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CDとLPと音楽 [分類してもしょうがないもの]

CDについて書いていて思うことがあった。
CDのおかげでそれまでのLPがいかに脆弱で面倒で不安定でそれに場所塞ぎであるかということに僕らは気がついた。LPの方が音がいいと言う人がいる。さらにもっと、デジタルの音は全然ダメという人もいる。

LPとCDの音の違いは確かにある。でも違うこととどちらがいいか、ということは別次元である。CDは「音が固い」「冷たい」、LPは「暖かい」「人間的」などと言われる。立派な権威ある論文雑誌で「CDでは音程がわからない」なんて発表してる輩もいる。でもそれは趣味半分思い込み半分に僕には思える。

そもそも録音された音楽が本当の音楽と言えるのか、という視点があっていいのではないかと思う。少なくともクラシックとジャズに関して、録音は演奏と言う行為のほんの上澄みを掬っているにすぎない。音楽のうち、現場に居合わせた人間の間に通底するイドの共感とでも言うようなどろどろと形の無い、表す言葉も無い、けど大きな位置を占める底の澱のような部分は奇麗さっぱり抜け落ちてしまう。
録音された音楽は言うなれば音楽の抜け殻、よく言って魚拓みたいなものである。

魚に塗る墨の塗り方の違いはあるだろう。でもそれは所詮魚拓であって魚そのものではないはずである。音楽を聴こうとしたとき、CDとLPなんて枝葉末節大同小異、いい歳をした大人が難しそうな顔をして「こちらの方が音楽としての暖かみが」なんて、考えるだけで赤面してしまう。

抜け殻と飛び去った蝉を、あるいは魚拓と食べてしまった魚を混同する人はいないのに、なぜかCDやLPから出る音を音楽だと考えられていて誰も疑わないのがそもそもの間違い勘違いではないのか?

もちろん一部のクラシック(グレン・グールドがそうだった、カラヤンも意味は違うがそれに近い)と一部のロック(ブライアン・イーノはそうだ)とほとんどのいわゆるJ-Popは録音された音の方を音楽だと自ら見なす。昔もたとえばLPの特性、裏表があって片面15〜30分ぐらいという特性に合わせて音楽をつくることはされていた。最初はビートルズの「アビーロード」から70年代後半のデビッド・ボウイなどが典型的で、アルバムは前半と後半に分かれ、それぞれ別の意図、あるいは別の側面を表すような作りがなされていた。ようするに入れ物に中身を合わせることだ。

僕はいつかCDのサンプリング周波数が44.1kHzであることを前提にした音楽が作られるのではないかと思っていたがまだなさそうである。それでも製作の過程でまったく空気の振動を伴わず、音の波形あるいはデジタルデータとしてだけ存在して実際に音として解放されるのは聞き手の手元のスピーカにおいてだけ、というのも既に存在している。カラオケ伴奏のデータなんてきっとほとんどそうだろう。キーボードからMIDIデータとして入力された後はいろいろな加工を経て通信カラオケメーカのデータベースに蓄えられ、あるときカラオケボックスのMIDI音源に送られてスピーカを初めて鳴らす。

ある面では音楽のめんどくさい手続き、「コンサート」あるいは「ライブ」と呼ばれる多くの人が時間と場所を合わせて行動を共にする、そこには「呼び屋」「興行」などの全く音楽と無関係な、しかし避けられない夾雑物まで一緒に含んでしまう芋蔓式の膨大なあれやこれやをすっとばして純粋な音の作り手と音の受け手を直接繋ぐ手段が「録音」であると言う主張も理解できるし、僕自身もすごく共感する。でもその媒体がCDではダメでLPならいい、とか言う議論にはならない。全く次元の違う問題である。むしろ本当に自分の音を伝えたいと思えばMP3でぎりぎり圧縮しても問題なく聴こえるように僕なら作る。もう既に実際にいるんじゃないか、MP3に一旦圧縮したデータを展開してCDに入れてるやつは。

それでもエリック・ドルフィが最後のアルバムの最後の曲が終わってから言っているように「When you hear music, after it's over, it's gone in the air. You can never capture it again. 」うーん、ドルフィが言うと重みがあるはずなのにサラっとカッコいいなあ。音楽とはドルフィが言うようにもともとそういうものである。でもそのドルフィの音楽は、もう録音を通してしか聴くことができないのも事実である。

CDのサンプリング周波数は20kHz以上が聴こえる人はほとんどいないという人間の聴覚特性から決定された。僕自身10kHzぐらいから上は「シー」と言っているようにしか聴こえないし16kHzから上は何も感じない。それを無視して96kHzまで入れたSACDが意味をなすとは僕には思えない。逆に、5弦ベースの最低弦のHの音は30Hz付近で鳴らしてもベースアンプのスピーカが目に見えて動いてるのがわかるけど音としてはほこほこ言うだけで何の音が鳴ってるのかよくわからないのに、上に和音楽器の音が乗ったとたんに何の音が鳴ってるのかわかる。普通のスピーカが再生しない20Hz以下の音でも、上に和音が乗れば有る無しははっきりわかる。そういう実体験の存在を無視しておきながらスペックとしてだけ96kHzを云々するのっておかしくない?自分で虚心に聴いてみたの、本当に聴きたい音は何なのと訊きたくなる。

CDだLPだ、アナログだデジタルだと言う以前に音楽を発する、それを受け取って聴く、という原始的な視点に立った議論がもっとあってもいいんじゃないか、それはコンテンツ保護だ儲かってるのは着メロだなんていう今時のズレた音楽業界にとってもいいことじゃないかと僕は思うがどうでしょうか?

しかし、じじいは口を開くと文句ばかりだなあ、まったく。


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コメント 2

つるりん

「MP3に一旦圧縮したデータを展開してCDに入れてるやつ」

未確認ですけど、P-Modelの「音楽産業廃棄物」がそうだったかも。
MP3配布を前提としてすべての曲がつくられ、だから4分以上の曲が無いとか。

by つるりん (2008-10-24 17:34) 

decafish

コメントありがとうございます。おおそうでしたか。灯台下暗しとはこのことですね。僕はこのときラップにありそうな気がして(大音量ラジカセで鳴らしてもそれなりに聴こえるように作られているのが多いので)、ちょっとだけ探したのですがそれらしいのはありませんでした。
by decafish (2008-10-26 22:50) 

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