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「ポンピドゥーセンター傑作展」 [日常のあれやこれや]

上野の都美術館でやってるポンピドゥーセンター傑作展というのを先週、娘と二人で見に行った。歳をとって好き嫌いが激しくなっているので、いろんな作家がごっちゃになった企画展に僕はあまり行かないんだけど、ピカソの「ミューズ」が見たくて行った...

ブラックの若い頃の別人のような妙にかわいい作品や、セラフィーヌ・ルイという初めて見る画家のアールブリュット風の絵なんか迫力があって面白かった。シャガールの「ワイングラスを掲げる二人の肖像」は、ぱっと見には単純な面が、下塗りの上に何層か重ねた微妙な色で、しかもそれが正確に塗り分けられていて筆跡はほとんど残っていないのに細かいマチエールというかテクスチャが色ごとにしっかりとあって、すごく美しいということを初めて知った。一方でマチスの「大きな赤い室内」はまるで塗りムラが残ったままの描きかけに見えるような汚いディテールですごくがっかりした。あれ、どこがいいのか指摘してくれるようなマチス好きが近くにいないだろうか。

デュシャンの「自転車の車輪」は、あんなもん僕でもできる感があふれてるけど、娘は逆にその辺に転がってるもので作りました、という感じでないとダメで、例えば下のスツールが名のある家具だったりこのためにわざわざ作ったりすると意味がなくなってしまうという。まあ、そうかな、と思う。

僕のお気に入りのピカソは乱暴に塗り分けた面や荒々しい輪郭線に強いテンションが感じられる。近寄ってみるといい加減に適当に描いたように見えるのに、ちょっと離れると線に沿って力がかかっているように見えたり、面が引っ張られてピンと張ってるように見える。周りの絵が眠く見えてしまう。

僕の好きなカンディンスキーの「30」も良かった。線と形と動きの面白さはカンディンスキー独特で、ついつい細部に見入ってしまう。カンディンスキー晩年によくあるゾウリムシや昆虫の羽みたいな生き物風の形や、なんだかわからない格子模様や音符のような線が6×5マスにあっけらかんと並んでいる。なんて言えばいいのかわからないけど見ていて気持ちいい。原形質流動で移動してるアメーバみたいなのとか、ゲル状のものが丸く垂れたような形を見ていると、なんだかふと笑ってしまいそうになる。

この絵はモノクロのように見えるけど、よく見るとカンバス地に薄くピンクなのか明るい茶なのかの下塗りがあって白地はそれが透けて見えている。黒の方はほぼ完全に一色で、それが地と図が反転していても同じで、それは絵の具の特性としては当然なんだけど、白と黒のリズムに淡い音色が乗ったみたいに感じる。すごく気持ちいい。こういうカンディンスキーはやっぱり大好き。

この展覧会で期待していなかったのにすごく面白かったのがあった。オルリー空港に飛行船用の格納庫を作るモノクロサイレント映画(格納庫の写真はこのページの中ほどに「The parabolic-arched airship hangar at Orly Airport in Paris, France」という写真がある)。1920頃に高さ6、70メートル長さ数百メートルぐらいのとてつもなく大きなコンクリート製のアーチを作っている動画で、コンクリートを流し込む構造体を木枠を組み合わせて作っている。現代ではもっと機械化されたクレーンみたいなのや巨大ロボットみたいのを使うんだろうけど、その映画ではワイヤを張るために馬に引かせたり、物を動かしたり持ち上げるためにいくつもの滑車が組み合わさったハンドルを大人数で一斉に回したり、釣り上げられていく放物型の屋根に人が乗っていてワイヤを操ったり、その木枠を固定するための大きなボルトを鳶職のような人たちが地上数十メートルの空中で締めて回ったりしている。

もうスチームパンクどころか、「カロリーからジュールへ」の標語そのままに思えて、長時間見とれてしまった。これまだ著作権が切れてないんだろうか。広く公開される方がいいと思うんだけど。



実は、週の前半に女房がタダ券を持っているというのでレンブラント リ・クリエイト展というのにも3人で行った(息子は可哀想に仕事だった)。こっちはレンブラントの本物じゃなくて、複製画でさえなくて、等倍に印刷して板に貼った物を展示していた。量がかなりあってこれだけいっぺんに実物大のレンブラントを見られるというのはいいことではある。しかし、中にひどいものがあった。

スキャンと印刷のダイナミックレンジがあっていなくて、大面積にわたって黒つぶれしているのがあった。例えば「モーゼと石板(石板を叩き割るモーゼ)」は石板が完全に真っ黒に潰れて、石板ではなくつるつるの黒アクリル板の上に文字が書いてあるように見えた(僕はナマで見たことはないので、レンブラントが実は未来人でアクリルの黒板を描いた可能性を僕には否定できないけど)。それ以外にも、人物を描いた周囲の背景の暗く沈んだ部分が黒くテカった島のように、逆に浮き上がって見えるようなのもあった。そういう黒つぶれを起こしていると見えるのがかなりの枚数、たぶん10枚近くあった。「レンブラントの光と影」とか言いながら、それをないがしろにしている、と僕には思えた。

それに、初めからわかってはいたことではあるけど、人物や静物といった描かれた対象ではない、絵を描くという作業そのもののディテールの面白さは、やっぱり印刷では伝わらない。ダリのように精密に印刷されれば十分面白さは伝わる作家もいるし、マチスなんか僕には本物より印刷の方が綺麗で見やすいんじゃないかと思ってしまうけど、その一方で、先に書いたシャガールのテクスチャの美しさは印刷ではわからないと思うし、僕の好きなクレーでは、工夫に工夫を重ねた技法の面白さが印刷ではすっぱりと抜け落ちてしまうということもある。

僕は何でもかんでもナマじゃなきゃダメだとは思わないけど、印刷では本来あるべきものが綺麗になくなってしまうこともある、と僕はあらためて思った。演奏会の録音を後から聞いて、あれ? こんなに退屈だったっけ、なんて感じることがよくあるんだけど、あれと同じだろうな、たぶん。

写真撮影OKで中学生以下はタダということで夏休みの小・中学生が大勢いた。僕は子供達が「レンブラントってこんなのか」と思ってしまうことの方が教育上よろしくないような気がした。写真(というか子供たちはみんなスマホカメラ)なんか撮らなくてもネットで探せば見つかるんだから、印刷であってもゆっくりみればいいと思うのに。まあ最近の子供たちには、僕らの世代と違って絵なんか見るより他に面白いことがたくさんあるので、まず見てもらう、ということが重要なのかもしれないけど。
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jun hirabayashi

 アレのためにお金払いたくない…けれど客観的に観ておきたい…けれど、批判のために観に行くようなことは避けたい…と心の中の葛藤が続く、展示最終週の今日この頃です。うぅ。
by jun hirabayashi (2016-08-30 19:51) 

decafish

コメントありがとうございます。
つい、笑ってしまいましたすみません。自分に素直であることをお勧めします。

しかし、なるほど、子供達の夏休みにあわせたということなんですね。こういう催し物では女の子の方がどうしてもメジャーになってしまうようで、僕が行った時には小中学生の可愛い子達がいっぱいいました。いや、これ以上書くと怪しい年寄りになってしまうのでやめておきます。

ちなみに、出口のところには福岡伸一氏の等身大ポップが飾ってありました。FYI。
by decafish (2016-08-30 21:27) 

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