SSブログ

音楽と言語 - その2 [音楽について]

僕は文字通り音楽は言語だと思っている。そういう話を始めた。昨日は言語がもともとどんなものでどうやって進化したと僕が考えているか、を説明したつもり。チョムスキーさん、反論があるなら聴こうじゃないか。

3  ではつまり「言語」とは?

他の人や専門家がどう考えているかは知らないが、言語とはシンボルの単なる集積である。シンボルがたくさん集まってそのシンボル間に「位相」のような関係が定義されたとき、そこに連想によって「似た者同士」がなんとなくできあがってくる。例えば「丸いもの」「赤いもの」「速いもの」といった集合である。もちろん最初はその「丸い」「赤い」といった言葉はなく、ただいろいろな丸いものが列挙されているだけである。類別とはデータベース上で連想でつながった「似ている」「近い」と認識されたパターンを持つシンボルの集合である。「カテゴリ」という言い方をしたいけどこれは他の意味に使われるのでやめておく。

そして、ひとつのシンボルはいろいろな類別に所属している。例えばリンゴを見て「赤いもの」を連想するがそれ以外にも「丸い」「食べられる」などにも所属しているということになる。

類別にまた名前を付ければ高次の関係が表せることになる。そうやって複雑化していったものが人間の「言語」である、と僕は考えている。

3.1  「言葉」以外の「言語」

ここでいう「シンボル」とは言葉に限らない。対象と単純な対応を示す脳の中にある「何か」でいい。言葉はその一番簡単なもので、簡単であるが故に処理は速く、いろいろなことに使い回すことができる。しかし言葉以外のシンボルも存在していると思っている。例えば数学の式である。記号を発音することで言葉と置き換えることができるが、単に言葉に置き換えただけではその性質が理解できるわけではない。代数規則と言う操作(僕のイメージとしては動作に伴う「動詞」)が内包されているシンボルである。

ここで言葉以外の言語を表すために一般に「言語」と言われているしゃべったり聞いたり書いたり読んだりして情報伝達や思考に利用している言語を「言葉」ということにする。

例えば自然数aといったとき、数えられるものというふうな性質が付加されたシンボルを思い浮かべている。またベクトルAといったとき、要素を持っているようなもの、さらにその要素が一列に並んでいるもの、といった性質、というか単なるイメージが伴っている。このぼんやりとしたイメージのおかげで例えば
0909eq1.png
といった式を見ただけで言葉で表すよりずっと速くその意味がイメージとして把握できる。また、
0909eq2.png
は式を見るだけで心理的な抵抗があらわれる。これは文字で代表した頭の中のふたつの代数シンボルが性質の違うもの(自然数とベクトル)であることが原因である。それはaAといった文字に付随するものではなく、言葉で表されたものではない。厳密に言うならもとは言葉だったかもしれないが、頭の中のシンボルは代数規則のイメージとして格納されている、という感じがする。

これは何度も読んだり書いたりした結果、蓄積されたものですなわち頭の中のデータベースであって言葉を覚えるのと同じプロセスである。単なるデータベースと考えるひとつの理由として
0909eq3.png
は自然数aとベクトルAの積という意味では同じことを表しているが、2番目の方には抵抗がある。これは単に2番目の書き方をすることが少ないからでこれは代数規則のイメージが単なるデータベースでしかない、ということのあらわれだと思う。

代数規則のシンボルは文字や言葉と同じデータベース上にあるが、代数規則のシンボルは直接対応する言葉を持っていない。従って翻訳には回りくどい表現が必要になる。もちろん回りくどいが代数規則を言葉に翻訳すれば単なるイメージが意識化できる。しかし、代数変形が連続するような一連の式を、いちいち言葉に直していたら時間がかかるが、式を目で追うだけで何をしているかはわかるし、そのほうが的確な場合が多い。

例えば、簡単な例
0909eq5.png
なんていうほとんど自明の代数変形も、言葉で追おうとすると非常に煩わしい。

ということでこういうものと音楽は同じである、といいたいわけである。続きは明日にする。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

献立09/09献立09/10 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。