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N響「スラトキンの武満」 [クラシック]

今夜のEテレ「クラシック音楽館」ではスラトキンが武満徹の「ファミリーツリー」を振っているのを聴いた。スラトキンが武満と懇意だったというのを初めて知った。キャラはお互いずいぶんと遠いような気がするけど。

この曲は谷川俊太郎の詩に武満徹が曲をつけたもの。でも歌にはなっていなくて少女が語ってそれにオーケストラが伴奏するという武満には珍しい形式になっている。

谷川俊太郎の、いっけん優しそうだけどどこか酷薄な言葉が少女の口から語られると、幼さによる残酷さと、自分とは無関係な地平への憧れのようなものが同居する不思議さが現れるように僕には思える。武満がこの曲でいかにもそれを狙ったように僕には思えてくる。

でも、それに覆いかぶさる武満の音楽はそれに従うように優しげで柔らかく聴こえるけど、ずっと鳴り響くということはなくて、短いかたまりにブツブツと途切れる。まるで語り尽くすのを嫌っているのか、武満の柔らかい和音は空気の中に溶けていってしまって、鳴り続けることを拒否しているかのように響く。ひとつのフレーズはすぐ休符に取って代わられる。そして音のない空間がこまぎれに頻繁に現れる。

武満の晩年の曲にそういうのは多いような気もするけど、この曲は僕にはとくにそう思える。本来は言葉に寄り添うはずの音楽が、断定を避け、語尾を曖昧にし、結論を遠ざけようとしているように聴こえる。それはいかにも日本的な言語構造に思えるけど、この曲で少女によって発せられる言葉とは矛盾しているように僕には聴こえる。

武満の真意は何だったのか、はもう誰にもわからない。それは彼と懇意だったというスラトキンにとっても同じである。生き残った我々はああもあろ、こうもあろ、と思いめぐらすのが関の山である。
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