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「楽園の日々」読了 [読書]

アーサー・C・クラーク著、山高昭訳。ハヤカワ文庫。
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功なし名遂げた大家が書いた自伝的エッセーが死後、文庫に降りてきた。というと普通は「わしの若い頃は..」みたいな話ばかりでつまらないのが多いけど、これはめちゃめちゃ面白い。

エッセーと言いながら中身はSF創成期の雑誌で、しかも彼自身がデビューした雑誌でもある「アスタウンディング・ストーリーズ」誌に掲載されたSF小説および表紙絵と編集後記に自身が当時を思い出しながらコメントするという内容になっている。特に自分で収集した創刊直後である30年から60年代後半(昭和じゃないよ)にかけての誌に対するコメントが中心。

何が面白いと言って、いたるところにある(特に前半に多い)科学的に問題のある記述を持つ小説に対するクラークの突っ込み。例えば「ヘヴィサイド層の彼方」という短編にヘヴィサイド層(今で言う電離層に相当するのか)の裂け目を突き抜けて主人公が層の上に宇宙船を「着陸」させるとそこに生息する巨大化したアメーバに襲われるという話に対して「どうして鋭い視力を持つ何世代もの天文学者が発見できなかったか、ドイル(ずっと前に似た話を書いたコナンドイル)もミーク(短編の作者)も説明はしなかった」と突っ込む。こんな話はクラークでなくてもかなわんけど。

クラークは表紙にまで突っ込む。「南極の近くに墜落した勇敢な飛行家が、異様な甲虫の種と戦っている」のを描いた表紙の絵に「昆虫学者なら(その甲虫が鋭利な歯を持っていることに)...アスタウンド(仰天)したことだろう」しかし「主人公のうしろに、追いつめられた少女が --- 特に南極にしてはきわめて小さな毛皮のコートを着て --- おびえているのを見ても、誰も驚かないであろう」と書く。その文章の上には小さな図版で件の表紙が載っていて確かに太ももをあらわにした袖無しミニワンピースの女性が左の端に描かれているのが見える。

こういった草創期のSFにクラークは嬉々として突っ込む。しかしその突っ込みは彼自身に「これがSFだ」という基準があって、それに照らしてそれぞれを評価しているだけであって、それ以上でもそれ以下でもない。その基準とは大まかに言って「SFと言えど合理的であれ」ということだけ。「エネルギー保存」や「光速度不変」などの基本法則に反する記述には無条件に突っ込む。本書の最初の方で「荒唐無稽な科学ならいい。虚偽の科学は、やめてほしいのだ!」と語る。これはクラークの数多い著書に貫かれた姿勢でもある。

30年代40年代のアスタウンディングストーリーズ誌に突っ込んだ後、否応無しに戦争に巻き込まれて行く話が語られる。そこでも誌に掲載された小説などをたどりながら時代を語る。戦争に対するクラークの姿勢がよく伝わってくる。

この本を読むとクラークは「永遠の少年」だったことがわかる。そして少年の心を持ったまま死んだ。羨ましい。残された我々は「永遠の少年」に憧れて彼の作品を何度も読み返すことになるだろう。

最近は、年寄りは尊大不遜であるべしと言わんばかりの言動をする筒井康隆が、最良の映画は何かと訊かれた星新一の「不思議の国のアリス(ディズニーのアニメ)」との答えに驚愕して「また、この人に教えられた」と頭を垂れた、とどこかに書いていたのを読んだことがある。

少年の心をとうの昔に忘れてしまった僕は、せめて筒井さんの少年の心に対する感受性を持つことぐらいは目指したいものだと思う。

偉大なSF少年だったクラークと、そして星新一に対して(それと「はらこつとむ」に対して)、合掌。


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