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献立02/19 [献立]

「私は大学教授だからやってるだけで、あんたのために講義してるなんて思わないでね!」
「あんたのことなんて、何とも思ってないんだから!」
(マイケル・ツンデレ教授の「白熱教室」より)
昨夜サンデル教授をNHKで見た全国のオヤジのうち約3万人ぐらいが同じギャグをカマしてるな。って僕は頭の数分見ただけだけど。

ところで、もうMountain Lionだって。はやいなあ。いつまでもPowerPCコードに足を取られてるとおいてけぼりを喰らうなあ。やっぱりAppleのマシンを使い続けるにはお金持ちでないとダメだなあ。

それにまた大量のdeprecatedなAPIがあるだんろうな。こうなるとお金だけでなくAPIの変更をフォローするための時間までないとダメだわ。もちろんdeprecatedには理由があってそれは理解できるし、deprecatedになったからと言ってすぐ塞がるわけではないけど、あまりに新陳代謝が速くてついていくのが大変。寿命の短いAPIなんて5年続いてないんじゃないか。

Appleの戦略はMac OS XとiOSをどんどん近づけることにあって、Mountain Lionではそれがさらに進んでるんだろう。LionとiOS5でも、新しいframeworkはほとんど共通化されてるし。デスクトップでもマウスではなくトラックパッドを使う方向だから、そのうちApp KitがぜんぶdeprecatedになってUI Kitに置き換えられるんだろう。Foundationは生き残るけど、いずれMac OS XとiOSの差はKernelとその周辺のI/O KitやPOSIX互換レイヤだけになるんだろう。パフォーマンスの問題からMac OS XとiOSとで違っている部分、例えばAudioの内部フォーマットがiOSでは固定小数点でMac OS Xでは浮動小数点になってるところとか、ガベジコレクションとか、そういうところもいずれ高パフォーマンス側へマージされるんだろう(ガベジコレクションはフェイドアウトのような気もするけど)。だからこそiOSデバイスのCPUの高速化をあんなに急いでるんだ。

ときどきテレビのニュースで日本の製造業が厳しいという話があって、日本の製造業では開発から部品生産組み立て販売と一気通貫でやってたが、部品生産組み立ては付加価値が下がって全体の足を引っ張っている、という。そこですぐAppleが引き合いに出されて、Appleはファブレスで、だから利益を出している、なんて言う話が続く。

日本の製造業、特に電機業界は、新しい機能を実現するための部品を自社開発してそれを使うことで製品の優位性を保ってきた。いわゆるコアコンピタンスは材料や部品の開発/製造にあった。だから一気通貫だった。

Appleのコアコンピタンスはそんなところにはなくて、枯れたFoundationとその他の高機能な多数のFrameworkにある。Appleの技術戦略はその強化というただ一点に絞られているし、Mountain Lionもその一環で早いリリースタイミング(Lionから1年ほど)にも意味があることがわかる。他にも例えば、一見無意味なRetina displayもApp Kit/UI Kitが解像度に依存しないという特徴があるからこそで、部品さえ調達可能になればデスクトップにも使われてアンチエイリアスなしの表示を売り物にすることになるはずである。「DVDでさえ切手サイズ」と言う人がいるけどあきらかにApp Kit/UI Kitの優位性を強調する手段としてAppleは考えている。Appleはハードウェアメーカだけど、ハードウェアだけ見ていてもAppleのやり方を理解することはできない。

その分析無しに一気通貫だのファブレスだのという比較はまったく無意味。いや、僕がそんなこと言ってもしょうがないし、他所さんは好きにしてもらっていいんだけど。

朝食:
葱炒飯
味噌汁残り
蜜柑
牛乳+コーヒー
0219朝食.jpg

昼食:
生協カップラーメン
0219昼食.jpg

夕食:
トンカツ+サツマイモと椎茸の天ぷら
葱豆腐お揚げの味噌汁
キュウリの田楽とほうれん草のおひたし
0219夕食.jpg
さくら野で買った国産豚ロース肉148円でまたトンカツ。最近豚肉よりも葉物野菜が高くて手が出ない。キャベツレタスをはじめしばらく買ってない。今日はほんとになんにも無くなってしょうがないので高いほうれん草を買っておひたしにした。もったいないのでちびちび食べる。
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コメント 4

ivir

アップルがファブレスなのは、自分の強みが工場での”もの作り”にはないと自覚していて、徹底的に自分の強みにのみ特化する体制でいたいからなのではと思います。
翻って日本の製造業を考えるに、トヨタカンバン方式に代表されるような、現場で知恵を絞った効率的な”ものづくり”にこそ強みの源泉があるのではと思っています。

自らの強みを活かしきった会社だけが生き残れる世の中を思えば、「ファブレス」やら「アセットライト」やらといったよそ様の生きように惑わされることなく、自らの強みに回帰することが大切なのではと思うのですが、いかがでしょうか?
そもそも、日本の製造業の強みが”ものづくり”力にあると思っていること自体が古い発想なのでしょうか?

コメントいただけると嬉しいです。
by ivir (2012-02-22 07:35) 

decafish

コメントありがとうございます。
Appleについてはその通りだと思います。ただ、彼らがユニークなのは一群のFrameworkというソフトウェアが強みであるのに、その強みは「ハードウェアによって実現される」と考えているところだと思います。そこが例えばMicrosoftやAdobeと違っているところです。

だからAppleはたまたま今ファブレスなだけで、もしあるハードウェアが彼らのコアコンピタンスに打撃を与える、あるいはより強化するのであればあっさりとその製造に乗り出すと思います。もちろんそのときはその技術を持つ会社の「買収」という形をとるとは思いますが、明らかに今のAdobeやMicrosoftにそれは不可能です。

僕は二十数年前に会社に入ってからいわゆる「ものづくり」の現場で生活してきました。ちょっと前も書いたのですが自分の経験から見ると日本は「ものづくり」はほんとは苦手なんではないだろうか、と思うようになりました。

もちろん僕の職場が日本の典型的なものかどうかはよくわかりませんが、僕は「カンバン方式」に代表される生産の現場に依存した「ものづくり」は、開発設計をスポイルするという意味で結果的に「ものづくり」をへたくそにする、と思っています。当然ではありますが「ものづくり」の現場は製造だけにあるわけではないということです。

日本が本当に得意なものを自分自身で見つけることが今後10年で必要なことだと僕は思います。それは「ものづくり」ではないかもしれません。そうなると僕にとっては残念ですが、20世紀後半の成功体験だけに頼っていては限界があるとも思います。

ながながと書いてしまいましたが、これが僕の正直な感想です。
by decafish (2012-02-22 20:08) 

ivit

なるほど。
Appleと、Microsoft・Adobeとの違いの部分、興味深く拝読しました。

欧米人と接してみて、例えばファブリケーションで何か課題があった場合、
アジア人が地道にパラメータを変えて改善が見られないか試すのに対し、欧米人は方法自体を変えようかとすぐ言い始める傾向があるように感じます(もちろん個人差もあるでしょうし、私が見知ったN数は限られていますが)。

どちらの方法が成功の可能性が高いかはケースバイケースでしょうが、上記の地道な作業をいとわない勤勉さというような物が、日本人の特性としての持ち味であり、よってもって生産・製造技術こそが日本の得意分野なのではと思うに至ったのですが。
現場に依存した「ものづくり」が開発設計をスポイルするというのは、上記の例でいえば、根本に戻るという可能性を捨ててしまいかねない、ということでしょうか。だとすると、確かにそうかも。

うーん、どっかに生きる道がないか、なんとか見つけたいと思うのですが・・・。

長文失礼しました。
by ivit (2012-02-23 09:10) 

decafish

「アジア人が地道にパラメータを変えて改善が見られないか試すのに対し、欧米人は方法自体を変えようかとすぐ言い始める」すみません、つい笑ってしまいました。なるほどその通りの経験を僕もしました。

僕が「開発設計のスポイル」と考えているのは、例えばAppleはFOXCONNに対して「言った通りに作る」ことは要求するけど、現場の作り込みによって品質を上げろとは要求しないだろう、ということです。設計通りに作れば自動的に品質は確保されなければならない、というのが彼らの、というか欧米人の思想だと思います。

一方で40年前のような、中を見れば構造がわかり動作原理が理解できるような製品はもうなく、高度な物理現象や難解な数学の知見に基づいていたり、あるいは完全にソフトウェアだったりという最近の製品に対して、生産現場は自分の作っている物をブラックボックスとして見るしかありません。つまり現場の作り込みとは入力に対する出力の統計学となってしまいます。だって中身が理解できないんですから。それで品質を向上させることは実質的に不可能です。これを僕の拡張版NFL(No Free Lunch)定理といいます。

しかし、僕は世界中で日本人しか持っていない有利な特徴は他にもあると思っています。とくに芸術的側面、感性の側面は日本人が自分で過小評価しているとしか僕には思えません。そう言う日本人の特性が、「ものづくり」に頼らざるを得なかった昭和の年代に「現場に依存した高品質」という活路を見出したんだ、と僕は思っています。

開発設計で20年すごしてきたオヤジが責任逃れしてるような話になってしまいましたが...
by decafish (2012-02-23 20:38) 

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