10月24日「モザイクカルテット演奏会」 [クラシック]
青葉区フィリアホール。久しぶりに女房と二人でコンサートに出かけた。僕はこのために昨夜あずみ野から帰ってきていた。
結構すごかった。ワンパターンだったけど。
曲目はすべて弦楽四重奏、
演奏された曲はどれもキャッチーなメロディが次々現れる安定志向の高いもので、不安要素の提示や複雑な展開がない、どちらかといえば平板な曲ばかり。僕にとっては、いちおうどれも聴いたことはあるけど、ほとんど覚えていないような、はっきり言えば特徴のない曲で、おざなりにやられると退屈な「それで?だからどうした?」と言うような曲。
でもそれが魅力的だった。4人のアンサンブルは完璧と言っていいのじゃないかと思うくらい。やせた音になりがちな中声部のセカンドとビオラに充実感がある(この二人は体格も立派だった)。ファーストとのユニゾンや、伴奏和音連打は打ち込みかと思うくらいの音程精度。チェロもぶりぶりいうような太い音ではなく、輪郭のはっきりした軽い音色。それらのおかげで、僕の中では平板な曲だったのが見違えるように目覚ましい曲に聴こえてなかなか新鮮だった。
完璧なアンサンブルを売りにする弦楽四重奏団は、古くはジュリアードをはじめとしていっぱいあるけど、そういうカルテットはベートーヴェンモーツァルトの後期の四重奏曲やバルトークやドビュッシーラヴェルヤナーチェクストラヴィンスキーベルクショスタコーヴィチといった難曲でドヤ顔するというのが多かった。
今夜の彼らはそういう路線はとらない。単純な曲の中の響きの美しさ、それによる充実感や安定感、なにより音楽的な美しいメロディ、うきうきするようなリズム、溶け込むような和声を際立たせることに注力している、ということだろう。そのおかげで他の四重奏団とはカブらない独自のレパートリが展開できる、ということなんだろう。いいところに目を付けた、とも言える。
しかし、やはりそれだけで2時間もたせるのはやはり厳しいように僕には思えた。そういったレパートリの曲たちにはドラマがないのでメリハリがつきにくい。聴いていて音響の美しさだけではなく、なにか、ほら、もっと、なんというか、こう、あるだろ、なあ、という感じを持ってしまう。
とはいうものの、凡百の四重奏団とは一線を画す、そして頑としたポリシーを持っているということはよくわかった。そういうのは一朝一夕にできることではないというのもよくわかる。
ところで、休憩時間に女房が
「チェロにエンドピンがない」
と指摘した。僕はそれまで気がつかなかったので、休憩後のベートーヴェンでそれが気になって仕方なかった。どうもチェロの胴体の下半分をふくらはぎで固定して弾いているらしい。音量的には不利なのにそうしているのは音響的な独自性を際立たせるためだったんだろう。それとも単にそういうスタイルが趣味のチェリストだったのかもしれない。でもそれも彼らの個性のひとつになっているということはわかった。
演奏後、ホールのエントランスでサイン会があった。女房はこういうときたいていサインをもらってくるんだけど、そもそもサイン可能な彼らのハード(CDジャケットなんか)を持っていないし、会場で売ってるのは全部音としては持ってる、というので並べなかった。
これからはそういうユーザにもなにか特典を設けてもいいのではないかと思う。でないとそれこそ握手券付きCDみたいなことになってしまう。
結構すごかった。ワンパターンだったけど。
曲目はすべて弦楽四重奏、
- モーツァルト第17番変ロ長調「狩」
- シューベルト第10番変ホ長調
- (休憩)
- ベートーヴェン第2番ト長調
- (アンコール)モーツァルト第15番ニ短調からメヌエット
演奏された曲はどれもキャッチーなメロディが次々現れる安定志向の高いもので、不安要素の提示や複雑な展開がない、どちらかといえば平板な曲ばかり。僕にとっては、いちおうどれも聴いたことはあるけど、ほとんど覚えていないような、はっきり言えば特徴のない曲で、おざなりにやられると退屈な「それで?だからどうした?」と言うような曲。
でもそれが魅力的だった。4人のアンサンブルは完璧と言っていいのじゃないかと思うくらい。やせた音になりがちな中声部のセカンドとビオラに充実感がある(この二人は体格も立派だった)。ファーストとのユニゾンや、伴奏和音連打は打ち込みかと思うくらいの音程精度。チェロもぶりぶりいうような太い音ではなく、輪郭のはっきりした軽い音色。それらのおかげで、僕の中では平板な曲だったのが見違えるように目覚ましい曲に聴こえてなかなか新鮮だった。
完璧なアンサンブルを売りにする弦楽四重奏団は、古くはジュリアードをはじめとしていっぱいあるけど、そういうカルテットはベートーヴェンモーツァルトの後期の四重奏曲やバルトークやドビュッシーラヴェルヤナーチェクストラヴィンスキーベルクショスタコーヴィチといった難曲でドヤ顔するというのが多かった。
今夜の彼らはそういう路線はとらない。単純な曲の中の響きの美しさ、それによる充実感や安定感、なにより音楽的な美しいメロディ、うきうきするようなリズム、溶け込むような和声を際立たせることに注力している、ということだろう。そのおかげで他の四重奏団とはカブらない独自のレパートリが展開できる、ということなんだろう。いいところに目を付けた、とも言える。
しかし、やはりそれだけで2時間もたせるのはやはり厳しいように僕には思えた。そういったレパートリの曲たちにはドラマがないのでメリハリがつきにくい。聴いていて音響の美しさだけではなく、なにか、ほら、もっと、なんというか、こう、あるだろ、なあ、という感じを持ってしまう。
とはいうものの、凡百の四重奏団とは一線を画す、そして頑としたポリシーを持っているということはよくわかった。そういうのは一朝一夕にできることではないというのもよくわかる。
ところで、休憩時間に女房が
「チェロにエンドピンがない」
と指摘した。僕はそれまで気がつかなかったので、休憩後のベートーヴェンでそれが気になって仕方なかった。どうもチェロの胴体の下半分をふくらはぎで固定して弾いているらしい。音量的には不利なのにそうしているのは音響的な独自性を際立たせるためだったんだろう。それとも単にそういうスタイルが趣味のチェリストだったのかもしれない。でもそれも彼らの個性のひとつになっているということはわかった。
演奏後、ホールのエントランスでサイン会があった。女房はこういうときたいていサインをもらってくるんだけど、そもそもサイン可能な彼らのハード(CDジャケットなんか)を持っていないし、会場で売ってるのは全部音としては持ってる、というので並べなかった。
これからはそういうユーザにもなにか特典を設けてもいいのではないかと思う。でないとそれこそ握手券付きCDみたいなことになってしまう。
2014-10-24 23:25
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