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「ZOO CITYズーシティ」読了 [読書]

ローレン・ビュークス著、和爾桃子訳、ハヤカワ文庫SF。
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SFじゃないし、あまり読みやすくはなかったけど、そこそこ面白く読めた。

現代の南アフリカ。遺失物を探す仕事をしているジンジ・ディッセンバーという若い女が、行方不明になったソングウェザ・ラデベという少女を探すために雇われる。ソングウェザは「iジューシ」という双子兄妹のポップソンググループの片割れで、警察や探偵より「慎重に」ソングを捜索するためにプロデューサのハロンという男がジンジを起用することになった。

南アフリカだけでなく全世界的に数十年前から、重犯罪者はそれぞれ一匹の動物と共生関係になり、それによって超能力を得る、という現象が起こっていた。ジンジも兄殺しを犯し、ナマケモノと共生することになり、人を見るとその人が無くした物とそれを繋ぐ糸がイメージできるという超能力をもつことになった。

リハビリ(懲役施設)を出てからジンジはその能力を使った仕事や、金持ち相手の寄付金詐欺なんかをして、やはりマングース連れの彼氏と同棲しながら生活している。ヨハネスブルグのズーシティと呼ばれる地区はそういう動物を連れた犯罪者の多くが暮らす場所である。

ジンジは生前(共生前)にジャーナリストだった経験とそのころの彼氏の人脈を利用して聞き込みをすることから捜索を始める。


動物との共生と超能力という設定はSF的だけど、最初に書いたようにこの話はSFではない。ストーリはジンジのソング捜索という一本の糸はあるけど、彼女はその超能力を発揮するわけではなく、ラデベ兄妹の後見人から友人関係を訊いたり、ジャーナリストと騙って音楽業界の人間に探りを入れたり、ソングのボーイフレンドがいたリハビリへ行ったりと、探偵顔負けの地道な捜査を続ける。この本の面白さは、そういったストーリにあるわけではなく、ズーシティ、あるいは南アフリカという社会のディテールにある。

なぜ重犯罪が動物と結びつくのか、なぜ超能力が得られるのか、はまったく説明が無い。犯罪を犯した直後に自然に動物と結びつくらしくて法律や社会的制裁とは無関係みたいだし、動物とは一種の共感あるいは憑依で結ばれて、超能力はその結果であるらしいことや、動物との関係がこじれると「逆流反動(アンダートウ)」という精神的外傷に襲われるらしいことが断片的に記述される。また、超能力はアフリカ的な黒魔術と結びついているようにも書かれている。黒魔術はストーリ上は物語終結のための鍵でもある。いっぽうでジンジ以外に動物連れが大勢でてくるが、彼女以外の超能力はほとんど描かれない。

僕はもちろん南アフリカに行ったことはないし、知識としてもアパルトヘイトとマンデラ大統領、ダイヤモンド鉱山、それと領土が単連結でない(どこかの国を卵の白身のように包んでいる)ことぐらいしか知らないので、この本に表された南アフリカがどこまで正確なのかはまったくわからない。

この本の中のズーシティは毎晩路上では殺人が起こり、公共のものであろうが私物であろうがあらゆる設備は略奪の対象であり、そのため完全に機能する機械は存在せず、売春婦とヤクの売人がいたるところで商売をして、定職を持たない若者があちこちにたむろしているような混沌としたところに描かれる。いっぽうでハロンの邸宅のある地区は治安はいいが、ヨーロッパ的な頽廃とアメリカ風のビジネス優先の合理主義だけの豊かだけど精神的には荒廃したところのように描かれる。それらの上にアフリカ風の呪術的なイメージがかぶる。僕にとってはそのディテールはエキゾチズムの魅力があった。それは「ニューロマンサー」や「ブレードランナー」に近いイメージだけど、SF的な寓意ではなく今まさに存在している現実であるかのように書かれる。

ジンジはそう言う場所を魚が泳ぐように何事も無くすりぬける。いや何事も無いわけではない。リストアした車を廃車同然にされたり、チンピラに地下の下水溝の中を追いかけ回されたりする。しかしジンジはその翌日には、腕一面についた傷を隠すような長袖を着て、ガタガタになった愛車を救出したうえで、たくましく捜索を継続する。

ジンジはそういう不合理で理不尽で、隣国の内戦の影響とそれによる難民流入が続き、結局は金と権力と暴力がものをいい、それが改善する気配もない矛盾だらけの社会で生きていく。彼女はそれに悲嘆したり絶望すること無く自身のしたたかさだけを武器にして生活する。ジンジが物語の最後に嘆くのは南アフリカやその周辺諸国の社会状況ではなく、自らが根無し草である、という実感そのことだけである。


ところで、最初に書いたようにあまり読みやすくはなかった。そのひとつは登場人物の名前が覚えられなかった、ということ。西欧風の名前も出てくるけど、いかにもアフリカ風の例えば「ン」で始まる名前や複雑なリズムを伴った発音が必要な名前はなかなか覚えられない。

また、これは翻訳の問題なのかもしれないけど、会話のト書きに主語が無い場合があって、誰の発言なのかわからないことが多かった。そのせいで何度も読み返すことになってしまった。これはなんとかしてほしかった。

いっぽうで、南アフリカにはつきものと思っていた人種差別的な表現はまったくなかった。名前からして明らかに白人、あるいはアフリカ系と思われる登場人物が出てくるけど、その区別はまったくされていない。なんとなく主人公のジンジはディッセンバーなんて言う名字だけど細身小柄で機敏な表情の黒人女だと思って読んでいたし、その彼氏のブノワはフランス風の名前だけどコンゴ内戦の難民らしくてやはり長身細身の黒人を、またプロデューサのオディロン・ハロンは白ムチ巨漢の白人を勝手にイメージしていた。しかし本の中にそう言う容貌の記述は(ストーリ進行役の脇役二人を除いて)ほとんど無く、最底辺の犯罪者であっても人種差別にまつわる発言をすることはなかった。

この本には反社会的なエピソードが多く出現するけど、ジンジというしたたかな若い女の魅力とならんで、そのことは読み終わってなんとなくほっとする点でもあった。

いやあ、南アフリカも大変なんだなあ、と思ったけどよく考えれば日本も形は違っているけど不合理で理不尽で矛盾だらけであることは変わりないんじゃないか、南アフリカの方が自覚というか認識があるだけひょっとしてむしろマシではないか、とも思ってしまった。
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