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献立03/07 [献立]

東京出張。客先にわたしゃ会社辞めますんで、と伝えるのが目的。東京も寒かった。

仙台に帰ってきて夜は仙台駅前で課の追い出し宴会。参加者は僕を入れて8名で、そのうち5人が仙台近郊から岩手県境の工場まで毎日車で往復3時間かけて通っているので、宴会は年に1回できるかどうか。ということで身内のバカ話に花が咲いた。

身内の宴会なのに「最後にひと言」と言われて、前回大学の研究室の送別会のときに「若者よ数学を勉強せよ」という話がスルーだった、しかし社会人の技術屋でもまだ遅くない、という話をしていたら、宴会場のウェイトレスのあの娘がかわいい、なんて言う話がかぶって最後まで聴いてもらえなかった。スルー以下。しょうがねえ連中だわ。

明日から女房が部屋の片付けを手伝いにやってくる。あと13日....

朝食:
ソーセージ炒め
煮物残り
インスタント味噌汁葱追加
蜜柑
牛乳+コーヒー
0307朝食.jpg

夕食:
宴会メニュー。この時期宴会が多いらしくて見た目はそれなりなんだけど、中身はおざなり。まるでビジネスホテルのバイキングを皿に盛ったようなのが次々出て、メインの鍋は手羽先とつくねが入った見るからにどうでもいいというしろものだった。けどこれでも東京で食うよりは安いだけ全然マシ。
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コメント 6

jun hirabayashi

「若者よ数学を勉強せよ。しかし社会人の技術屋でもまだ遅くない」というお話、いつか拝聴したいものです。
by jun hirabayashi (2014-03-08 08:52) 

decafish

コメントありがとうございます。
いえいえ、お恥ずかしい、そんな大した話ではありません。
学生からはスルーで、会社の技術屋からは話題を変えられるぐらいのものですので。

そう言えば先日の研究室の送別会のとき、東北大の学生は優秀な人が多くて、「数学を勉強しろ」というと、彼らはそれなりに勉強してきていて、数学を道具として使えるならそれで十分だろう、と反論されました。
僕はそのとき酔っぱらった勢いで、そう、道具として使えればいい、しかし、板前が包丁に対するように、数学を自分の道具として愛せないといけない、と話したら、それは違うでしょ、と学生たちに笑われました。

酔っていたとはいえそのとき僕としては、大マジメだったのですが...
by decafish (2014-03-08 22:39) 

paliceco

>しかし、板前が包丁に対するように、
が学生には理解できなかったのでは?

>数学を自分の道具として愛せないといけない
50過ぎてますが、遅ればせながら最近数学に関するものが楽しくて、本を買って読みあさったり、数式を解いたりして数学にはまってます。

decafishさんのブログいつも楽しみにしています。decafishマニアかもしれない(キモイか)。
会社辞めてもブログはやめないで欲しい。
あつかましいけど、横浜に戻ったらサイクリングも復活して、横浜近辺の情景、走ると良いところなども紹介してもらえませんか?(自分がサイクリング好きなので。。。昨年境川を下って江ノ島まで行ったけど割とよかったですよ)
by paliceco (2014-03-12 13:19) 

decafish

コメントありがとうございます。
学生さんたちになんと言えば理解してもらえたでしょうか。「大工がノコギリに対するように」では同じでしょうし、「猫がマタタビに対するように」にでは意味不明ですし...まあ、彼らも歳をとれば僕の言いたかったことは理解してもらえると思うのですが、そのときはすでに遅い、ということかもしれません。年寄りの言うことを若い人にわかってもらうのはやっぱり難しいです。

ところで自転車は震災の後会社との往復に使ったりして何度もパンクを経験しましたが、そのあと路肩の状態がいっこうに改善されないので、疎遠になってしまいました。走るたびにパンクで、作業のすえおそるおそる帰ってくるのではやっぱりつまらなくて、部屋に吊ってある自転車には今では埃が溜まってしまっています。

横浜に戻れば体調を整えて自転車再デビューしようと思っています。仙台に行く前は、僕も同じように境川の自転車道で江ノ島や町田によく行きました。境川は仙台亘理自転車道に較べるとずっとコンディションが良くて快適です。人が多いのが玉にキズですが。というか、仙台亘理が全然ロードバイク向きじゃない....
by decafish (2014-03-12 23:34) 

文系

「板前が包丁に対するように、数学を自分の道具として愛せないといけない」

いわゆる文系の職場におりますが、論理の厳しさを磨くことは、(狭い意味の科学に限定されず)判断の正しさを根底的に支えるものではないか、という気がしております。論理の価値中立性と自律性は、ある事象の必然的な結果を示す機能を有し、そのために未来の予測力を持つのではないでしょうか。
by 文系 (2014-03-14 00:56) 

decafish

コメントありがとうございます。
おっしゃるとおりだと思います。予断に惑わされない論理はひとつの判断を下す上で重要で、その積み重ねによって未来が決定されるわけですから。
しかし、数学に限っていうと、人間の思考を、その思考のしかたにしたがって厳密化したものでしかないので、人間そのものと同じ限界を有していると思います。先日読んだ「四色問題」の証明が「美しくない」というのはその一例のような気がします。
というふうに考えると、「板前が包丁に対するように」というよりは、「犬が自分の匂いの染み付いた毛布を離さないように」、ひとは数学を愛さずにはいられない、ということかもしれません。
by decafish (2014-03-14 12:38) 

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