BWV998を弾く [ギター]
以前、BWV998を変調弦ギター用に編曲した。この曲を僕は大好きなんだけど、ギター、あるいはリュートに関心のある人にしかほとんど知られていない。このプレリュードは全部で48小節しかない短いものだけど、非常にバッハらしい特徴的な構造を持った美しい名曲である。
ところで、僕以外のギタリストたちもやはりこの曲が好きと見えて、YouTubeにはたくさん演奏が上がっている。でも、アゴーギクどころか、均一なアーティキュレーションで明瞭なフレージングを避けた、どっちかというとのっぺりとした弾き方をする人が多いような気がする。
確かに隈取りのようにはっきりとしたフレージングは説明的になりすぎて古くさいし、大きなアゴーギクは曲が重くなってバッハにふさわしくない。また、新古典主義なスタイルが全盛の時代には、均一で一見平板な演奏の中に、曲の持つ刹那的ではない面を引き出そうとする演奏が流行したこともあった。
でも少なくともこの曲に関しては、構造をはっきりと提示することで、バッハが盛り込んだ控えめだけど奥深いドラマがわかりやすくなるという気がする。
ここではこの曲がどんな構造を持っているかを、僕の思い込みも含めてまとめて、実際にその通り弾いてみることにする....
このPreludeの全小節は低音が刻むビートによって3つに分類できる。
ロマン派の作曲家の作品なら、単にリズムの違い、あるいはたまたま和声がそこで切り替わったのをわかりやすくするための低音挿入ということもあり得る音符だけど、バッハでは違っていて、低音の動きはそれ自身が内容を反映している。
もう少しわかりやすくするために、こういうビートの区別を意識して曲全体を俯瞰してみたのが図-2である。 この図の四角い箱はひとつの小節を表していて、楽譜と同じように左から右、そのあと上から下につながっている。
左端の箱の左上の数字は小節番号である。そして箱をまたいで中央に書かれた赤色の数字はビートの拍数である。まず4拍ビートの小節が3小節あり、そのあと2拍ビートの小節が2小節続き、そのあとまた4拍ビートが3小節、2拍ビートが2小節、さらに1拍ビートが3小節続いていることを表している。
図のように4拍ビートの小節群を行の先頭に持ってくると構造がよくわかる。左側にはみ出して書かれた緑色のローマ数字は4拍ビートの先頭小節の調(和音)である。4拍ビートの小節群は、I(原調でEs dur/E♭)で始まり、出てくるたびに、V(B dur/B♭)、VI(C mol/Cm)、IV(As dur/A♭)というふうに変ホ長調の近親調をすべてたどってI(Es dur/E♭)に戻って終わっていることがわかる。
4拍ビートに先導される部分はそれぞれ、提示的、確保的、展開的、というふうな性格を見ることができる。最後に戻ったI(Es dur/E♭)だけは2小節に縮められているが、これは「再現の短縮」であって、単なる繰り返しを避けて単調にならないようにする配慮である。
33小節からの9小節は、より大きな変化をもたらすための例外的な部分である。ここではテーマは大きく変形され、ビートの法則やそれによる構成原理は崩れている。そしてフェルマータを含む小節が現れて気分を変え(ちょっと立ち止まって辺りを見回し、自分がやってきたことを確認するかのように)、一番最初と同じものに帰ってくる。4拍ビートの最初の1小節だけを順に弾いてみるだけで、テーマがどう確保されてどう展開されているか、おおまかな道筋がわかる。
さらにそれぞれの部分を細かく見ると、4拍ビートの小節はつねに3小節セットで現れている。バッハにとって数字の「3」は完全であることを表す重要な数である。それぞれの小節の先頭の音はその調の主和音(I - V - IIIの順)になっていて、第1小節は提示的、第2小節は確保的、第3小節は展開的な性格というふうに(入れ子のように)なっている。第1と第2小節は調が変わって現れても移調すればみんな同じだけど、第3小節は出てくるたびに変形していって、次に続く2拍ビート小節を導き出す役割を持っている。したがってフレージング的には第3小節は第4小節につながるように演奏されるべきである。
こういう構造のなかに図-3の先頭の三つの音 が、基本動機として要所要所に現れ、引き締めをはかっている。フレージングはこの基本動機に導かれるように始まることが多い(それをあまり強調しすぎるとうるさくなるけど)。フレージングにまで突っ込むと終わらなくなるのでやめておく。
Preludeはこのビートに乗って行われる「教会での説教」のような構造を持っている。
4拍の部分は曲の中の「宣言」にあたる部分を担っている。たとえば
「人生とはウネモノである」
と、キャッチーなフレーズで宣言しているのである。とくに1小節目はこの曲の最高音で始まる。みんな聞け、と言っているのである。4拍のビートはコンパスが長すぎてビートを表現することは難しい。むしろビートが無い部分だと見てもかまわないかもしれない。
この部分のあとに2拍ビートが継続する。この部分は「宣言」に対する「詳細説明」のようなものである。「宣言」の内容をわかりやすく噛み砕いているのである。たとえば
「ウネモノとはなにか。それはアネモネとよく似ている」
と、続けるのである。この部分は低音の上に乗った旋律のフレージングも短く、ビートとほぼ対応している。
この「宣言」と「詳細説明」の組み合わせは何度か繰り返される。たとえば2度目は属調に転調して最初とほぼ同じことを繰り返す。これは最初のダメ押しである。「主題の確保」などとも言う。
そして1拍ビートを持った部分は聴衆に向かって「どうぞ、ご唱和ください」という部分である。たとえば
「ウネモノ」 『ウネモノ』 「アネモネ」 『アネモネ』
という具合である。 この部分は2度しか現れないが、係留音が含まれた和声的に美しい部分となっている。
しかし、バッハが「このように作ろう」と意識してこうしたわけではないだろう。職人の手になじんだ工具が精巧な作業を遂行するように、バッハはほとんど無意識的に作業し、結果的に構造ができあがった、という風に思える。曲の構造ありきで作曲されたとすると、旋律のつながり、和声の変化、そしてビートの違いによるアクセントが、あまりに自然に流れていきすぎる。
バッハとおなじぐらい音楽性と職人気質を両立させた演奏家なら、構造を意識せずに力学的あるいは生理学的な、自然な帰結として説得力ある演奏することができるだろう。しかし、僕を含めたそうではないひとは、構造をもとにそこに含まれた歌とドラマを頭で理解することで、少しでもバッハに近づけたらと願うのである。
チャリ用グラスをつけたあやしいオヤジに見えるのはおいといて、YouTubeへのリンク。
もちろん以前僕の編曲した変調弦(D-A-d-fis-h-e')に調弦したギターで弾いている。所詮は素人なのでノイズが多いところや集中力が足りないところはまあ勘弁してやってほしい。
ついでにフーガとアレグロもそのまま引き続いて弾いている。こっちの2曲はそれほど脚色無しに弾いたつもり。音の怪しいところも多いけど、そこは素人の愛嬌ということで...
しかしけっこう大変だった。朝からやりはじめてなんどもなんども弾き直した。夕方4時頃になって、これでは終わらん、と思ってその時点のテイクを採用することにして諦めた。やっぱりプロはすごいなあ。
ところで、僕以外のギタリストたちもやはりこの曲が好きと見えて、YouTubeにはたくさん演奏が上がっている。でも、アゴーギクどころか、均一なアーティキュレーションで明瞭なフレージングを避けた、どっちかというとのっぺりとした弾き方をする人が多いような気がする。
確かに隈取りのようにはっきりとしたフレージングは説明的になりすぎて古くさいし、大きなアゴーギクは曲が重くなってバッハにふさわしくない。また、新古典主義なスタイルが全盛の時代には、均一で一見平板な演奏の中に、曲の持つ刹那的ではない面を引き出そうとする演奏が流行したこともあった。
でも少なくともこの曲に関しては、構造をはっきりと提示することで、バッハが盛り込んだ控えめだけど奥深いドラマがわかりやすくなるという気がする。
ここではこの曲がどんな構造を持っているかを、僕の思い込みも含めてまとめて、実際にその通り弾いてみることにする....
2 BWV998Preludeの構造
バッハの音楽ではビートが重要である。ビートによって和声進行が規定され、ビートをまたぐフレージングによってただの8分音符の連続の中にいきいきとしたリズムが浮かび上がる。バッハにおけるビートの重要性を気づかせてくれたのは、いわゆる古楽系演奏家の演奏によってである。このPreludeの全小節は低音が刻むビートによって3つに分類できる。
- 4拍ビート
- 2拍ビート
- 1拍ビート
ロマン派の作曲家の作品なら、単にリズムの違い、あるいはたまたま和声がそこで切り替わったのをわかりやすくするための低音挿入ということもあり得る音符だけど、バッハでは違っていて、低音の動きはそれ自身が内容を反映している。
もう少しわかりやすくするために、こういうビートの区別を意識して曲全体を俯瞰してみたのが図-2である。 この図の四角い箱はひとつの小節を表していて、楽譜と同じように左から右、そのあと上から下につながっている。
左端の箱の左上の数字は小節番号である。そして箱をまたいで中央に書かれた赤色の数字はビートの拍数である。まず4拍ビートの小節が3小節あり、そのあと2拍ビートの小節が2小節続き、そのあとまた4拍ビートが3小節、2拍ビートが2小節、さらに1拍ビートが3小節続いていることを表している。
図のように4拍ビートの小節群を行の先頭に持ってくると構造がよくわかる。左側にはみ出して書かれた緑色のローマ数字は4拍ビートの先頭小節の調(和音)である。4拍ビートの小節群は、I(原調でEs dur/E♭)で始まり、出てくるたびに、V(B dur/B♭)、VI(C mol/Cm)、IV(As dur/A♭)というふうに変ホ長調の近親調をすべてたどってI(Es dur/E♭)に戻って終わっていることがわかる。
4拍ビートに先導される部分はそれぞれ、提示的、確保的、展開的、というふうな性格を見ることができる。最後に戻ったI(Es dur/E♭)だけは2小節に縮められているが、これは「再現の短縮」であって、単なる繰り返しを避けて単調にならないようにする配慮である。
33小節からの9小節は、より大きな変化をもたらすための例外的な部分である。ここではテーマは大きく変形され、ビートの法則やそれによる構成原理は崩れている。そしてフェルマータを含む小節が現れて気分を変え(ちょっと立ち止まって辺りを見回し、自分がやってきたことを確認するかのように)、一番最初と同じものに帰ってくる。4拍ビートの最初の1小節だけを順に弾いてみるだけで、テーマがどう確保されてどう展開されているか、おおまかな道筋がわかる。
さらにそれぞれの部分を細かく見ると、4拍ビートの小節はつねに3小節セットで現れている。バッハにとって数字の「3」は完全であることを表す重要な数である。それぞれの小節の先頭の音はその調の主和音(I - V - IIIの順)になっていて、第1小節は提示的、第2小節は確保的、第3小節は展開的な性格というふうに(入れ子のように)なっている。第1と第2小節は調が変わって現れても移調すればみんな同じだけど、第3小節は出てくるたびに変形していって、次に続く2拍ビート小節を導き出す役割を持っている。したがってフレージング的には第3小節は第4小節につながるように演奏されるべきである。
こういう構造のなかに図-3の先頭の三つの音 が、基本動機として要所要所に現れ、引き締めをはかっている。フレージングはこの基本動機に導かれるように始まることが多い(それをあまり強調しすぎるとうるさくなるけど)。フレージングにまで突っ込むと終わらなくなるのでやめておく。
2.1 構造の比喩的な説明
この曲のこういった構造をちょっと比喩的に説明してみる。ここからは僕の勝手な思い込みである。Preludeはこのビートに乗って行われる「教会での説教」のような構造を持っている。
4拍の部分は曲の中の「宣言」にあたる部分を担っている。たとえば
「人生とはウネモノである」
と、キャッチーなフレーズで宣言しているのである。とくに1小節目はこの曲の最高音で始まる。みんな聞け、と言っているのである。4拍のビートはコンパスが長すぎてビートを表現することは難しい。むしろビートが無い部分だと見てもかまわないかもしれない。
この部分のあとに2拍ビートが継続する。この部分は「宣言」に対する「詳細説明」のようなものである。「宣言」の内容をわかりやすく噛み砕いているのである。たとえば
「ウネモノとはなにか。それはアネモネとよく似ている」
と、続けるのである。この部分は低音の上に乗った旋律のフレージングも短く、ビートとほぼ対応している。
この「宣言」と「詳細説明」の組み合わせは何度か繰り返される。たとえば2度目は属調に転調して最初とほぼ同じことを繰り返す。これは最初のダメ押しである。「主題の確保」などとも言う。
そして1拍ビートを持った部分は聴衆に向かって「どうぞ、ご唱和ください」という部分である。たとえば
「ウネモノ」 『ウネモノ』 「アネモネ」 『アネモネ』
という具合である。 この部分は2度しか現れないが、係留音が含まれた和声的に美しい部分となっている。
2.2 まとめ
このPreludeはそれほど長くはないけど、このような構造を持っている。非常にバッハらしい、統一と変化のバランスが美しい構造である。バッハの他の、例えば無伴奏ヴァイオリンソナタBWV1005のフーガのようにダイナミックな紆余曲折を持ったドラマとは対極の静的な、しかしがっちりと強固で小さいながらも手に取るとずしっと持ち重りのする感じのする名品である。しかし、バッハが「このように作ろう」と意識してこうしたわけではないだろう。職人の手になじんだ工具が精巧な作業を遂行するように、バッハはほとんど無意識的に作業し、結果的に構造ができあがった、という風に思える。曲の構造ありきで作曲されたとすると、旋律のつながり、和声の変化、そしてビートの違いによるアクセントが、あまりに自然に流れていきすぎる。
バッハとおなじぐらい音楽性と職人気質を両立させた演奏家なら、構造を意識せずに力学的あるいは生理学的な、自然な帰結として説得力ある演奏することができるだろう。しかし、僕を含めたそうではないひとは、構造をもとにそこに含まれた歌とドラマを頭で理解することで、少しでもバッハに近づけたらと願うのである。
3 実際に弾いてみる
講釈ばかりタレてうるさいやっちゃ、と思われるのもしゃくなので、フレージングをはっきりさせて曲の構造を浮き上がらせるつもりで実際に弾いてみた。ちょっと極端すぎるかもしれないけど、こういうのもあり得る、ということで。チャリ用グラスをつけたあやしいオヤジに見えるのはおいといて、YouTubeへのリンク。
もちろん以前僕の編曲した変調弦(D-A-d-fis-h-e')に調弦したギターで弾いている。所詮は素人なのでノイズが多いところや集中力が足りないところはまあ勘弁してやってほしい。
ついでにフーガとアレグロもそのまま引き続いて弾いている。こっちの2曲はそれほど脚色無しに弾いたつもり。音の怪しいところも多いけど、そこは素人の愛嬌ということで...
しかしけっこう大変だった。朝からやりはじめてなんどもなんども弾き直した。夕方4時頃になって、これでは終わらん、と思ってその時点のテイクを採用することにして諦めた。やっぱりプロはすごいなあ。
2012-03-25 22:04
nice!(0)
コメント(6)
トラックバック(0)
(あれ、再生できるようになってる)
音楽のことは分かりませんが、意外に渋いオジサンでビックリ!
by きん (2012-03-26 23:44)
コメントありがとうございます。
「ダンディな初老の紳士」は嘘ではないということがわかっていただけましたでしょうか?「意外に」と言う言葉にちょっと引っかかりますが....
サングラスがあやしいのと、あとで気がついたのですがラストテイクなのに下半身ジャージで撮ってました。
それ以外に演奏上の問題も多いので撮り直したいのですが、あまりに大変だったので、今はかなりの気力と時間がないともう一度という気がなかなか起こりません....
by decafish (2012-03-27 21:15)
なかなか、「TVで無茶な理論を展開する経済評論家のくそおやじ」
という感じでいいのではないでしょうか。
横に線がないのでいわなければジャージとはわからなかったのに。
ウネモノのくだりは
日本の首都は千葉滋賀佐賀!
というのを思い出しました。
by つる美 (2012-04-06 11:22)
とても肯定的に見ていただいているとは思えないのですが...
ちなみに僕の女房には「顔の特徴的なところを隠してないから、顔出ししてるのと同じ」と笑われました。
いや、見てくれはどうでもいいのです。こういうBWV998の解釈がありえるというのを聴いて欲しかったのです。
構造解釈や音に対して誰もコメントしてくれない...うう。
例えばYouTubeで「BWV998」を検索して、このプレリュードをこんな弾き方してる人は(上手い下手は別にして)誰もいないと思うんですけど....
by decafish (2012-04-06 22:03)
初めまして♪こんにちは^^
素晴らしい演奏に感動です!
アマチュアと思えないほどです!
そして 正真正銘ダンディな姿で
UPして下さって嬉しいです^^))♪
>どっちかというとのっぺりとした弾き方をする人が多いような気がする。
そうなんです!!同感です!
decafish さんの演奏を聴いて
何十年ぶりでしょうか?この曲の楽譜を出してきて
弾きました。(ピアノですが)
しかし
何か物足りなくて息子の部屋にある電子ピアノの
チェンバロ音モードを ヘッドホンで弾いたら
ま~最近の電子ピアノのスゴイこと!
すっかり自分の演奏に酔って
気分が良かったです(笑)
また
BWV998の解釈も大変興味深く
何度も繰り返し読みました。
本当にBachは 奥が深いですよね。
decafish さんの解釈を読んで曲に向き合うと
どんな曲も100倍 楽しめる気がします♪
decafish さんの古典派音楽事典
もっとたくさん読んでみたいです。
youtubeの動画
もっと大勢の人達に見て欲しいですね。
クラシックは聴いても バロック音楽を好んで
聴いて下さる人って やはり少ないですよね。
私はバロックばかりです^^
decafish さんの演奏は 変な言い方ですが
痒いところに手が届くと言いますか
私のツボです!!
もう これで他の のっぺりとした演奏のCDは
聴けなくなりました。
この5年間ほど
家族の闘病(難病を発病)やら
色々とあって 音楽から離れていました。
気持ちが前向きでないと取り組めないですね。
「そんな時こそ音楽・・・」だと思ってたのに
いざ 苦境に立ってみたら
弾きたい気分になれなかったです。
でも
decafish さんの演奏を聴いてから
また弾きたい!と意欲が沸いてきました。
本当にありがとうございました^^
これからも宜しくお願いします♪
by aine (2015-09-13 09:01)
コメントありがとうございます。
また、過大なお褒めのお言葉、恐縮です。あまり褒められるとまた調子に乗るのでほどほどにお願いします。
僕はどうしてもギタリストの弾くバッハに物足りないものが多いような気がしてしょうがないのです。中には明らかにバッハの他の曲をあまり研究せずに済ませているとしか思えない人がいるのは残念です。バッハには曲折したドラマがあって、しかもそのあとには必ず慰安があって、いつも力づけられます。
音楽好きが耳を患うのは辛いものです。僕も中年の頃に突発性難聴を患いました。全く聞こえなくなるほどではなかったので助かりましたが、一時はどうなることかと思いました。
今もバッハのギター編曲を2曲ほど温めています。仕上がったら音符も含めて披露するつもりですので、ご期待ください(いつになるかはわかりませんが...)。
今後ともよろしくお願いします。
by decafish (2015-09-13 12:17)