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ショスタコーヴィチ「ベルリン陥落」の音楽 [クラシック]

これは年明けに横浜モアーズのタワレコで買った。Naxosのマルコポーロレーベル。アドリアノ指揮モスクワ交響楽団。 0114berlin.jpg
まるでショスタコーヴィチのオーケストラ曲ばっかり買っているようだけど、それはたまたま。

ショスタコーヴィチが担当したソビエト映画用の映画音楽をあとから組曲としてまとめたものらしい。出版されたスコアでは8曲だったのを指揮者のアドリアノが手書き譜に遡ってまとめ直して16曲になったとある。よくわからないけど、大オーケストラに混声合唱、児童合唱まで入る壮大な組曲になっている。

作品番号が82なので交響曲10番や24の前奏曲とフーガとおなじころ。雰囲気は全然違う。

映画の中身はWikipediaでも参照してもらうとして、当時ならいざ知らず、今では素直に楽しめる映画とはとても思えない内容らしい。もちろん僕は見ていないが、駕籠真太郎の漫画のおかげで見た気分になれる。

映画の内容もさることながら音楽もすごい。明るくて勇壮なホルンのユニゾンのテーマのあと金管の華やかなコラールが続く。例の「森の詩」みたいな児童合唱があったり、スターウォーズ風の戦闘場面や、交響曲7番で揶揄したばかりの軍隊行進曲が連続する。

そしてスターリンがベルリンに降り立つところでは壮大な混声合唱のあとトランペットの輝かしいテーマが鳴り響く。最後は合唱とオーケストラが主和音を大音量の白玉でのばして終わる。

ショスタコーヴィチはこれを書く直前にジダーノフ批判の攻撃対象にされ第1回ソ連作曲家同盟会議(なんじゃそれ?)で公式に自己批判させられる。そのあとモスクワ音楽院の教授職を解雇され、自作の演奏も禁止されるという目に合う。つまり突然収入が途絶えたということになる。

当時のショスタコーヴィチの周囲の状況がどんなものだったか僕には想像もつかないけど、まず生き残ること、それから生活することを優先するしかなかったのは理解できる。プロパガンダ映画に参加することは自己批判していることを見える形にして、そのうえとりあえずの生活の糧も得ることができる最善の選択だったのだろう。

ショスタコーヴィチを批判した連中は、これをよしとして「スターリン賞」なるものをショスタコーヴィチに与えている。その前の交響曲9番を形式主義だと批判して、「ベルリン陥落」の音楽を評価する、その愚劣な無神経さを考えるとやりきれなくなる。

ショスタコーヴィチの音楽はその評価にふさわしく、無内容で愚劣なもの。でも、ふくよかによく鳴り響くオーケストレーションで、安定感のある明るい音色で全編(戦闘シーンの音楽でさえ)満ちていて、彼の交響曲によく出てくる悲鳴のようなピッコロや叫ぶような金管楽器なんかの痩せた音色は全く出てこない。僕は昔、ショスタコーヴィチのあの痩せた音色はオーケストレーションが下手なせいなんだろうと思っていた。「ベルリン陥落」を聴くとオーケストレーションの技術は並以上で、交響曲のあの痩せた音色はショスタコーヴィチがそう望んだ結果だということがわかる。

余白に入っている「忘れがたき1919年」の音楽も同じように愚劣極まっている。あるいは「ベルリン」よりひどい。それこそスターウォーズそのままの出だしもあきれるけど(もちろんスターウォーズの方がずっと後でショスタコーヴィチが真似したわけではない)、途中の「赤い丘への猛攻撃」は安っぽいハリウッド映画音楽作曲家がラフマニノフのピアノ協奏曲のパクリでもやったかのような音楽。聴いていて本当に悲しくなる。

どう思いながらこんな音楽を書いたんだろう。「ベルリン」にはショスタコーヴィチお得意のダブルイメージが埋め込まれているという解釈もあるらしい。聴いていて全然わからないけど。

でも本当に愚劣なのは音楽ではなくて、ショスタコーヴィチにこんな音楽を書かせた状況の方だと言うべきなんだろうな。


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