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ショスタコーヴィチ交響曲13番 [音楽について]

ゲルギエフを聴いた興奮が覚めやらず、と言う感じで横浜から仙台に帰る新幹線の中でiPodで聴いて帰ってきた。

ショスタコーヴィチの交響曲第13番はバビヤールと言うタイトルがついている。残念ながらゲルギエフは録音してないのでたまたまあったNAXOSのSlovak盤。

(ユダヤ人大量虐殺があったという)バビヤールには墓碑銘がない、から始まる重苦しい内容で、しかも大編成オーケストラにバスソロとバス合唱、しかも合唱はほとんどユニゾンという言葉に出すだけで体育会系クラブの男子更衣室のようなむさ苦しさが伝わってきそうな曲。処刑されるユーモア、虐げられて腰を曲げたまま市場に並ぶ女たち、言葉にすることが許されず形の無い「恐怖」になってしまった密告、そんな今の日本ではあり得ないと思われるねじ曲がった悲惨な言葉が男たちの声で歌われる(もちろんロシア語で)。

そんな曲のことをなぜ、わざわざここに書いているか、というとガリレオ、シェイクスピア、パスツール、ニュートン、トルストイ、彼らの信念は勇気を与えてくれる、と歌う終楽章。この楽章だけマーラーみたいにオーケストラの比重が大きいが、最初のオーケストラの主題に不思議な明るさがあって軽々とひらひらと舞うようなメロディになっている。このメロディを聴いて不覚にも新幹線の中で涙してしまった。特に終わるちょっと前のmeno mosso、ヴァイオリンソロとヴィオラソロのcon sordinoの二重奏で最後に主題が再現されるところ。

「お前はよくやった、もういい。実によくがんばった、休んでかまわない」と言われているように聴こえる。共感して許容してくれるかのような音楽。それが空からゆっくりと降ってくるような音楽。ショスタコーヴィチは神童だったが、ストラビンスキーやプロコフィエフのような所謂天才型ではなかった。だからこそ書けた曲。

もう長いこと生きてきて「泣ける話」では泣けなくなっている。会社の会議で喧嘩になって罵声を浴びせられても「ほほー、そうですかねえ」とか言って平気でいて、浴びせた方が悔し涙を流していたことがあった。映画なんかでよほど集中して見ていてもまず泣くほど心を動かされることはない。娘が滂沱の涙を流したと言う「千年女優」もラストを見ながら「平沢がもっと歌えばよかったのに」などと冷静な感想を漏らすだけだった(娘にはこういう感受性を大切にしてほしいと思う)。泣けるケータイ小説なぞ推して知るべし。

この曲はこれまで何度も聴いていたが今日は一人で(シュアーの耳栓型イヤホンで)、しかもたまたまポケットスコアを持っていて、音符を見ながらじっと集中して聴いていたせいなのか、バビヤールの大量虐殺も悲惨な女たちの境遇にも泣けなかったが(ロシア語だったせいもあるけど)、このメロディには知らず涙があふれていた。こういうところで涙腺が緩むとは自分でも知らなかった。ジジイにしかわからん、と言う曲かもしれん。

ライブでこれを聴くことがあるときは醜態をさらさないように気をつけよう。今日の新幹線もはた目にはジジイの醜態だろうなあ。僕の葬式の音楽はこれやな。


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