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「すべてがFになる」読了 [読書]

森博嗣著、講談社文庫。
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娘が貸してくれたので読んだ。
巻末の解説にもあるが「理系」ガジェット満載のミステリ。

僕はミステリ小説を読まない。謎解きが主眼でそこに問題意識が見当たらない、と昔思ったから。SFにもミステリ仕立てのものがたくさんある。それらがミステリ小説ではなくSFたらしめているのは問題意識だと今でも思っている。

「すべてがFになる」はある国立大学の工学部建築学科の助教授の犀川創平とその恩師の娘である西之園萌絵が、物理的に孤立した私立研究所の中心人物である真賀田四季博士の殺人事件にたまたま巻き込まれる話で、最後には犀川が事件を解決する。

ミステリにありがちなご都合主義(主人公がたまたま何度も重要な現場に立ち会う)はおいといて、主人公を含めて多くの登場人物が理系の人間で占められている。SFでは無自覚に多くある設定だけどミステリでは珍しいらしい。登場する多くの理系的な人物がステロタイプ(典型的にはマッドサイエンティスト)でないのが好ましい。著者自身が国立大工学部の助教授で彼にとっては日常的な状況なんだろう。

いわゆる密室殺人ものとでも分類できるんだろうか。その謎解きは「んなあほな」という印象があるのと、重要な1点あきらかな矛盾が解決されないまま終わることや、研究所長と四季博士の関係が読んでいて納得しにくいし、一貫しない記述(例えば「彼『も』白い手袋云々」とあるのに手袋の話題はそこが初めて)がところどころあったりして、それほど緻密な感じはない。

また、脱稿が95年なのでしかたがないのかもしれないが、謎解きの鍵のひとつであるプログラミングの問題がつい気になる。当時のウィンドウズは16ビットCPUだったのでインテジャは16ビット幅だった。でもunixのワークステーションやMacは32ビットインテジャだったし、OSが供給する時刻の最長は秒単位だった。時刻としてのhoursは秒(あるいはもっと短いclock_t)からライブラリ関数を使って変換しなければならなかった。

さらに当時からunixではOSが管理するリソースの多くに対して時刻を一意性の保証に使っていたので、時計を進ませることは簡単にできたけど遅らせることには大きなペナルティ(たいていの場合リブート)がついていた。

このへんはあまり書くとネタばらしになるのでやめよう。

95年と言えば忘れもしない、会社であっという間にウィンドウズがはびこった年。その当時僕は会社でunixのワークステーションかMacを使っていた。その前の年までセクションペーパに鉛筆でひとつひとつ点をうってグラフを書いていた連中がウィンドウズのエクセルで作るようになった。横で見ていてどっちが効率的なのかよくわからない場合もあったけどあっという間に職場で広がった。
僕よりひとつ下なだけの著者はその当時どのように感じたのだろう。当時の状況が本書には反映している(机の上には「ワークステーション」と「Mac」と「パソコン」がある)と思われるが、残念ながらそこまではわからない。

殺された真賀田四季博士が希代の天才で西之園萌絵も回転の速い天才的な頭脳の持ち主であると書かれる。でも四季博士の描写は少なく、萌絵はただ整数の暗算の速い富豪令嬢でしかない。
犀川は萌絵に2の16乗を暗算させているが、僕や著者の世代のプログラミング経験者なら2のベキは65536ぐらいまでは切りのいい数字として覚えてしまっているのが普通だろう。

理系ガジェット満載ではあるけど、僕みたいなガチガチのしかも五十過ぎてまだ現場にいる骨董品のような理系人間には、物足りないな。

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