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ショスタコーヴィチ交響曲第10番について - その2 [音楽について]

昨日からショスタコーヴィチの交響曲第10番について僕の考えることを書き始めた。ちょっと長くなるが、今日はちょっと脇道にそれて「ソナタ形式」についてそれがなんであるか、どういう歴史だったのかというのを簡単にまとめる。彼の10番の交響曲の特徴をはっきりさせるためには必要な話だと思っている。

3  ソナタ形式

ちょっと脇道にそれることになるけど、僕が10番の交響曲のことを書くためには、ソナタ形式とはなにか、を先に整理しておく必要がある。言うまでもないかもしれないが、ソナタ形式とは楽曲形式のひとつで、ハイドンが確立し、ベートーヴェンが完成させた形式である、となっている。

曲の内部に構造を持たせる、という点では他の三部形式や変奏曲とかわりない。ソナタ形式は提示部、展開部、再現部、コーダという全体構造を持ち、第1主題と第2主題のふたつの主題からできている、というのが一般的な説明である。

しかしそこに音楽として非常に重要な追加点がある。ふたつの主題はさらに小さな構成部品に分解され、その構成部品を再構築することで多様性と一貫性を両立させるという点である

具体的にわかりやすい例を示してみる。最も有名で最も徹底した例としてベートーヴェンの第5番の交響曲の第1楽章がある。図-1と図-2に第1主題と第2主題を示す。
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ふたつの主題はそれぞれ非常に短い(どちらも4分音符ふたつぶん)たった一種類の部品からできている。ぞれぞれの部品を取り出してみると図-3のようになっている。
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それが組み合わされて楽章全体が作られている。そのことは楽譜を追いかけなくても聴くだけで理解できる。
この曲ではこのふたつの部品は図-4のように僕には見える。
0720fig04.png
第1楽章はたったこのふたつの部品で伽藍のような構造が出来上がっている。これがソナタ形式では重要で、全体構造を支えるための構成原理である。この伽藍の中にベートーヴェンは鉄の意志や生命力といった、音楽をはじめとする芸術だけが伝えることのできる内容を盛り込んだ。

3.1  ソナタ形式ができるまで

ルネサンスの頃の器楽曲の形式は、歌と同じようなものだった。メロディと伴奏が流れていって、サビが曲のクライマックスを作る。それぞれの部分、たいてい4小節とか8小節とかのかたまりでそれが繰り返される。歌と違って言葉を持たない器楽曲ではこの形式で複雑なことを表現しようとすると限界があった。多くのことを盛り込むために新しいメロディを導入することもできたが、もとのメロディとの関係がはっきりしないので散漫になることの方が多かった。

イタリアでは単なる繰り返しではなく、独奏と合奏が対比するリトルネロや、主題があってその変形が続くリチェルカーレのようなスタイルができてきて形式として確立するようになってきた。繰り返しに変形が伴うことで、違った要素を盛り込みながら統一感を出すことができるようになった。

リチェルカーレのような、主題があって模倣が変形していくというスタイルはフーガに発展した。主題は性格的で短く簡潔なものにしておいて、その対旋律やそれに伴う和声を変化させて器楽曲固有の表現ができるようになってきた。そしてバッハが現れる。彼は巧みな変奏と和声のセンスの持ち主だった。バッハは精巧な和声づけや柔軟な転調を駆使して、フーガに起承転結を持ったドラマを語らせることができる作曲家だった。

やがて起承転結のような構造のために提示-展開-再現という枠組みが確立し、主題の部品への分解と再構成による展開、そして性格の異なるふたつの主題の対立要素の導入によって内的な機動力を持たせるという形式が出来上がってきた。そしてハイドンのオーケストラをはじめとする多くの楽器のための非常に多くの器楽曲によってその威力が証明された。

ソナタ形式とはようするに、音楽の入れ物である。音楽には形がないので入れ物が必要になる。簡単な音楽ならお茶碗で十分だけど、ちょっと複雑になってくると、アルミの弁当箱のようなものでは、中でちゃぷちゃぷしてひっくり返してしまうし、いろいろな要素を盛り込もうとしても弁当箱ではそれぞれが混ざってしまってどろどろしたなんだかわからないものになりかねない。

そういうときは弁当箱に中仕切りを作って、煮物用、焼き物用、醤油受けなどのように、あるところは大きく、あるところは小さく、あるいは深く浅くして中身に合わせた入れ物にすればいい。その音楽の入れ物がソナタ形式である。

もちろん音楽の入れ物はソナタ形式だけではない。しかし入れ物として最も多く使われて、使い方が研究され、発展したのはソナタ形式だった。

3.2  ソナタ形式のその後

ベートーヴェンの時代にソナタ形式は多様性と統一感を同時に実現できる非常に便利な音楽の入れ物に成長した。ソナタ形式を使えば強固な構築が可能なるが、まさにそのせいで時間とともに変化するような音楽は、ソナタ形式とは相性が悪いということもわかってきた。ようするに入れ物が中身を規定するという面が現れたのである。

ワーグナーは、自分の歌劇にソナタ形式がふさわしくないことは明らかだったので、物語の進行に従って音楽も発展するようにした上で、主題に言葉のような機能を持たせ統一感をたもつという独自の方法を作り出した。マーラーはソナタ形式にこだわったものの、膨大な中身が入れ物を壊しまってその残骸の上にさらに中身を注ぎ込む、というようなことをしてしまった。フランスではドビュッシーが、そもそもそんな立派な入れ物が中身に本当に見合っているのか?と言い出した。そうやって作曲家たちはどんどんソナタ形式から離れていった。

一方で、中身ではなく入れ物の方を精巧にすることに努力する作曲家もいたが、そういった人たちが後に名前を残すことはほとんど無かった。しかし全員が忘れられたわけではない。例えばブラームスである。彼は厳格な構造を持たせた交響曲や協奏曲、室内楽曲を書いた。指物師にとっては桐箱の細工のほうが中身の掛け軸より重要で、それ自身に価値があるのと同じであろう。

ブラームスのような態度は西欧では廃れていくが、なぜか東欧、特にロシアに受け継がれる。例えばチャイコフスキーがそうである。彼は希代のメロディメーカーだったが、彼はメロディを引き立たせる入れ物を必要として、いろいろな入れ物を用意した。ソナタ形式ものうちのひとつだった。その後それが伝統として受け継がれていく。そしてショスタコーヴィチが登場するのである。

西ヨーロッパではソナタ形式の伝統は廃れて誰も顧みなくなっていった頃、ロシアそしてソ連では、また当然ショスタコーヴィチにとってもソナタ形式を縦横に操ることは伝統に見合った「正しいこと」になっていた。彼はそれを最も高い課題と位置づけた曲として第10番の交響曲を書いた。
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