新日曜美術館「孤高の画家・髙島野十郎」 [日常のあれやこれや]
「からすうり」は図版で見たことがあるけど、髙島野十郎のことは全然知らなかった。おもしろい。
絵の写実って写真とは違う。ディテールを描き込もうとすればするほど、筆の運びや色使いの癖が現れて、描いた人物の、その本人さえ意識していないなにか本質的なものがどうしても織り込まれてしまう。だから逆にフォトリアリスティックな「スーパーリアリズム」みたいなものが出てくるのだろう。
髙島野十郎の絵は写実と言いながら描いた人の緊張と集中が画面を支配する。目の前のモデルだけを見てそれを正確に写そう、それ以外は何も描くまい、とすることは対象物を超えてそうしようとする姿勢を描くことになってしまう。言うまでもないことだけど。
髙島野十郎の何が不思議と言って、画面に完全に生活感が欠けてること。そのせいでよけい純粋で孤高の画家というにふさわしい画面になっている。
このひとはよほど裕福だったのか、金に困るという経験をまったくしたことがない絵に見える。放送では裕福な造り酒屋の息子として生まれて東京帝国大学の水産学科を首席で卒業しながらそれらを全部捨てて画家になることを決意したという。
貧乏な家に生まれて苦労した画家は多くてどこかにそういったビンボウクサさが出てしまうもので、見ていて気恥ずかしくなるようなこともあるが、出家僧のような生活だったはずの野十郎にはその手のビンボウクサさが全くない。
野十郎の絵がすごいというのはわかるけど、結局どこか我々とは違うという感じ、最後の最後に親しめないところがあるのはそのせいもあるかも知れない。
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