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「0と1から意識は生まれるか」もうひとつ追記 [読書]

読み終わったばかりの本への突っ込みの3回目。あと残りの「時間」に関して。

「時間の矢」については僕もわからない。

第4章と第5章は「時間の矢」について考えている。ここの話は同じ著者の集英社新書「時間はどこで生まれるのか」と基本的には同じ。著者の結論は「人間の意識が作り出している」というものらしい。僕にはこの結論は納得いかない。

まず、「時間の矢」がいわゆる「エントロピーの増大」によって作られているという俗説に疑問を呈する。確率的にあり得やすい方向へ時間が流れているわけではない、という。

インクを一滴コップの水の中に落とすと拡散していく。それはエントロピーの法則に従っている。ではコップの中に一滴のインクがある状態の過去はどうか。Newtonの運動方程式に従うと、ちょうどそのときそこにインクが集まるようなインクの分布になっているはずでそれはインクが拡散した状態に他ならない。だからエントロピーの法則が「時間の矢」を決めているわけではない、という。

僕には「インクを一滴落した」ところで不連続でNewtonの法則に従って過去にさかのぼるのはおかしいような気がするんだけど、もうちょっとわかりやすい別のシチュエーションを考えてみる。

部屋を二つにわけ、白い気体と赤い気体を充填し、その後部屋のしきりを取り除く。そうするといずれはピンクの気体で充満した部屋になる。これはエントロピーの法則そのまま。これは「時間はどこで生まれるのか」に出てきた思考実験。

1117coloredbox.png
ここで両方に赤い気体を充填して同じことをする。この場合はエントロピーは増加しないと言う。しかし、もし気体の分子にひとつひとつ通し番号をつけられたとしよう。つまりすべての気体分子が区別されたことになる。

このとき二つ目の場合の両方が赤い気体の場合たしかに赤いままで変化は見られないけど、例えば右の部屋にあった1番という分子はひょっとすると左の部屋にいるかもしれない。つまり混ざりあっている、ということでは最初の白と赤の場合とかわりはない。なぜエントロピーが違うのか。

ではもっと大きな分子でこの白と赤、赤と赤の部屋を作ったらどうなるか。気体にはならないので溶媒に溶かす必要はあるけど同じこと。例えば碁石でやればいい。白と黒の碁石の場合と全部白の石の場合を比較する。そしてこっそり白い石に全部小さな通し番号をつけておく。全部白の場合エントロピーは同じと言えるのか。やはり白石ばかりでもエントロピーは増加しているのか。

「時間はどこで生まれるのか」では
以上の思考実験から言えることは、秩序か無秩序かという判断には、そこに人間の価値基準が入り込んでいるということである。
....
さて、そんなわけであるから、エントロピー増大の法則を、時間の向きの源とするのは、ますますためらわれるわけである。
などとなっている。

僕はそうではなくてたくさんの分子や原子が本質的に区別できない、という統計から来ていると思う。この問題は分子が見分けがつく、という前提があるからで気体としてヘリウムを使うとそもそも量子統計から原理的に区別できない。ヘリウムでなくても小さな分子であれば区別することが原理的に不可能である。つまり小さな分子に個性はない、通し番号をつけて区別することはできない。そこに人間の判断の入る余地はない。だから赤と赤の部屋のしきりを開けてもエントロピーは変わらないのは自明。

今回読んだ本にはペンローズの「ハーフミラーの思考実験」というのもでてくる。
1117halfmirror1.png
Lから出た光子がハーフミラーMで50%の確率でAに反射され、残り50%が検出器Dに届く。これの時間反転はDから出た光子は50%の確率でLに行くけどもう50%は全然関係ないBに行く。これは時間について対称ではないという。またLから出た光子がDに届く確率は50%だけど、Dに来た光子は100%Lから出てる、これも対称ではない、と言っているらしい。あたりまえでそれがなんで対称でないことになるのかよくわからない。Aに向かった光子も時間反転したときに考えに入れないといけないと思う。ではどうすればいいのか、というのはよくわからないけど。

こんな難しい場合を考えなくても古典的にハーフミラーの時間反転を考えてみる。
1117halfmirror2.png
ハーフミラーは高い屈折率(具体的には4とちょっと)の結晶の界面でできているとする。その界面に45°で入射するs偏光の光はそこで50%反射し、50%透過する。この結晶で板を作って反対側には反射防止膜をつければs偏光に対するハーフミラーになる。

この時間反転を考えてみる。DからとAから光が来る。

詳細は省略するけど、電場の位相を考えると透過光は入射光と同じ、反射光は屈折率の低い側(入射光と反射光が屈折率の低い媒質の中)では位相は同じで、高い側では反転する。

ハーフミラーの境界面でDからとAからの光の電場の位相がぴったり同じで、強度が1/2のとき、Dからの透過光とAからの反射光は位相が一致して足しあいLに届くが、Dからの反射光とAからの透過光は位相が逆で打ち消し合い、Bには行かない。従って時間反転は成り立つ。

違っているのは、Lから出たときは位相や強度がどうなっていようとAとDに別れるが、それを反転させたときは、強度がちょうど同じで位相もぴったり一致していないといけない。実際にやろうとしたとき、Lから光がでて二つに分かれるのはほっといてもなるけど、逆のちょうどLにだけ行ってBには行かないようにするには非常に困難な調整をしなければいけない。これは「どちらが実現しやすいか」という見方をすればエントロピーの増大と同じことを言っているように思える。

全く別の話だけど、クラマース・クローニヒの関係という、物性屋にはおなじみのFourier領域の誘電率の実数部と虚数部の関係も、線形な応答をする「なにか」が因果律を満たす、という非常に緩い条件から導くことができる。この場合の因果律とは未来がさかのぼって現在に影響しないという意味で、ごく当然に見える。クラマース・クローニヒの関係はエリプソで屈折率なんかを測定するときに利用するけど、これは実にうまくいく。これは時間が非対称だ、と言っているように僕には見える。これは人間がどうみるか、にはよらないように思える。

僕には人間の認識とは無関係に「時間の矢」あるように思えるんだけど、どうだろう?
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