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最近の音楽状況 [音楽について]

一般的な話ではなくて僕自身の周辺について。ジジイなのでアンテナの低さは地を這うよう。したがって実質的な情報源は女房だけ、ということになってしまっている....

しかも震災以降、主催者側の問題もあって面白いコンサートに接する機会もめっきり減った。最後に行ったのはメルニコフのショスタコーヴィチ(これはすばらしかった)で、次はもうラ・フォル・ジュルネの紗矢香ちゃんになってしまう。

女房はどこからかつぎつぎCDを手に入れている。先週帰ったときにヤルヴィのドイツレクイエムとかクルタークの「JATEKOK」とかイザベル・ファウストとアバドのベルクとベートーヴェンのコンチェルトのCDを借りた。とくにファウストのベルク(ちなみにジャケ絵はファウストの横顔ではない)はよかった。ファウストがベルクを弾くとは思ってなかったけど、むしろベルクに合ってるといっていいほどよかった。少なめのビブラートで音程がわかりやすくてその結果、調性のあいまいなところに光に照らされるように調性的なフレーズが明確に浮かび上がる。アバドもまるで昔とは別人のような陰影が深くて神経の行き届いた細やかなサポートを聴かせる。もともとこの曲は短2度が衝突するような音はほとんどなくて耳に優しいし、集中して聴くと深みのあるいい曲だと僕は思う。

でも、ベートーヴェンのほうは気に入らないところがある。カデンツァがこれまでよく使われていたクライスラーのものではなく、ベートーヴェンがピアノに編曲したときに書いたものをヴァイオリンで弾いている。最近特に古楽系の演奏家がこれを使うことが多いらしい。僕が知ってるだけでもコパチンスカヤが弾いている録音を聴いた。

僕は前からクライスラーのカデンツァはすばらしいと思っていた。ベートーヴェンの特にこの第1楽章に、個人的内省的な面を付け加えることで曲に深みを与えている、僕は思っている。ファウストの弾いたカデンツァはオリジナルに近いと言う意味では正しいかもしれないけど、「個と全の対比」の鮮やかさという面ではクライスラーのものが優れていると僕には思える。この先例があったから、ショスタコーヴィチは彼の1番のヴァイオリンコンチェルトのフィナーレ直前のカデンツァをこう書いたのではないか、と僕には思えるほどである。

また、女房から聖トマス協会のマタイ公演に半額券が出た話を聞いた。僕には非常に残念である。聖トマス教会ではバッハがカントールをしていたときにカンタータや受難曲を量産した。今でも当時の編成で、つまり合唱のソプラノとアルトは少年合唱が使われている。教会の八百年記念の年で日本に来ることになったけど、震災と原発事故のせいでたくさんのヨーロッパ人演奏家がキャンセルする中で、合唱団の構成員全ての親の了解を得て(むしろ望んで)日本に来たらしい。なのに日本での客の入りが悪いと言うのは情けない。

もちろん、原典的な演奏が音楽的にすばらしいか、といえばそうではないという面もあるけど(今ならatreでまさしく現地でやったマタイが聴けて、必ずしも現代最高の演奏ではないことはわかる。ところでこのarteでは「Er Barme Dich」のアリアで切れて、あとが聴けないんだけど)、僕としては去年他人のキャンセルの穴埋めをして日本のあちこちをまわった件のファウストをはじめ、あえて日本に来て演奏しようと考えてくれた音楽家がレディ・ガガだけではないということに、僕らなりに応えるべきではないか、とも思う。
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