サロネンの「レクチャー&シンポジウム」を聴いてきた [クラシック]
先週末2月9日に「エサ=ペッカ・サロネン自作を語るレクチャー&シンポジウム」というのが横浜のみなとみらいホールであった。一人千円だったので女房と二人で聴きに行った。内容はこの左側の紙にある
というようなもの。けっこう面白かった。千円だと安い。
この日の6時から自作とシベリウスのヴァイオリン協奏曲なんかをやるその前の昼間にこう言う催しをする、というのはけっこうハードなんではないか、と思うんだけど、サロネンは元気だった。諏訪内晶子は出てきてヴァイオリンを弾いたけどひと言もしゃべらなかった。
指揮者としてのサロネンはマーラーの「大地の歌」(ドミンゴ/スコウフス/ロスフィル)をずっと昔買って聴いたぐらいで、あまりよく知っているわけではない。作曲家だということも今回初めて知った。
催しの最初のパートは、サロネンの現代音楽とは?というような話のあと、自作のヴァイオリン協奏曲を解説する、というもの。ホールの残響が大きくてPAを通すと彼の話も通訳の日本語も聞き取りにくかった。彼が書いたものを通訳とかわりばんこに読む、というようなもので内容も観念的でわかりにくかった。というかはっきり言えば、あまり分析的ではなくて、技法と表現内容、音楽言語とそのボキャブラリ、なんていうことがあまりちゃんと区別されてなくて、難しい言葉をいっぱい使ったんだけど観念的というよりはもっとナイーブな、結局最後は「オレぁ12音音楽は嫌いだぜ、作曲なんてふぃ〜りんぐだぜ」と言っているように聴こえた。
それに続いて、諏訪内晶子を招いて自作の解説をした。こんどはうってかわって「ここんところは速いフレーズでダンスミュージックのように、ここは瞑想的に」と細かく諏訪内晶子に弾かせながら部分々々を説明していく。何となく楽しそうに見えた。
休憩のあと、サロネンと西村朗ふたりのシンポジウムとして、現代音楽について語った。西村朗はこう言ったことをしゃべり慣れてるという感じで、まず「狭義の現代音楽」を「2次大戦後から1980年にかけて西側で作曲された音楽」で、1920年頃から2次大戦中までを「プレ・現代音楽の時代」とした。「プレ・現代音楽」の代表はシェーンベルク、「現代音楽」の代表はシュトックハウゼンで、「現代音楽」は敗戦国であるドイツの音楽、この代表はリヒアルト・シュトラウスで、それを否定するためのものだった、という。サロネンもその後の「現代音楽」は資本主義(つまりはアメリカ)から資金が流れて共産圏に対するプロパガンダの役目を担った、という。どちらにしても「現代音楽」は「聴衆」を必要としない音楽だった、という。
こういう場ではしかたないのかもしれないけど、当時の「現代音楽」すべてがそうだとは思えない。でも少なくとも部分的には正しいんだろう。そして80年代以降になって作曲家は自由になった、という。今の「現代音楽」は、伝統的なオーケストラやコンサートホールを対象に作曲する音楽の一分野で、電気楽器を使うポップスなどと違うところはない、という。それはもちろんその通り。
二人とも「今の現代音楽」の作曲家で、「狭義の現代音楽」の作曲家ではない、と強調したいんだろう。でもその「狭義の現代音楽」が音楽言語の文法を複雑化して、そのボキャブラリを増やした、という功績は認める必要がある、と僕は思う。そして今の作曲家にとって「いかに表現するか」という時代は終わって「なにを表現するか」をより意識しないといけない時代になった、と言えると思う。
僕の子供の頃、特に70年の「万博」の前後は日本では「現代音楽」の花盛りで、12音だセリーだクラスターだ微分音だ、と騒々しかった。FMラジオの「現代の音楽」を布団の中で聞きながらときどきは面白いと思ったけど、どこか違和感をずっと持っていた。子供心に日本の作曲家の尻の軽さを感じて、日本人作曲家の曲を聴くたびに、なんとなく屈辱的に思っていた。僕もその「狭義の現代音楽」は結局、好きにはなれなかった。
しかし今でも「正統的な音楽」といえばこの「狭義の現代音楽」なんじゃないだろうか、残念ながら。サロネンと西村の二人ともどこか「アウトサイダー」を自認しているようなところもあったし。
そのあと、リハーサルになった。それまで広いホールの前のほうに固まって聴いていた僕ら観客は、一番うしろの席に移動させられて、オーケストラのメンバが現れた。
まずサロネンはその夜日本初演の自作を通した。何度か止めたけど、最終確認という感じで全部が聴けた。サロネンの曲は初めて聴いたけど、なにがやりたいのかよくわかる理解しやすい曲で、面白いと言える瞬間もいくつかあった。諏訪内晶子はあんがい野太い音で頼もしい。でもフレーズの最後の言葉尻が一瞬曖昧になって次に繋がる、という場面がたびたびあってそれがすごく気になった。
サロネンのオーケストラはべったりと塗りつぶすような音色で、見通しはあまりよくない。フルオーケストラなので木管楽器もいたんだけどその音色を生かすということはなかった。マーラーというよりはリヒアルト・シュトラウス、武満徹というよりは黛敏郎、と言う感じ。曲の問題意識もわかるような気はしたけど、どちらかと言えばハングリーな人のそれではない、と言う感じだった。
そのあとはシベリウスの第1楽章とフィナーレのそれぞれ頭2分ほどをおさらいして、ま、こんなもんだろ、と言う感じですませた。それから「ポホヨラの娘」を、こちらは数回止めただけで全曲を通したあと、観客は追い出された。
女房と千円にしては面白かった、と言って帰った。本番は聴かなかった。だって高いんだもん。その夜はどのくらい入ったんだろうなあ。
というようなもの。けっこう面白かった。千円だと安い。
この日の6時から自作とシベリウスのヴァイオリン協奏曲なんかをやるその前の昼間にこう言う催しをする、というのはけっこうハードなんではないか、と思うんだけど、サロネンは元気だった。諏訪内晶子は出てきてヴァイオリンを弾いたけどひと言もしゃべらなかった。
指揮者としてのサロネンはマーラーの「大地の歌」(ドミンゴ/スコウフス/ロスフィル)をずっと昔買って聴いたぐらいで、あまりよく知っているわけではない。作曲家だということも今回初めて知った。
催しの最初のパートは、サロネンの現代音楽とは?というような話のあと、自作のヴァイオリン協奏曲を解説する、というもの。ホールの残響が大きくてPAを通すと彼の話も通訳の日本語も聞き取りにくかった。彼が書いたものを通訳とかわりばんこに読む、というようなもので内容も観念的でわかりにくかった。というかはっきり言えば、あまり分析的ではなくて、技法と表現内容、音楽言語とそのボキャブラリ、なんていうことがあまりちゃんと区別されてなくて、難しい言葉をいっぱい使ったんだけど観念的というよりはもっとナイーブな、結局最後は「オレぁ12音音楽は嫌いだぜ、作曲なんてふぃ〜りんぐだぜ」と言っているように聴こえた。
それに続いて、諏訪内晶子を招いて自作の解説をした。こんどはうってかわって「ここんところは速いフレーズでダンスミュージックのように、ここは瞑想的に」と細かく諏訪内晶子に弾かせながら部分々々を説明していく。何となく楽しそうに見えた。
休憩のあと、サロネンと西村朗ふたりのシンポジウムとして、現代音楽について語った。西村朗はこう言ったことをしゃべり慣れてるという感じで、まず「狭義の現代音楽」を「2次大戦後から1980年にかけて西側で作曲された音楽」で、1920年頃から2次大戦中までを「プレ・現代音楽の時代」とした。「プレ・現代音楽」の代表はシェーンベルク、「現代音楽」の代表はシュトックハウゼンで、「現代音楽」は敗戦国であるドイツの音楽、この代表はリヒアルト・シュトラウスで、それを否定するためのものだった、という。サロネンもその後の「現代音楽」は資本主義(つまりはアメリカ)から資金が流れて共産圏に対するプロパガンダの役目を担った、という。どちらにしても「現代音楽」は「聴衆」を必要としない音楽だった、という。
こういう場ではしかたないのかもしれないけど、当時の「現代音楽」すべてがそうだとは思えない。でも少なくとも部分的には正しいんだろう。そして80年代以降になって作曲家は自由になった、という。今の「現代音楽」は、伝統的なオーケストラやコンサートホールを対象に作曲する音楽の一分野で、電気楽器を使うポップスなどと違うところはない、という。それはもちろんその通り。
二人とも「今の現代音楽」の作曲家で、「狭義の現代音楽」の作曲家ではない、と強調したいんだろう。でもその「狭義の現代音楽」が音楽言語の文法を複雑化して、そのボキャブラリを増やした、という功績は認める必要がある、と僕は思う。そして今の作曲家にとって「いかに表現するか」という時代は終わって「なにを表現するか」をより意識しないといけない時代になった、と言えると思う。
僕の子供の頃、特に70年の「万博」の前後は日本では「現代音楽」の花盛りで、12音だセリーだクラスターだ微分音だ、と騒々しかった。FMラジオの「現代の音楽」を布団の中で聞きながらときどきは面白いと思ったけど、どこか違和感をずっと持っていた。子供心に日本の作曲家の尻の軽さを感じて、日本人作曲家の曲を聴くたびに、なんとなく屈辱的に思っていた。僕もその「狭義の現代音楽」は結局、好きにはなれなかった。
しかし今でも「正統的な音楽」といえばこの「狭義の現代音楽」なんじゃないだろうか、残念ながら。サロネンと西村の二人ともどこか「アウトサイダー」を自認しているようなところもあったし。
そのあと、リハーサルになった。それまで広いホールの前のほうに固まって聴いていた僕ら観客は、一番うしろの席に移動させられて、オーケストラのメンバが現れた。
まずサロネンはその夜日本初演の自作を通した。何度か止めたけど、最終確認という感じで全部が聴けた。サロネンの曲は初めて聴いたけど、なにがやりたいのかよくわかる理解しやすい曲で、面白いと言える瞬間もいくつかあった。諏訪内晶子はあんがい野太い音で頼もしい。でもフレーズの最後の言葉尻が一瞬曖昧になって次に繋がる、という場面がたびたびあってそれがすごく気になった。
サロネンのオーケストラはべったりと塗りつぶすような音色で、見通しはあまりよくない。フルオーケストラなので木管楽器もいたんだけどその音色を生かすということはなかった。マーラーというよりはリヒアルト・シュトラウス、武満徹というよりは黛敏郎、と言う感じ。曲の問題意識もわかるような気はしたけど、どちらかと言えばハングリーな人のそれではない、と言う感じだった。
そのあとはシベリウスの第1楽章とフィナーレのそれぞれ頭2分ほどをおさらいして、ま、こんなもんだろ、と言う感じですませた。それから「ポホヨラの娘」を、こちらは数回止めただけで全曲を通したあと、観客は追い出された。
女房と千円にしては面白かった、と言って帰った。本番は聴かなかった。だって高いんだもん。その夜はどのくらい入ったんだろうなあ。
2013-02-12 07:05
nice!(0)
コメント(7)
トラックバック(0)
エサ=ペッカ・サロネンは、サンフランシスコ交響楽団の音楽監督に決定...
http://www.sfcv.org/music-news/san-francisco-symphony-announces-new-music-director-and-eight-creative-advisors
by サンフランシスコ人 (2018-12-07 07:13)
コメントありがとうございます。
MTTはどうするんでしょうか。あの人は結構長いことやってたと思いますが。
SFSはかなり早い時期にレパートリにある曲目をランダムに解説するというPodCastを始めたので、昔英語の勉強を兼ねて聴きました。知ってる曲は聞くまでもなく、知らない曲は何を言ってるのかわからない、と言うような状態で勉強にはなりませんでしたが。
by decafish (2018-12-08 14:34)
「MTTはどうするんでしょうか」
サンフランシスコ響の桂冠指揮者....
http://www.sfgate.com/music/article/Michael-Tilson-Thomas-sf-symphony-music-director-12320794.php
"He will remain with the Symphony in the newly created post of music director laureate, conducting at least four weeks each year and undertaking a variety of special programming projects."
by サンフランシスコ人 (2018-12-10 06:17)
なるほど、教えていただいた記事を読む限りではSFSの名誉職に引退して、ようするに横町の甚兵衛さんになるということのようですね。指揮者は少なくとも曲が終わるまで横にならずタクトを落とさずに済むなら、そしてタクトの先が1cmでも動かすことができるなら、現役を通す人が多いと思うのですが、それに比べてMTTは潔いようです。
MTTは録音でしか聞いたことはなかったのですが、そのどこかあっけらかんとしたキャラは結構好きでした。
by decafish (2018-12-11 21:03)
「MTTは録音でしか聞いたことはなかった....」
MTT&サンフランシスコ響のアメリカ同時多発テロ事件の追悼演奏会に行きました...
「現役を通す人が多いと思うのですが...」
http://www.nws.edu
MTTは別のオーケストラの芸術監督は辞めません....
by サンフランシスコ人 (2018-12-19 04:08)
「MTTはどうするんでしょうか....」
2/18 エサ=ペッカ・サロネンのサンフランシスコ交響楽団が来シーズンの曲目・日程を発表...MTTは
http://www.sfsymphony.org/Buy-Tickets/2020-21/MTT-Mahler-1
http://www.sfsymphony.org/Buy-Tickets/2020-21/BEETHOVEN250-MTT-Beethovens-Missa-Solemnis
http://www.sfsymphony.org/Buy-Tickets/2020-21/MTT-Emanuel-Ax-Plays-Mozart
http://www.sfsymphony.org/Buy-Tickets/2020-21/or-MTT-Yuja-Plays-Rach-Piano-Concerto-2
by サンフランシスコ人 (2020-02-22 02:34)
MTTなんのことはない元気でやるみたいですね。
MTTのショスタコーヴィチの評価は低かったと記憶しているのですが、来年はショスタコーヴィチの15番が上がっているんですね。
by decafish (2020-02-23 21:15)