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小さい頃の記憶 [昔話]

僕には小さいの頃の記憶はあまりない。ほとんど誰とも話さず、いつもぼんやりしているだけで、記憶すべきことを何もしなかったということだろうと思う。

その子供の頃のほんの一瞬の情景を写真のように夢に見ることが最近たまにある。半世紀以上も前のことで忘れてしまっていてもよかったのに、頭のどこかに格納されていたんだと思うと、すごく不思議というか、なんのためにそんなことに記憶容量を消費しているのか、もったいないと思ってしまう。ついおとといの夜は幼稚園での情景を思い出す夢を見た。たぶんそれが最古の記憶だろう。目が覚めてから芋づる式にいくつか他の情景も思い出した。

忘れてしまっていた大昔のことを急に思い出すのは死期が近い証拠とか言われるが、どうだろう...

うちから幼稚園への行き帰りの道筋は覚えている(高校までその周辺をうろうろしていたので記憶が補強されているんだろう)が、幼稚園の先生や他の園児の顔は全く思い出せない。おそらく先生に何か言われてもうわのそらで、他の園児とも全く会話しなかったんだろうと思う。ただ一人、大柄で力が強い乱暴な女の子、「ドイツ人だ」と言ってたのを聞いたような気もするけど、ひょっとすると僕の思い込みかもしれない、その子に何度かいじめられたのだけはよく覚えている。

僕よりも頭一つ分ぐらい近く背が高くて対面すると見上げるようになっていた印象がある。灰色の綿のような髪の毛をしてるのに眉はなく、いつも色とりどりの派手な服を着て、太い腕にいつも赤い縁取りのミッキーマウスの腕時計をしていた。なにかにつけその腕時計を僕の目の前に突き出しては見ろというそぶりをした。僕は何を要求されているのかわからなくてぼんやりしていると、腕時計の左手はそのままで、右手の拳骨で僕の頭をガンと殴っては別のところへ走っていった。殴られるのは痛かったけどどうすれば殴られずにすむのかは僕にはわからなかった。他の園児にも同じことをしたのだろうけど、皆がぼくのように殴られていたかどうかはわからない。

園庭の端には滑り台とブランコがあって、そのすぐ南側がマンションかなにかでいつも日陰になっていたのを覚えている。遊び時間だったのか僕は一人でブランコを漕いでいると、その子が前に立った。替われ、という意味だったんだろうけどその時の僕には理解できなくて、そのまま漕いでいたら、その子は僕の後ろに回ってブランコの後ろ側停止点でぎゅっとブランコをつかんだ。普通ならブランコに引っ張られてしまうはずなんだろうけど、その子は踏みとどまれるぐらい力が強かったんだろう、僕は前向きに顔から落ちて、鼻とおでこに怪我をした。

冬場は室内のストーブの上にお弁当箱を並べて温めてから食べるようにしていたらしい。窓の結露の記憶があって、どうやらそのころは僕はお弁当の時刻が来るまでずっと窓の結露を眺めていたようである。時間になって僕も自分のお弁当箱をとって自分の椅子に座って箸箱から箸をとりだしたら、その子が近づいてきてなんのためか僕の持っていた箸を手で叩いた。僕は落とした箸を拾ったんだけど、その子が立ったままずっと睨んでいるので、怖くてそのまま顔を下げてお弁当を食べることに専念しようとした。周りの子達が落とした箸を洗わずに使おうとしている、と言って騒いだ。

また、それよりも前の、多分晩秋の記憶だと思うんだけど、幼稚園からの帰り道を一人で歩いていると、後ろからその子が迫ってきた。それまで園の外で出会うことはなかったので怖くなって足早に逃げると、どうやら追いかけてきたようだった。僕はうちに帰ることよりその子から早く逃げたくて、途中にある小さな公園に入って背の低い遊具の陰にしゃがんで隠れた。

今ではあり得ないコンクリート打ちっ放しの、かくれんぼができるようになのか不規則な形に作られた遊具だった。子供の肩の高さくらいのところに四角く尖ってひさしのようにコンクリートが張り出したその下にしゃがんで隠れていた。いつまでたっても現れないので立ち上がると、頭のてっぺんを思い切りその張り出しにぶつけた。すごく痛いので頭を触ると手が血まみれ、着ていた幼稚園のスモックにもぼたぼたと血が飛んだので泣きながらうちに帰った。

頭皮が破れると傷は大したことないのに血は大量に流れ出すという話は本当である。しばらく泣きながら歩いているうちに手はぬるぬるになって、そのうち血が目に入るようになって手でぬぐっては頭を押さえながら歩いた。うちにたどり着く前に着ていた紺色のスモックに血が染み込んでどす黒くなって、前から歩いてくる大人たちが心配してくれるどころか、たぶん血だるまのようになっていたんだろう、後ずさりして僕を遠巻きに避けたのをはっきりと思い出した。

小学校に上がる前にはその子はいなくなっていたらしい。おそらくせいぜい半年ぐらいしか通ってこなかったんだろう。普通の幼稚園児ならとりあえず脅威は去ったと認識して安心するんだろうけど、僕はいなくなったことさえ気づかなかったようで、今思えば大きな環境の変化だったはずなのにその節目の記憶がない。

結局最後まで彼女が何をしたかったのか、ミッキーマウスの腕時計に何をして欲しかったのか、何のために僕の箸を叩いて落としたのか、園の外で何がしたくて僕の後をつけたのかわかっていなかった。もちろん今でもわからない。

そして今思えば彼女だけでなく、全ての場面で他の園児たち先生たちが何がしたくて何をしようとしてるのか、彼らが何かしたとき、その意味は何だったのか、ということを当時の僕は理解していなかったようである。当時の僕はそれを気にしなかったし、理解しようとという努力もしなかった。そもそも、僕の理解できることだとは考えていなかったという気がする。彼女の記憶だけが残っているのは単にその恐怖が印象的だったからに過ぎないだろう。その当時、僕にとって彼女は親兄弟以外で最も接触の多かった人物のはずだけど、その彼女とでさえまともな会話は一言も交わさなかったように思える。



あともう一つだけ思い出したこと、卒園のときだと思うんだけど、園児の劇があって僕にも出番が割り当てられた。セリフは最初の方で一言だけ
「おや、猫さんが来たよ」
というものだった。どんな内容の劇だったかは全く記憶にないけど、本番は親たちに公開されて、僕の母も見に来た。僕の母はそれを見て、僕が正しいタイミングで舞台に現れ、そのセリフを間違うことなく正しいタイミングで発声した、というのをすごく喜んだらしい。夜になって父が帰ってきてそのことを母は報告した。小さな赤いちゃぶ台を家族で囲んで夕飯を食べているときにもずっと嬉しそうに父に話している母の赤い笑顔を覚えている。

夕飯を終えたあと、母の話を聞いていた父は僕に向かって僕のセリフを繰り返した。さらに
「おやねこさんがきたよ」
「こねこさんはどうしたの」
などというオヤジギャグをさかんに飛ばしていたのも思い出した。



僕の幼稚園での記憶はこれがほぼ全てである。
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