SSブログ

「博士の愛した数式」読了 [読書]

小川洋子著。新潮文庫。
0831小川.jpg
僕は偏屈ジジイなのでベストセラーは読まないのだけど、数学ネタということで先日の「フェルマーの最終定理」つながりで読んでみた。あっという間に読み終わってしまった。

自動車事故で前向性健忘になった数学者の博士の世話をすることになったシングルマザーの家政婦から見た彼の生活の話。博士と家政婦と彼女の十歳の息子の三人が中心で、他に博士の義姉と家政婦協会の組合長が出てくるが人柄はあまり描かれない。

博士は「僕の記憶は80分しかもたない」をはじめとして、覚えておきたいことを紙にメモして服にクリップでそこらじゅうにとめてある。博士の専門は数論だったらしく、「君の靴のサイズはいくつかね」「24です」「ほお、実に潔い数字だ。4の階乗だ」など、整数に関する話題をあげる。家政婦の誕生日「220(二月二十日)」と、彼の論文の賞品である腕時計に刻まれた「284(番目の賞)」が友愛数であると指摘する。

家政婦は博士を理解するために人並み程度の努力はするが、彼を理解するためには数論を理解することが必要だと数学の勉強を始める、というようなことはしない。彼が紙に書いた式の意味を図書館に調べにいくことぐらい。家政婦の生い立ちも息子に関連する思い出として語られるが本題とはあまり関係がない。彼女は主人公の一人であるにもかかわらず個性をあまり持たない。息子も同じで貧乏なシングルマザーの子供としてはまじめないいこちゃんに描かれている。どうしても「淡い」「ゆるい」という印象を持ってしまう。

それは当然、博士の個性を際立たせて、さらに読み手が家政婦に感情移入しやすくするためであることはわかる。でもちょっと物足りない。

数論を小説の小道具に使って成功するというのは難しいだろうが、これは上手くいっている。友愛数の話や江夏の阪神時代の背番号28が完全数であることなんかは、先に友愛数や完全数があって、それにお話をくっつけました感が強いけどよくできている。

最初の方で家政婦が他の友愛数を探そうとするところや、見かけた数字が素数かどうかを調べるところは博士の専門が数論だったからエピソードになったけど、関数解析とかトポロジーとかでは話にならなかった。その意味でもうまくいっている。彼女が買い物がてら「私もちょっと、3次元の場合に単連結な閉多様体が球と同相にならない場合があるかどうかを考えてみようと思った」では小説が成り立たない。

まあ、たまにはよかろ。ところで「記憶が80分ももつ」ということはある面では僕よりいい。僕は例えば料理の支度をしていて何かを取ろうと冷蔵庫を開けた瞬間、何を取るつもりだったか忘れてしまってぼー、っと冷蔵庫の中をただ眺めているというようなことが一日に一回は必ずある。ひとつ前の記憶がその次の動作で上書きされてしまっている。スタック深さが1。80分どころか5秒ももたない。

参考文献についこないだ読んだ「フェルマーの最終定理」があがっていた。最後の方でワイルズの新聞記事の話があって、「谷山志村予想」なんて言葉も出てきてそこだけ「数学は教科書を見ただけで寒気がするくらい嫌いだった」というような家政婦の言葉じゃなくなってる。ネタにしたかったのね。


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

献立0903献立09/04 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。