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「生命を支えるATPエネルギー」読了 [読書]

二井將光著、講談社ブルーバックス。
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しさしぶりのブルーバックス。面白かったか、というとなかなか厳しい。僕はメカニズムそのものに興味があるのでそれなりに楽しんだけど、そうじゃない人には単なる事実の羅列に思えてしまうんではないかしら....

前半はATPがどうやって合成されるか、葉緑素での場合と、ミトコンドリアでの場合をそこそこ詳しく説明して、後半ではそのATPを逆に分解することで得られるエネルギーでイオンの輸送をしたり、筋肉を収縮させたり、胃酸を合成したり、という使われ方の話をしている。

そういったメカニズムの研究から病気の原因究明や医療への応用が各所々々で語られるけど、どっちかというと、それはオマケで、応用に言及しないと予算が取れない、じゃなくて本が売れないので書きました、という感じがしないでもない。

ATPそのものの構造がわかったのが1930年ごろ、ミトコンドリアでのATP合成のやりかたがわかったのが1970以降ということなので、マーラーやドビュッシーはATPの構造を知らずに死んだということになるし、長生きのリヒアルト・シュトラウスもミトコンドリアで何が起こっているか知らなかったということになる。変な例えだけど(2〜3百年のスケールだと西洋の作曲家の生没年で言うのが僕にはわかりやすい。例えばリヒアルト・シュトラウスが生まれた年にMaxwellの方程式が発表されてるとか、マイケルソン・モーリーの実験の論文の年に僕と同じ誕生日のシャガールが生まれてるとか。シャガールは作曲家じゃないな)、ようするにそう言ったメカニズムがわかって来たのはすごく最近のことで、僕の高校の生物学の教科書に載っていたクエン酸回路(クレブス回路)は、メカニズムの解明からほんの20年ほどのことのようである。そんな最新の成果が高校の教科書に載るなんて、物理や数学ではありえない。


この本はATPの話ということになっているけど、実際には細胞膜を貫通したいろんなタンパク質の話である(一部、膜にないタンパク質の話もある)。膜貫通タンパク質がATPを合成したり分解することでその機能を果たしている、というのが本題である。

細胞膜がこんなに面白いものだとはこの本を読むまで知らなかった。そもそもただの石鹸膜の袋ではなくて比較的大きな親水基があるリン脂質だけからできているらしい。水の中では疎水基を内側にして膜になると安定する、というのはわかるけど、リン脂質も細胞質でひとつふたつとタンパク質が合成するんだろうから、自己組織化だけで自動的にそうなるとはあまり思えない。そのままでは疎水基を内側にした小さなミセルになってしまいそうな気がする。それに細胞膜の外側の層にリン脂質を直接追加することはできないはずなので、膜を膜として成り立たせるためにやはりATPが消費されているんだろう。

細胞膜はその面内方向にはほとんど液体で、リン脂質分子はお互いに動き回っている。だから比較的簡単にエンドサイトーシス、エキソサイトーシスというような膜の位相幾何学的な構造変化ができるんだろう。またあまり動き回って欲しくない、ある程度の構造体として安定して欲しいところでは糖脂質やコレステロールが疎水基の間に埋まりこんで、その近傍の粘度を上げて、沸点と凝固点の間隔を広げてるみたいである。

細胞膜は単に内部と外部という位相構造を作るためだけではなくて、水素イオン、物理屋の感覚でいうとプロトンの濃度差を保持するダムの役割を果たしている。プロトンは小さいので拡散の速度は速く、陽電荷のポテンシャルは遠くまで伝わるので、入り組んだ狭いところでも濃度はすぐ伝播する。酵素になるタンパク質は要するに触媒なので、平衡状態では反応は進まないが、プロトンの濃度勾配があると一方に反応が進むようになっていたりするらしい。ATPを利用するタンパク質のうち筋肉以外はたいていが膜タンパク質なのはそういう理由かららしい。

そして膜タンパク質である。数珠つなぎのとちゅうに疎水性のアミノ酸が連続する部分があってそれが細胞膜の内部に埋め込まれることになる。そういったタンパク質の合成も細胞質内で実行されるはずだけど、細胞膜に到達した時点でないとフォールディング(folding)はうまくいかないはずである。また単に親水疎水の違いによるエネルギー差だけでは膜タンパク質はどちらを向くかは五分五分だけど、膜タンパク質が機能を果たすためにはある一定の方向を向かないといけない。フォールディングと同時に膜に埋め込まれて、さらにそれと同時に向きが決められるということだろう。そんなことがうまくいくなんて単に確率だけからだとありえなくて、やはり他のタンパク質がATPを消費しつつ制御してるんだろう。

僕がこの本を読んで改めて面白いと思ったのは、本の主眼とはちょっとずれるけど、スケールに関してである。操作対象は小さな分子だったり、あるいはナトリウムカリウムなどの単原子イオンだったり、さらにはもっとプロトン一個だったりする。それを膜越しに選択的に通過させたり阻止したりするのが分子量$10^4 \sim 10^5$とかいう超巨大なタンパク質である。一円玉一個を運ぶのに10kg〜100kgのロボットアームを使うようなものである。そう考えると不恰好で美しくない。

プロトン一個なんて水分子よりも小さいんだけど、おそらくその陽電荷のポテンシャルは水の分極を従えて大きく広がっていて、だから巨大ロボットアームでも扱えるということなんだろう。

こういう膜タンパク質の働きは進化という試行錯誤の結果たどり着いた方法なので、これが最適解なのか、それとももっといい方法があるのかは、他の進化を改めてたどる以外には神様でさえわからない。そう考えると、不恰好かもしれないけどここまでうまくいくようになったんだ、地球という重力井戸の底で誰にも手伝ってもらわずにここまできたんだざまあみろ、と僕も生物の一員として誇らしく思えてくる。

まあ、逆に言えばそんな巨大ロボットアームが一円玉一個を運べるほど精密なものである、と考えられるかもしれない。でもそれはネットで見かける「日本人はこんなにすごいんだ」という言説と同じという気がする。もし今の宇宙が多様性に対する神様の実験なら、地球の生物は自身を誇りに思っていいと思えるけど、それで驕ってはならない。

ひょっとすると宇宙の他の場所にある、地球に比べて超高温で超高圧の世界では、シリコンを中心にしたずっと小さな分子でタイトな多様性を発揮してるかもしれない。そういう生物はずっと小型の個体が超高速の思考を展開して、地球の生物は大きくて遅くてなんてダサいんだ、プロトン一個に分子量百万だって?うわ恥かし、何するにもmsecなの?やだ〜、とか言ってるかもしれない。安寧な重力井戸の底にいる限りそんなことはわからないので、地球の生物はみな謙虚でなければならない。

本の内容とは関係ないSF的妄想になってしまった。妄想は子供の頃から得意だったけど、この歳になっても同じというのはなんだか情けない。
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