ハリウッド映画 [昔話]
映画を見て思い出した。
子供の頃母親に連れられて三番館に映画を見によく行った。なぜか二つ下の弟は一緒ではなく、母親に一人でつれられて行った。
当時怪しげな三番館(決してポルノ専門館ではなく、ロードショウが一通り終わった映画を2、3本建てで見せるところ)には女一人では行けなかったらしい。が、40年前に専業主婦の娯楽と言えば映画ぐらいだったのだろう、小学校の高学年になるとたびたびつれられていた記憶がある。
また小学校では月に一回ほぼ必ず講堂で映画鑑賞会があった。古い日本映画が主だったがそのおかげで東映のアニメーションはすべて見ることができたし、初期のゴジラ、ガメラシリーズや、「6号」と「ゼロエックス号」のサンダーバード劇場版も小学校の講堂で見た。「ビルマの竪琴」や「二十四の瞳」もあくびをしながら見たし、たしか当時どのようにしたのかわからないが吹き替えの「駅馬車」だと思うがハリウッド西部劇も見た記憶がある。
忘れられないのは「白蛇伝」で、アニメーションとは思えない滑らかな動きと子供心にパイニャン(白蛇の娘)の色っぽい仕草が頭から離れず、国語のノートにパイニャンの絵を描きながら「肩の線が違う」と何度も消しゴムで消しては描き直していた。パイニャンは思春期直前の琴線に触れてしまった、と言う感じ。ちなみに僕の「ヰタセクスアリス」はダリのザクロから飛び出す虎の前にいるガラの絵からだった(後ろの遠くに昆虫みたいな脚の像がオベリスクを運んでいる)。さらにちなみに友人のTは「家庭の医学」が最初だったという。どーでもえーけど。
母親につれられて見に行った映画は、はじめのうちほとんどがハリウッドのミュージカル映画で、映画の中に出てくるお互い見ず知らずのおっさんおばはんが、あるタイミングで突然そろって踊りだすのが不思議でしょうがなかった。そのうちテレビのシリーズでも見るようになったヒッチコックが面白くなり、「裏窓」「M」「北北西」なんかは面白くて、でも見て帰ってきた後必ず夢に見るので怖かった。急斜面の屋根を滑り落ちる夢は何度も何度も見た。今思うと小学生なのに字幕はそれほど苦になっていなかったらしい。はやいうちから慣れたせいか。当時の小学生は今ほど字幕に抵抗はなかったと思う。
また、母親はオードリーヘップバーンが好きで三番館に出演映画が上がると必ず見に行った。たぶん、小学校卒業前までにはヘップバーンが出ている映画は全部見たと思う。子供心に「シャレード」のヘップバーンが華奢で心細くてそれがセクシーだったのが(当時はもちろんそういう認識ではなかったが)ずっと忘れられなくてインプリントされている。40年経った今でもヘップバーン似の女には弱い。ちなみに(ちなんでばかりいるが)女房は自称ヘップバーン似。
ああ、しかしどうでもええオヤジの昔話やなあ。
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