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現代音楽に関するニュース [音楽について]

面白いニュースを読んだ。ドイツ鉄道が駅にたむろするホームレスなんかを寄り付かせないために「無調音楽」を鳴らすという計画があったが、それを取りやめたという。

一体どういう曲を流すつもりだったのか、すごく興味がある。その計画に反対するコンサートを開いたイニシアティヴ・ノイエ・ムジークという演奏家集団の、「そんなもんに使うなよ」と言いたい気持ちはもちろん理解できる。彼らはそこでどんな曲をやったんだろうか。

僕は平均的な人よりは無調などのいわゆる現代音楽に寛大なつもりである。しかしごく普通の人はやはり苦痛なんではないだろうか。げんに僕の周りには、マーラー、リヒアルト・シュトラウスでさえ聴くと頭が痛くなる、と言った人や、ストラヴィンスキーの「春の祭典」に「ああ?なにこれ、うるさいうるさい」、武満徹のギター曲を「わけわからん」、などと僕に投げた人たちがいた。

ましてや、シェーンベルクの12音や、ベルクやリゲティやシュトックハウゼンやクセナキスやなんかは普通の人にとってはもう十分に攻撃的である。僕も、誰の作品だったか、12分の1半音ずつずらして調律した12台のピアノ作品のムービーを聴いていて、めまいと急激な吐き気を催したことがあった。人間の生理に直接、悪影響があるということを実感した。

現代音楽はあまりに高度化されすぎて、音楽的内容を理解したり評価したりということができるのが、訓練を積んだ専門家だけになってしまった。人間のすることはなんでもそうなってしまう傾向があるが、「音楽は人類の共通言語」「音楽は直接心に響く」みたいな幻想があって、音楽だけは一般の人とは無関係な限られたごく少数の人たちのためだけにあってはならない、というような暗黙の認識があるようにも思える。現代音楽はそういうナイーブな思想に対しても攻撃性を発揮する。そして現代音楽の中にはそういう「毒」を意図的に込めたものも当然存在する。芸術とはそういうものである。

僕は、ドイツ鉄道は計画を実行すべきだった、と思う。それは初期的には十分効果を上げるはずである。しかしホームレスたちの一部はそこに居るしかなく、そこに居ると音を聴いてしまう。そして何ヶ月か、あるいは何年かすればそういう音楽に耐性のあるホームレスたちがある割合で現れるはずである。彼らは現代音楽に抵抗がないだけでなく、そのうち音楽として理解し、評価できるようになる。彼らは反芻するうちに慣れ親しんで、知らずしらず現代音楽のボキャブラリを獲得するのである。

イニシアティヴ・ノイエ・ムジークの演奏家たちや現代音楽の作曲たちはあまり理想主義的な反応をしないほうがよかったのではないかと僕は思う。少なくとも現代音楽が音響として空気を震わせる機会は、今も昔も非常に限られている。

そしてイニシアティヴ・ノイエ・ムジークは、耐性を獲得したホームレスたちを新しい仲間として迎え入れたほうがよかったのではないか。少なくともそのほうが今よりも理解者を増やすことができるはずである。

これは皮肉でも冗談でもない。音楽はただ耳に優しく心地よいだけではない、と言うならそれを実証すべきであり、その真の意味を現代音楽の専門家もそうでない人と一緒に考えるべきだ、と僕は思う。そうしないで飯で釣った一過性のコンサートなんかをするほうに僕はむしろ違和感を覚える。
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