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マーラー10番の自筆譜 [音楽について]

今日の午後、IMSLPマーラーの交響曲10番の自筆譜があがっているのに気がついた。昨年暮れに追加されたらしい。みつけたのがうれしくてずっと見ていた。

マーラーは10番を完成させずに死んでしまった。10番についてはWikipediaに詳しい。自筆譜はバッハみたいに美しく読みやすいわけではなく、調号音部拍子は省略されていて、16段に書かれたオーケストラ譜は楽器指定も無く、最初はどこを見ればいいのかわからなかった。でも慣れてくると最終的なスコアをイメージしながら書いていることがだんだんわかってきた。3楽章以降は4段になっているけど、それは4手で弾くというわけではなく、スコアを圧縮して書いているということがわかる。

音で聴いてもある程度わかるけど、楽章ごとの完成度の違いというのがよくわかる。第1楽章は省略はあるけど、ほぼ最終稿と言っていいぐらい書き直しも少ないし、小節線もまっすぐで、音符を読みやすく書こうという意図が現れているように見える。一方3楽章は短いのにDa Capo(最初に戻る)で前半が完全に繰り返されていたり、第4楽章では4段譜のうち書かれていない段が目立つ。

特にフィナーレ(第5楽章)では、もちろん聴いてわかるんだけど、あきらかに練られていない。とりあえず一応最後までつないだ、という感じ。第1楽章のクライマックスでオクターブ12音のうちほとんどがトゥッティで鳴らされて、そのあとトランペットだけが残されるという不安のかたまりのような音響が発せられるという場面があるけど、フィナーレではマーラーには珍しく第1楽章のテーマと、そのクライマックスが圧縮されて現れる。フィナーレでのそれを第1楽章の応答とみるには、表層的で物足りなく、問題提起が解決された、という感じにならない。もちろんマーラー自身が第1楽章に対する解決を持たなかった、とも思えるけど、どちらにしてもマーラーらしくないフィナーレになっていて、これが決定稿とはとても考えられない。

マーラー自身はとりあえず一段落させて、これを初稿としてこれからさらに内容を盛り込もうと考えていたんではないか、と思える。フィナーレ以外にも、第3楽章はPurgatorio(煉獄)とヘビーなタイトルがついているのに本体は第1、第2主題を持っているだけで、そのあとDa Capoというシンプルな構成の、たった5分の楽章になっている。これまでのマーラーなら、例えば5番や7番の中央楽章ように、さらに別の対立要素を盛り込んだ上で、Da Capoは変奏されて違う表情を持つようになっていたはず。

それでも、スケッチというほど断片的ではなく、いちおう曲として連続していて欠落はない。そのせいもあってたくさんの補筆版がある。自筆譜を見ながら聴き較べると、それぞれの版がどんな音をおぎなっているのかよくわかる。僕はクック版ホィーラー版マゼッティ版の録音を持っているけど、クック版が自筆譜に一番忠実だということがわかった。あるべき対旋律が、自筆譜に冒頭だけ書かれているときには続きがあるけど、最初から書かれて無いときはあえて鳴らさないという姿勢が貫かれている。また省略された弦楽の和音を補うとき、ワーグナー風の和声と非和声音の組み合わせと解釈するのではなく、不協和音をそのまま鳴らすようになっている。フィナーレで第1ヴァイオリンだけが自筆譜に書かれてそれ以外はないところがかなりあるけど、ホィーラー版なんかはあまりに説明的な和音補充に聴こえてしまう。

ということで、全世界のアマチュアマーラーマニアはこれを必ずチェックすべし。とても面白い。少なくとも半日これで十分つぶれる。


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