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ロドリゴのギター曲のある問題について [ギター]

こないだのギル・シャハムを聴いて思い出した。

ホアキン・ロドリゴには十数曲のギター独奏曲と数曲のギター協奏曲があるが、ロドリゴ自身はギターは弾けなかった。そこで彼はギターの弾ける友人やギタリストに監修を依頼した。有名な「アランフェス協奏曲」はサインス・デ・ラ・マーサが監修したおかげで、弾くのは確かに簡単ではないが、決して超絶技巧ではなく、ギターを十分に鳴らす効果的な音が選ばれていて聴いても弾いても(もちろんオーケストラ伴奏を整備するのは困難だが)楽しい。あの有名な第2楽章も、再現部直前のカデンツァの最後を除いてクラシックギターを知った人がちょっと練習すれば弾けてしまう。

ところが監修者によってはギターの弾けないロドリゴの選んだ音を尊重するあまり、ギターで演奏するには問題の在る曲もいくつか残されてしまった。「Trois Petits Pieces(サインス・デ・ラ・マーサが監修、以下同じ)」や「Sarabande Lointaine(プジョール)」、「Invocation et Anse(アリリオ・ディアス)」、「Por Los Campos de Espana(イェペス)」などはギターの機能的な特性と音楽性のバランスがよく、聴いても弾いても楽しいが、たとえば「Elogio de la Guitarra(Angelo Gilardino)」、「Junto al Generalife(ベーレント)」などは曲全体に弾きにくさがありそれが決して効果を上げていない、つまり無意味な技巧が多いと僕は思う。

ここで特に問題にしたいのは「Tres Piezas espanolas」という、バッハのリュート曲を除くとギターレパートリーの中では数少ない音楽的内容の高さを持つ(これ匹敵する曲はロドリゴ自身の曲とヴィラ=ロボス、カステルヌーヴォ=テデスコらほんの数名の作曲家の作品のみ)非常に重要な曲である。この曲はセゴヴィアが監修したことになっている(少なくともオリジナル楽譜にはセゴヴィアが運指したとなっている)。

この曲の第1曲「Fandango」はこの

ロドリゴトレードマークの特徴的な短2度をふんだんに含む和音4つのテーマで始まり、このテーマが何度も出て来るが、出て来るたびに調を変えたりニュアンスを変えて多層的に繰り返される。たとえば最初と同じ調(ホ長調)でも

とか

など微妙に構成音が変わる。この曲の最後もこの4つの和音だが

のように違っている(楽譜中にあるダイナミクスやアルペジオの指定は省略した)。

手元にたまたまイェペス、村治香織、Jerome Ducharmeの録音があるがこれらを聴いてみると、3人ともこれらをまったく区別していない。全員がおそらくこのテーマが出て来るたびにすべて

と、弾いていると聴こえる。

非常に微妙な差で音量の乏しいギターではなるべく多くの弦を参加させるという意味では正しいが、これはロドリゴの意思にかなったことなのか。特に曲の最後の和音は楽譜の指定ではあの特徴的な短2度の衝突のない純粋な(ギターで最も良く響く)ホ長調の主和音になっているが、3人とも嬰ニ音を鳴らして終わっている。この最後の音色の差は聴いていて大きい。

このオリジナルの和音の違いの原因として
1.単なるロドリゴの気まぐれ
2.セゴヴィアが楽譜に落とすときに適当に書いた
3.ロドリゴがニュアンスを変化させたくて音を変えた
の3通りが考えられる。もし1.ならギタリストのこの対応(全部統一する)は正しい。また、2.もあり得る。なぜならロドリゴは盲目で出来上がった楽譜を確認することは不可能だったし、セゴヴィアは演奏上の効果や技術的な難易度を優先してオリジナルを変更することをそれほど厭いはしなかった。

ところがもし3.であったなら彼ら演奏家の罪は重大である。ロドリゴはそれぞれの和音のニュアンスを変えたかった。ギターはピアノに較べて音量、音域や音の数では劣るが一音ごとに音色を変えることのできる楽器である。ところがロドリゴはその指定の仕方を知らない(少なくともロドリゴがギターに「sul ponticello」などの指定をしたと言う証拠(ヴァイオリンにはある)は残っていない)。

そこで彼は和音の連続するテーマで、テーマが回帰するたびにニュアンスを変えるために和音の構成音を変化させた、と考えることはできないか? 彼のピアノ曲にそういった例がないか探しているが、残念ながらまだ見つからずにいる。

こんな問題を気にしたきっかけが、そもそもギタリストはあまりに作曲家の選んだ音に無頓着すぎると以前から思っているからである。クラシックのピアニストがショパンの楽譜にこんな音符を見つけたら、それも音ひとつ違っていても「この意味するところは何か」とずっと悩んでいるはずである。そして考えた末、自分なりの解釈を与え、聞き手にも納得してもらう弾き方をするはずである。

ところがギタリストはそうではない。セゴヴィア、イェペスの草創期の大家からして楽譜の翻案改変、どころが自らの勝手な思い込みで音は変える、リズムは変える、でその曲の説得力が増すならまだしも、単に記憶違い、解釈の間違いを平気で放置している場合もかなりある。より若い世代のギタリストたちでもこの調子では、ギターに「色物」というレッテルを自ら貼ってしまっていることになりかねない。バッハに「この音の意味は何ですか?」と訊くことができないのと同じように、ロドリゴにもうこのことを確認することはできない。だからこそ残された我々は楽譜の音を大切にすべきなのに。バッハ協会はそれこそ砂金を採るようにバッハの書いた音を集めた。この姿勢がギタリストには欠けているのではないか。

別にギターに「おげいじゅつ」を望んている訳ではない。しかし、演奏家はまず作曲家の意図を虚心に探ると言う演奏家の原点、演奏家なら当たり前の姿勢を見せるべきではないか、と思う。これがいやならクラシックギターの演奏家をさっさと廃業してロックでもジャズでもやればいい。こっちの分野ではギターはメジャーどころか花形なのだから。


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コメント 4

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てめーうるせーんだよ知ったかがwww
もっと調べて物言え。
by お名前(必須) (2015-10-05 02:19) 

decafish

罵詈しかない。
卑怯者め、むっかつくなあ。

詳しくはわからないが
「素人が何も知らんくせにエラそうに書きやがって、おれはちゃーんと知ってんだぞ、てめーより偉いんだぞ」という意味らしい。

こういうやつのほうが僕よりずっとエラそうだよなあ。

僕はちゃんと相手になってやるし、僕が間違ってたら改めるから、まともに書けよ。わかったか?

by decafish (2015-10-05 12:58) 

98user

音の違いは監修したセゴビアの書き癖ではないかと・・・。
セゴビア編曲のロンド風ガボット(BWV1006)やチェロ組曲(BWV1007)などで同じテーマが現れるごとに和音構成を変えているのが多いので。
また、ロドリゴ本人はアランフェスの演奏で一番イエペスを買っていて、しかも個人的な親交もあったらしいので、イエペスにピアノ原譜を見せることもあったはず(この場合妻のビクトリア=カーミが清書したもの)。
by 98user (2016-05-17 17:09) 

decafish

まともなコメントありがとうございます。
ロドリゴはあまり細かいことにはこだわらなかったみたいで、本人は気にしなかったというのが一番ありえそうです。同じ曲に版(リビジョン)を重ねるということをしなかったみたいですし。

これを書いたあと調べてみたんですが、カタログによるとこの曲の版は1954年のSchott版だけで、僕の持ってる楽譜はSchottの1963年の©マークの入っているものです。1ページ目の左上に「コピーするなよ」というドイツ語と英語の注意書きがあるので、初版ではありません(63年にコピー機は一般的ではなかった)。したがって楽譜としてはこれが最終版とみなしていいと思っていました。
ところがロシアのあるコレクターからもらった楽譜のコピーには同じSchottの1963年版の記載があるのですが、最終小節にDisの音がありました(下からE-H-Gis-Dis-Eの5音)。あとの音符はすべて完全に一致していました。
この楽譜には注意書きはなかったので、こちらの方が古そうです。まったくげせません。しかし、セゴビアや、ましてロドリゴがこの1音を出版後に書き換えるとは思えません。
件のコレクションもかなり怪しいのが含まれているので、無関係な人が勝手に書き換えたということもあるかもしれません。

ロドリゴはもう死んじゃったので、残された音符を大切にしたいと僕は思います。

無礼で卑怯者の最初のコメント主も含めて、この辺りの経緯をご存知の方がいらしたら教えていただきたいと思います。
by decafish (2016-05-17 20:55) 

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