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「虐殺器官」読了 [読書]

伊藤計劃著、ハヤカワ文庫SF。
0324虐殺器官.jpg
こないだ読んだ「Self-Reference Engine」といろいろなところで引き合いに出されていたのでつい、買ってしまった。「Self-...」と違ってジジイでも読んで理解できた。思いがけず実に面白かった。

すごく理屈臭い小説。しかしその理屈っぽさがこの小説を単なる軍事サスペンスやギミックフルな小道具SFではなく、骨太の思索的なハードSFにしている。

テロ集団が核兵器を使ってサラエボをクレータにしてしまった近未来、アメリカ情報軍特殊部隊のシェパード大尉は次々に暗殺作戦をこなしてきたベテランではあるが、実はまだ迷いを持った若者で悟りきれずにいる。彼が作戦行動をとった国でのテロや虐殺現場にいつも影のように存在していたジョン・ポールという米国人に対する暗殺命令が下る。どうやらその人物が虐殺を先導しているらしい、なんて言う話で始まる。

この人はいかにも几帳面な文体で、こないだ読んだ円城塔の文章は空中に漂っているような感じだったけど、こっちは日常の皿や茶碗のような木や瀬戸物の感じがする。触ると固いけど、テーブルに支えられなければ落ちて床に転がってしまう。

話の中心はジョン・ポールが「なぜ」「いかにして」大量虐殺を先導することができたのか、ということなんだけど、物語の最後にジョン・ポールがシェパード大尉を拉致して冥土の土産に種明かしをて終わる、「それはこういうことなんだよ、明智君」というようなありがちな話にはなっていない。

物語はシェパード大尉の一人称で語られる。彼は仕事としての殺戮や同僚の自殺、自分の母親を死なせた経験などから一人思索を重ねる。スパイとして近づいたジョン・ポールの元恋人との議論や、物語のちょうど真ん中あたりで彼女と一緒にジョン・ポールの一味に拉致されて彼自身の言葉も聞き、「あんた、狂ってるよ」と伝えながら実は内心その正気を疑っていないことに自分で愕然としたりする。

何度か他人に訊かれて念を押すように「僕は無宗教です」と主人公は答え、「...哲学にとってテクノロジーは重要な要素ではなかった。...哲学は(テクノロジーに対して)いまだ知らんぷりを決め込むばかりだった」などと語っているているように、「なぜ」「いかにして」は宗教や哲学によって説明されるのではなく、集団遺伝学や複雑系物理学、言語学などのハードな論考によるアプローチによっている。「ことばは、純粋に生存適応の産物だ」「良心は進化によって選択的に強化される」「サピア=ウォーフの仮説は嘘っぱちだ」などといった独白や議論を積み重ねてシェパード大尉は「いかにして」に近づいていく。このあたりをちゃんと書くとネタバレになってしまうのでツラいところ。論考の最後の部分には飛躍があるがそこにかえってSF臭があったりする。

黒い薄板型のステルス飛行機「海苔」や動物の筋肉でできた「侵入鞘」、ナノマシンによる迷彩などSF小道具は盛んに現れるし、特殊な訓練やそれによる任務の遂行のディテールも書き込まれていて、そちらに目を奪われると小説のテーマである「なぜ」「いかにして」をたどることは難しくなってしまって、その結果「結末に説得力が弱い」という評価になってしまう。そういう評価に到達した人は、なぜ著者がこの物語を一人称で書いたかをもう一度考えてみてほしい。

僕はこの小説をSFとして高く評価する。しかし著者の伊藤計劃は昨年ガンで夭逝したそうである。非常に残念であるが、こればかりはどうしようもない。そのことはこの本のテーマとも関係がある。ご冥福をお祈りする。

ちなみに僕は、この本に言及のある「サピア=ウォーフの仮説」はある面で正しいと思っている。思考は言葉の機能そのもので非言語的思考なんてものは存在しないと僕には思える。そもそも人間の思考そのものが偉そうなものではなく、厳密な論理に基づいていない、非常に曖昧で限定的なものでしかないと思っているので例えば違った言語がどのようなカテゴリの差を表すか、なんて言うことはたいてい測定不能に陥ると考えている。例えば仮説の反証としてよく取り上げられる色を分類する言葉を持たない民族が色を見分けることができるなんて言う実験で何が言えることになるのか。猫が見分けられたらなんと言うのか?

もちろん普通の単語で表現されない言語はあり得る。例えば数学の式は限定的だけど表現力が高くて非常に少ない語彙で多くのことを表すことができて、それを普通の言葉の組み合わせに翻訳すると煩わしいものになってしまう。これを非言語的思考と呼ぶか、というと発音はできないけど頭の中に記号の組み合わせとして存在して言葉と全く同じ機能を果たしているように思える。その点から言うと数学は便利な言語ではあるけど限定的で(必ず非定義語を含んだ形式論理でしかない)厳密に言えば曖昧さを含んでいて、普通の言葉と質的な差はない。

このあたりの議論はこの小説の「いかにして」の重要なポイントとなっている。著者の考えを訊いてみたかった。文庫が出てから読んでいるとたまにこういう取り返しのつかない手遅れになることがある。
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