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「ヴォネガット、大いに語る」読了 [読書]

カート・ヴォネガット著、飛田茂雄訳、ハヤカワ文庫SF。

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ヴォネガットの一冊目のエッセー集。初出のとき(20年前)、ちょっともたもたしてたらあっという間に本屋から消えてなくなったきり手に入らなかった。ヴォネガットが死なないと読めなかった、ということやね。

例のごとく、読んでいて暗い気持ちになる部分が多いけど、こないだの「死よりも悪い運命」よりは少なくて「パームサンデー」よりはちょっと多いという感じ。ヨットで内陸水路を下った経験を書いたところや「超瞑想の導師」マハリシへのインタビュー、降霊術師「マダム・ブラヴァツキー」について書いたところは、いつもの悲観論は影を潜める。

その「降霊術師」や「超瞑想の導師」の話、またヴォネガット宅の近所で起こった女性バラバラ連続殺人事件の犯人と考えられているトーニー・コスタ(自分の娘が彼のクラスメートだった)について書いた部分などは、事実や周りの反応だけを書いて、ヴォネガット自身の結論は書かれない。「降霊術師」や「超瞑想」はいかにも怪しげな話だけど、真贋を断定することはないし、トーニーが真犯人であることに疑問となるような事実や証言も書かれる。読む人によっては「何が言いたいんだ」となりそうな話になっている。

ヴォネガットは書いている対象と、同じくらいの分量を周囲の反応の記述に費やする。「...死体が発見されたとき、シーズンオフだというのに多くの旅行者がやってきた...掘り出しの手伝いをしようというのだ」真贋や真犯人はそういった人たちに考えてもらいたい、と言いたいかのように読める。

また、「アメリカ物理学会での講演」「米国芸術家協会における講演」「ホイートン大学図書館再建の記念講演」「ベニトン大学卒業式における講演」なんかでは、場にそぐわないとしか思えない悲観的な主張を開陳する。

「...そして、もし政府が科学に費やしたお金を取りもどし占星術や手相判断に注ぎこんでくれたら、私たちはずっと安全になるでしょう...いまや迷信のうちにのみ希望があります」と卒業式で話す。「科学的真理」がヒロシマに落とされ、ドレスデンでは街全体が焼け落ちたというのである。

図書館再建の記念講演では「...つまり、善と悪との戦争において、われわれはいつも、全く自然に、善の側に立つという幻想です」無条件に敵は悪であり味方は善であると言う常識を考え直せ、と話す。

これではさぞ主催者側の顰蹙をかったであろうと思われるが、その辺りの話は出てこないし、講演料もちゃんと手に入れいるようである。講演前に草稿で読んで不快になったという芸術院院長はヴォネガットに対して「しかし、ご心配には及ばない」「あなたがなにを話そうと、だれも聞きはしません」

これで未読のヴォネガットはほとんど無くなってしまった。前にも書いたような気がするけど、シュヴァイツァーだったか、「バッハを知らない人は幸せである。バッハを知る喜びをこれから味わうことができる」云々という話があったが、ヴォネガットを知らない人は幸せである。羨ましい。「ゆりかご」や「タイタン」「朝食」「5」を初めて読んだときの何とも言えない気分をもう一度味わいたい。


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