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読売日響定期「フラングのストラヴィンスキー」 [クラシック]

読響の第587回定期を聴きに行った。何目当てかと言うとヴァイオリンのヴィルデ・フラング
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いろんなところのオーケストラや放送局がネットで公開しているコンサート録音を聴いていて、若手なのにすごくはっきりした太い音で押しが強いように聴こえた。おそらくゴツイおっさんだろうと勝手な先入観を抱いていたんだけど、あとになってCDのジャケ写なんかで可愛いお姉さんだと知ってびっくりした。見た目と音が全然違うやん、下ぶくれだけど(関係ない)。

これは生を聴いてみたい、とずっと思っていたら、女房がチケットとるけど行くか?なんて言ったので二つ返事で決めた(ピアノとのコンサートもあってそっちのほうがキャラがわかりやすくてよかったんだけど、メインがブラームスのソナタだったので残念だけど諦めた。ブラームスは寝るし)。でもストラヴィンスキーなんだよなあ。ストラヴィンスキーのヴァイオリンコンチェルトって何度聴いても頭に残らないって言うか、ストラヴィンスキーらしいところはあるんだけどどうもぼやけてるって言うか、ちまちましとらんとしゃんとせいや、と言いたくなるような曲だと思っていた。ストラヴィンスキーにはときどき、いや結構そう言う曲があると僕には思える。

そのちまちま協奏曲を、こわもて(もちろん音が)フラングがどうやるのか、というのが楽しみだった....

席はほぼ真ん中のほぼかぶりつき。1曲めのトゥール作曲「幻影」は、長い白玉音と単発的な短い音、クラッシュするフォルテと衝突する微分音、というようなはっきり言って僕のあまり好きではないタイプの曲。ベートーヴェン「コリオラン」へのオマージュだそうだけど、どこがコリオランやねん、という感じ。作曲者自身と思われるおっさんが客席からステージに上がったけど、僕はこの曲を評価しない。

それが終わるとフラングが現れた。思ったよりも細身で長身で下ぶくれではなかった。笑顔は可愛いけど、音を出すと有無を言わせない、という表情になる。ストラヴィンスキーの16分音符の連続を正確に弾いて、1拍のビートとシンコペーションをはっきり区別する。音楽がすごくわかりやすい。しかも決然とした太い音でぶりぶり弾くので輪郭がはっきりしているように聴こえた。この人の音は本当に太い。かぶりつきで近かったというもあるのかもしれない。

そもそもこのストラヴィンスキーのコンチェルトは、やはりこう弾くべきだろう。フレージングの長短による強拍の移動をシンコペーションと捉えずに、ストラヴィンスキーお得意の変拍子だと解釈すると、一見もっともらしいけど、繰り返しばかりで何やってるんだかわからなくなる。オーケストラももっとビートを意識すべきだったと僕は思う。でもやはりこの曲はストラヴィンスキー屈指の傑作、だとは思えない。どこかおざなりな平板な曲という感じがした。やはりフラングはコンチェルトならブリテンかショスタコーヴィチを聴いてみたくなった、というのが正直なところ。

ところで、席が近かったせいもあってフラングは指揮者や掛け合いのあるオーケストラのソロにアイコンタクトを投げるのがよくわかった。その視線が鋭いというか怖いというか、睨んでいるように見えた。フィナーレ中程でコンマスとの掛け合いがあるんだけど、コンマスはその半分以下しか目を合わしていないように見えた。コンマスは現場では忙しいのかもしれないけど。

休憩の後はまず武満。早稲田大学の創立百周年を記念した曲だそうで、武満には珍しい三管フル編成のオーケストラ曲。武満は晩年ふわふわとしたアタックのない休符の多いスタイルになっていくけど、ちょうどそこへの過渡期という感じ。百周年記念のわりにはあまりめでたそうではなくて、最後は重苦しい暗い音色で終わってしまう。「...この作品は希望をあらわしている」(武満徹)とパンフレットにはあったけど、どうもそうには聴こえなかった。

トリはシベリウスの5番。シベリウスの曲はどれもそうなんだけど、ベートーヴェンのように小さな部品を変形させてたくさん組み合わせて全体を作り上げるような理詰めの説得ではなく、ひとつの長いテーマ、まるで言葉がくっついているように感じるほど「歌」の要素が強いテーマを、和声を変えたり音の並びを変えたりしながらゆっくり変形させていく過程で、「なあ、そうだろう?そう思うだろう?」みたいな情緒的な説得力が勝っているように聴こえる。この5番はその典型のように思える。

この指揮者も情緒的に発想しているように感じた。共感できれば納得できるんだけど、そうでないと置いてけぼりになりかねない、という気もした。

でも、金管のなんともカッコいいフレーズが次々現れて、ティンパニのロールやコントラバスのピチカートが腹に響いて、わかりやすいメロディが鳴り続けてはしだいに別のに入れ替わって、最後には朗々としたフルオーケストラのフォルテが盛り上がってその上にそれまで何回か現れた覚えやすいホルンの鐘の音のようなフレーズが浮かび上がって終わる。まるで素材を吟味した鍋を前にして、そこへフグの切り身を次々入れて、全部平らげた後に雑炊で全ての素材のダシを味わう、というようなものである。なんのこっちゃ。

しかし例えばこのホルンの鐘のフレーズをこれだけ取り出して聴いたら、なんかアリガチ、みたいな感じだけど、こうやってナマで聴くと終わった時点で本当に生理的なカタルシスがある。体にも良さそうである。音楽の不思議じゃ。
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