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「ルーティーン」読了 [読書]

篠田節子著、ハヤカワ文庫JA。
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けっこう面白かった。でも僕の基準ではこれはほぼSFではない。

ホラー風味の10短編と短いエッセーと対談という中身。どれもほぼ2000年前後の十年間のもので、かなり粒は揃っている。修辞を排して描写に徹した文体と、綿密な取材に基づいていると思われる緻密なディテールはいかにも篠田節子らしくて好ましい。篠田節子はあまり短編に向いてないのではないかと思っていたけど、けっこう面白かった。

僕は篠田節子の作品が好き、というわけではないけど、文庫化された長編のうち半分は読んでいる。僕が読んだほとんどの作家はその1作品だけというのがほとんどなので、実は篠田節子を気に入っている、と言っていい。もともとずっと昔、つる美さんに勧められて「カノン」を読んだのが初めてだった。この人の音楽に対する言葉は本質をついていて、生きること生活することと、音楽との関係をあらわにしているように思えた。その記述は多くの音楽評論家が語っていることが枝葉末節のつまらないトリビアリズムにしか思えなくなるほど重みを感じた。

そのあとはできればなるべく読まないようにしよう、と心がけてきた。それはなぜかというと、僕の人生の残り時間に物理的に可能な読書量は限られていて、惰性で読んでる間に本当に好きになる作家を見逃してしまうのではないか、という不安が歳をとってもたげてきたからである。その結果として多くの作家は1作のみ、ということになってきた。その中で篠田節子は6、7作の長編を読んでいる。

僕は修辞音痴なので彼女のごつごつしてるとも言える直接的な文章は僕の頭に馴染みやすい。そしてなりより音楽を語らせるとその説得力は強力で、できればこういう言葉を読み続けていたい、音楽評論家百人の万の言葉よりこの一文を読みたい、と僕には思える。というより音楽評論家はどうでもいいことを書き散らすのではなく、ちょっとは篠田節子を見習うべきだと思ってしまう。

この短編集にも音楽がテーマの「ソリスト」というのがある。キャンセル癖のある超人気の天才ピアニストを学生時代の友人ピアニストから見た話で、その友人はコンサートで代役を務めた後、遅れてきた本人の譜めくりをしながら超現実的な現象とも単なる幻影ともつかない体験をする。それによってなぜキャンセルするのか、何が理由なのかを垣間見る。しかし最終的にそれが真実なのかどうかはわからないまま終わる。人生と音楽とが分ちがたく、逆に音楽にあやつられているようにも思えるその天才ピアニストを理解できたようで、でもやはりそれは凡人からは遠いところにある、という事実を文庫50ページほどの文章で語る。読み応えがあった。

この中でほかに気に入ったのは「恨み祓い師」。過酷な人生を生きてきた老女とその娘の話。老女の人生の過酷さは結局自分が女であることによってもたらされていて、それをただずっと呪っている。娘は母親を宥めることも癒すこともできず、結果的にその人生のすべてを母親に捧げることになってしまう。ほんの半世紀前には本当にありえたと思えるリアリティと描写に引き込まれてしまった。恨み祓い師の存在とその所業はちょっと安易かな、と思ったけど。

最後になぜ僕がこの短編をSFとは言えないか、という話をしておく。僕の偏狭なSF観では、SFとは異化作用である。読み手が当たり前と思っていたことに疑問を抱かせて、おや? と思わせることが重要であると僕は思っている。これが実は文学の本質であり、SFは特にそれを拡大してみせるようなお膳立てをするスタイルを持った小説の集合である、と思っている。それをいわゆるセンスオブワンダーと言ってもいい、と僕は思っている。

篠田節子のこれらの短編はお膳立てとしてはSFと言えるけど、その目的は異化作用にあるのではなく、エンターティンメントである。読後のカタルシスに向かってそれぞれ短いながらストーリが展開されている。エンターティンメントが悪いと言っているわけではないし、SFとエンターティンメントが両立しないと言うわけではない。

短編だからということもあるだろう。おや?で終わっては楽しめないので回収したという面もあるだろう。でも僕としてはSFを読む楽しみというのはそれほど無かった。かといって面白くなかったかというとそうではなくて、短編であっても篠田節子は面白い、ということがわかった。
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