メシアン「トゥランガリラ交響曲その他」 [クラシック]
ベロフのピアノとジャンヌロリオのオンドマルトゥノの、プレヴィン指揮のロンドン交響楽団。EMIのサイトでは「いろんな演奏者」になってる。ひで。余白にポッペンとイヴォンヌロリオが参加してる「世の終わりのための四重奏曲」と「主題と変奏」が入ってる。
トゥランガリラの録音は77年なのでちょっと古い。プレヴィンはここでもおとなしい。女房はうちに「ラトルの録音があるのに」というのだがiTunesライブラリの中に無い。いまさらCDの棚をひっくり返すのはかなわんのでなかったことに。
メシアンは屈託が無くて明るい。トゥランガリラは特にそう。真剣そうな表情をしていてもどこか「まんがちっく」なところがある(これは「まんが」を劣った表現形式である、と言っているのではなく一般に使われている意味で)。まあ、癒されると言えばそうかもしれない。
オンドマルトゥノの、B級怪談映画にでも出てきそうないかにも身体性の欠けたへろへろとした安っぽい音色も、合っていると言えば合っている。でもこの曲は誰かが言ってたけどとにかく長過ぎる。繰り返しも多いので半分以下にはできる。
貶してばかりいるけど、メシアンらしい色鮮やかな花がパッと開くような、打ち上げ花火が上がるような不協和音の音色はかっこいい。「かっこいい不協和音」が書ける作曲家は少ない。
おまけの「世の終わりの四重奏曲」も、ついているタイトルや楽章ごとの副題の割には自分の手元を眺めて趣味の世界にふけるような、「世の終わり」も何か他人事のような音楽で出来上がっている。普通の人ならなにか悲劇的な悲愴な音楽を書きそうだけどそうならないところがメシアンらしい。彼の宗教観の現れなのかもしれないけど、そこんとこはよくわからない。
「主題と変奏」はこれで初めて聴いたけど、これだけずっと調性的。トゥランガリラも、シェーンベルクベルクウェーベルンなんかと聴き較べればずっと調性感が強いけど、これも例の旋法で書いているのかな。そうだろうな。
ところでやっぱり前書いたようにトゥランガリラの第5曲の主題と、ヴォーン=ウィリアムズの「南極交響曲」のスケルツォの主題は良く似てる。片方を思い出すともう片方がわからなくなる。どーでもええけど。
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