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「黎明の星」読了 [読書]

ジェームス・P・ホーガン著、内田昌之訳。創元SF文庫。 0618hogan.jpg
「揺籃の星」の続編。

あらすじはまあいいとして、ホーガンのこれまでの著作に出てきたアイデアがまた語られる。特に土星コロニーから発達したクロニアの、個人の能力の認知とその能力による相互扶助だけで成り立つ貨幣制度を排除した社会のスタイルは、ホーガンはご執心のようで、以前の「断絶への航海」で最初に語られたのと同じアイデア。科学者技術者がそれぞれの持つ能力を発揮して社会に貢献し、それを他の人が認知することで価値を与えられて、その価値に従って他者からの貢献を受けることができるという、ある面でGNUなどの理想を追求した、科学者技術者の天国でもある。

この社会では金や土地などの財産や政治的権力を持っていても役に立たず、個人の社会への貢献の度合いによって、逆に他人からの貢献を受け取ることができる。徹底した個人主義ではあるけど理想主義的で、僕を含めて共感を感じる人は少なくないと思う。「断絶への航海」を読んだときには強い憧れを感じた。

「揺籃の星」、「黎明の星」では貨幣経済との比較や、この社会に共感しない人たちはどうなるのか、と言う疑問を主人公のキーンの感想として提示するが結局、答えられてはいない。三部作ということなのでこのあとに結論を出すつもりなのかも知れない。

しかし、旧作の「造物主の掟」のザンベンドルフを思い出させるキーンの活劇などはつい、二番煎じ感がいや増した。それにドストエフスキーなんかには決して登場しない180°の人間性の変化や、最後の読んでてあまりの急転直下の解決にはちょっと興ざめしてしまう。

また、前作のヴェリコフフキーネタだけでなく、天体の接近/衝突による重力変動で恐竜が絶滅したとか、木星から飛び出した天体が金星になったとか、昔地球は木星の衛星で当時別の人類が文明を持っていたとか、地質年代は実際よりも何桁も長過ぎるとか、とにかく小説の中にトンデモ説が頻出する。SFとトンデモの違いは何か、というと非常に深遠な問題だけど、ひとつはリアリティの中途半端さ(SFは真っ赤な大嘘だ)と、暗に語る人の優越を支える証拠となっていないかどうか(SFはむしろ語る人を新たな孤独の発見者としてしまう)だと思う。

ホーガンの著作にはほんのちょっとだけど、どこかに人種差別的な臭いを一瞬感じたりすることがある。本書でのトンデモとの相性の良さもちょっと気になる。

ホーガンの「星を継ぐもの」や「未来の二つの顔」「創世紀機械」「断絶への航海」などの科学者技術者の活躍する話を、僕はわくわくしながら読んだ。主人公に自分を投影しながら読んだ、とも言える。どうも近作はそれが保身や傲慢と裏表になっているような気がするのは僕の読み間違いか。ならいいんだけど、「嘘の話いっぱい、良い子のエセエフ」の読後の爽快感とはちょっと違う気がする。


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エムレ

参考になりました!ありがとう。「星を継ぐもの」は以前読んだことがあります。「断絶への航海」は私も好きです。そしてホーガン追悼。亡くなってしまうと、そういう世界観を持っていた人だったんだなあ…と回想モードになってしまいます。
by エムレ (2010-11-20 11:58) 

decafish

コメントありがとうございます。
創元文庫で「追悼特集!」とかいって未翻訳で残っているものの翻訳や、ハードカバーのままのを文庫にしたり、と言うことがないかなと思っていたのですが、どうやらスルーですね。
日本にはホーガンファンは多いと思うのですが...
by decafish (2010-11-21 09:45) 

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