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「タンパク質の一生」追記 [読書]

昨日読み終わった本に、ちょと付け足し。
本の最初の方に「生命の定義」の話がちょろ、っと出てくる。ずっと前読んだ本には「私は、ウィルスを生物であるとは定義しない」と書いてあった。

そのちょろ、っと出てきた「今一番正確な生命の定義」というのは

  1. 膜で囲まれた独立した存在であること
  2. 自分の情報を元に自分のコピーが作れること
である、としている。これは、まあ普通の定義でしょう。

その後で「判断が難しいのは例えばウイルスなどで...生命とは呼ばないという人が研究者の中にもいる」と書いてある。ではこの著者の永田さんはどう考えているか、というのは書かれていないけど、ニュアンスからして「どっちでもいいんで、あまり突っ込んで訊かないで」と言う感じみたい。

僕は、少なくともウイルスの祖先はちゃんとした生物だった、と思っている。太古の昔、まだ真核生物は生まれていなかった時代、ウイルスの祖先たちは他の生物が複雑化の方向をたどろうとしているとき、自分自身をシンプルに小さくする方向に進化しようとした。脂質2重膜の合成はたくさんの酵素が必要になるのでそれを脱ぎ捨て、DNAから直接合成できるタンパク質で堅い殻を作った。そうするとあまり大きなDNAは入りきらないのでいろんな情報をどんどん捨てることになる。そしてあるとき、重要な決断をしなければならない場面が訪れた。

ウイルスの祖先   :「王様、巨大化した細菌に我々の仲間が喰われています!」
ウイルスの祖先の王 :「もはやこれまでか。これまでの我々の生き方は間違っていたのか」
ウイルスの祖先の参謀:「ひとつ方法があります」
ウイルスの祖先の王 :「なんだと、生き延びる道があるというのか?」
ウイルスの祖先の参謀:「リボソームを捨てるのです。そして我々のタンパク質の合成や
            DNAのコピーは細菌にやらせるのです」
ウイルスの祖先の王 :「なんと、さらに小さくなれ、というのか」
ウイルスの祖先の参謀:「その通りです。我々はDNAの塊となって生き続けるのです」
ウイルスの祖先の王 :「ううう、そんなことをしては
            我々は生命とは言えなくなってしまうではないか」
ウイルスの祖先の参謀:「しかたありません。それしか生き残る道はない、と考えます」
というような会話があったのではないか。

そうやってDNAの多くの部分を捨て、細菌の内部に入り込んでDNAの複製とタンパク質の殻を作らせる情報だけの存在になったのがウイルスの起源である、と僕は思っている。

同じころ、他のさらに古い形の生物、RNAを遺伝物質として使い、酵素としてもタンパク質ではなくRNAを使う、前出のウイルスの祖先や細菌をはじめとするすべてのDNA生物の祖先でもあるRNA生物も同じ決断をした。後のレトロウイルス等のRNAウイルスの祖先である。この決断をしなかったRNA生物は生き残ることはできなかったようである。

ウイルスの祖先   :「王様、RNA生物も我々と同じ決断をしたようです」
ウイルスの祖先の王 :「なんだと、それではあんな下等な連中が
            後の世界では同じと見なされるようになるのか。
            なんとも、口惜しいものよ」
ウイルスの祖先の王は気位が高かった。

と、まあSF的幻想。でも、そうでもなければウイルスの起源は説明できないんじゃないか。参謀と会話する気位の高い王様がいたわけはないけど。


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