「量子力学の解釈問題」読了その3 [読書]
感想の続きを書くつもりがどんどん散漫になって行く。単に僕が理解していないだけの話もあるだろうけど、何が言いたいんだ。自分でもよくわからない。
EPR相関
なんでこの宇宙に「EPR相関」なんてものが必要になるのか。これも決して遠隔作用など(もちろん誰もそう思ってないだろうけど)ではなく、なんらかのもっと深いところの「つじつま」を合わせた結果のはずだ。そのEPR相関を結果として必要とする「つじつま」ってなんだ?「多世界解釈」はEPR相関を超光速伝達や遠隔作用無しに説明するかもしれないけど、じゃあなぜ宇宙は「多世界」を必要としたんだ?
多世界の「リソース」
多世界解釈も非経済的と言う意味でやはり宇宙を設計した誰かとしては排除しているはずだと思う。分岐して行けばどんどん「リソース」を喰って行くはず(「リソース」がなんなのかはおいといて)。「デコヒーレンス」を起こして実際にあり得る宇宙だけが残るとして、エンタングル状態で分岐した宇宙のうち、あり得ない宇宙になっていらなくなったリソースは回収されるのか?それとも全部の宇宙を含めてエネルギーが保存するように「リソース」は一定なのか?だとすると分岐を起こすたびにひとつの宇宙に割り当てられる「リソース」はどんどん先細りに減ってしまうはず。もし逆に「リソース」を消費せずに宇宙がどんどん分岐できるなら、やはりそれぞれの宇宙が「実在である」とは言えないのではないか(何のペナルティもなく生み出すことのできる実在って「実在」と言っていいの)?
デコヒーレンス
「状態の収縮」なんていう定式化できないものに基礎を置くのはやっぱり心情的に納得できない。それに較べれば「デコヒーレンス」はなんとなくわかりやすい。ちゃんと式を追ったわけではないけど、光の可干渉性とのアナロジーからもイメージを浮かべやすい。でも「デコヒーレンス」が本当に本質的なのか?
例えば、iPodのイヤホンを鞄の中に放り込んでおくと、たいていこんがらがってほどくのに苦労する。これは「こんがらがってない状態」は一通りなのに対して「こんがらがった状態」は無限にあるからほっとけばこんがらがって行く。でもそれは僕が「こんがらがった状態」ひとつひとつを区別できないからそう思うのであって、区別できればそれぞれは「こんがらがってない状態」と何の差もない。
「デコヒーレンス」の原因と言える熱的環境はこの鞄の中みたいなもんだろう。「デコヒーレンス」というのは干渉を起こしていることがわからなくなっている状態なだけでエンタングルしている状態と本質的には何も変わらないんじゃないのかと思う。それともひもがこんがらがるのと違う、本質的に「状態が区別できない」ということが言えるんだろうか?ちゃんと勉強してないのでよくわからないけど、「時間の矢」の話と同じ議論になるよな。
エネルギー保存側
エンタングルする場によっては、エンタングル状態ではこっちの世界ではうまく打ち消し合ってあっちの世界でエネルギーが増える、なんてことが起こりえる気がする(エンタングルによって粒子数が不確定になる状態)。そういうことってないの?それともそういうことがあったとしてもそれは不確定性を超えないという上限があることを原理的にいえるの?言えなければ隣の世界からエネルギーを取り出せるというトンデモになる。
時空の連続性
この本で指摘されている、時空間が連続であると考えることの問題点も理解できる。小さな時空間を指定するためには大きな情報を必要とする。いくらでも小さい時空間を考えられるということは無限の情報が必要になってしまうということになる。そう考えるとなにか時空の最小単位があるべきだという気がしてくる。
朝永さんの「量子力学的世界像」には素粒子が本質的に区別できないことのたとえ話に「電光ニュース」を挙げる。素粒子の運動は電球が次々に光っては消えてそれを追いかけているようなものだという。朝永さんは第2量子化した場が電球の並びで、場が励起されるのが電球が灯ることに対応していると考えていたようだけど、時空はほんとにこういうものでなければいけないような気がする。ただ、単純に時空を離散化して例えば格子にしたとしてもうまくいかないことはずっと前からわかっているらしい。連続でもダメで離散でもダメとするとどうすればいい?
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