞くとまるでホロヴィッツが僕の前で弾いてくれているような思いに浸ることもできたのです。
と、過去形になっているのは忙しさにかまけ、いつの間にかMP3をダウンロードしiMacに繋げたパソコン用のスピーカで聞き流すスタイルになってしまったからなのです。家人がCDライブラリーに触るためばらばらの配列になってしまい聴きたい曲が直ぐ見つからなくなってしまい、「そんなことでいらいらするならFindで一発で見つかるiTunesで我慢しよう」からこの妥協の行為が始まりました。

でも音楽好きなら皆さんそうでしょうけれども、
たとえひどい音でも2,3分耳を傾けると立派な演奏は体中に染み渡ってくるのですね、
なので最近は迷うことなくこの便利な方法一徹なのです。

閑話休題
だいたいの曲は何度か聴くとその良さに気がつくのですが、
そしてネガティブな発言で恐縮ですが
このショスタコーヴィチ、個人的に水が合わないようです。
演奏ではなく、曲集全体がそういう感じです。
でも、購入前には
http://www.amazon.com/Shostakovich-Preludes-Fugues-Melnikov/dp/B00354XVKO/ref=sr_1_5?ie=UTF8&qid=1303185114&sr=8-5
でメルニコフのビデオを見てほほうと思いながらダウンロードしたのですよ、残念。

今週からハワードのリスト全集を順番に聞きながら
仕事をしています。(^o^)
こういうばかでかいファイル群はMP3が便利ですね。

長文失礼いたしました。

by corkboy (2011-04-19 13:00) 

decafish

コメントありがとうございます。
結局は音楽なんて好き嫌いなので、合う合わないは残念ですがしかたないです。
僕も実はロシアの作曲家に合わない人が多いのです。メジャーなところでチャイコフスキーとラフマニノフがだいたいダメですし、ボロディン、グリンカ、グラズノフのへんもおおよそダメです。プロコフィエフが曲によってダメなものがあります。でもストラヴィンスキーは問題ありません。自分でもどういう基準なのかよくわかりません。
ところで僕もずいぶん前からCDを買ったらiTunesに放り込んでCDそのものは戸棚のなかで肥やしになってるという状態です。じゃあなぜダウンロード販売で買わないのか、と言うことになりますが最近勝手ばかりいるHarmonia Mundiはどれもジャケットが美しくて、内容は別にして手に取るとつい買ってしまう、ということが多いせいです。もちろん戸棚の肥やしになるのは変わらないのですけど....
by decafish (2011-04-19 20:55) 

yoshimi

はじめまして。インタビュー部分の翻訳を探していて、こちらのサイトに辿りつきました。
英語で聴いていると、ちょっとなまっているので、聴き取りにくいのですが、ドイツ語を翻訳するのはさらに厄介だったので、抄訳があって助かりました。

この曲集はショスタコーヴィチの作品のなかで一番好きなので、いくつか録音は持ってますが、メルニコフを聴くまではシチェルバコフが一番好きでした。
技巧的にしっかりしてますし、透明感のある音で全く濁りのない響きが綺麗です。メルニコフとは違って、蒸留水か淡い水彩画的な演奏ですが、曲の構成がすっきりとわかるので、今でも気に入ってます。

メルニコフは素晴らしいですね。ソノリティの美しさやニュアンスの繊細さに加えて、ダイナミックレンジが広く表現が多彩で、48曲を聴き続けても飽きません。
彼とファウストのベートーヴェンのヴァイオリンソナタ全集も買いましたが、私には、アシュケナージと同じくらい(かそれ以上)に優れた伴奏だと思えます。

Harmonia Mundiは、ジャケットデザインが洒落ていて綺麗ですね。
おっしゃる通り、DVDとCDの貼り合わせはやめて欲しいですけど。
廃盤になるのが比較的速いレーベルなので、欲しいと思ったときに買うようにしてます。(最近は廉価盤での再販が増えているようですが)


by yoshimi (2011-08-02 09:06) 

decafish

コメントありがとうございます。
お役に立てたのならうれしいです。
メルニコフはお気に入りです。おっしゃるようにタッチが強靭で、強さと繊細さをあわせ持っています。それと曲に対する知的なアプローチは非常に現代性を感じます。彼はコンクール歴はあまりないらしくて派手さはないのですが、もっと注目されてもいいような気がします。
by decafish (2011-08-03 06:50) 

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