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「恐竜はなぜ鳥に進化したのか」読了 [献立]

ピーター・D・ウォード著、垂水雄二訳、文春文庫。
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決して読みやすくはなかったけど、これはかなり面白かった。地球の酸素循環は生物進化のドラマの回り舞台とでもいうものだった。

生物の進化の過程で酸素濃度が重要な役割を果たしてきた、ということをカンブリア紀の爆発以降の生物の歴史をたどりながら論証するというただそれだけの話である。しかしそれがめちゃめちゃ面白い。かなり強引だったり根拠が薄弱だったりするが、なかなか証拠が得られにくく、もちろん実験するというわけにはいかない古生物学ではこれが当たり前なのかもしれない。でなければ、先に進むことができないのだろう。むしろその強引さ加減や憶測の上に憶測(著者は「仮説」と呼ぶが)を重ねて我田引水的な議論をするところに味があって楽しい。

地球の酸素濃度は変動してきた、というのも言われるまで漠然と今と同じくらいだろうとしか考えたことはなかった。もともと酸素分子は植物が光合成を始める前の地球にはほとんどなかった。いろいろな元素と結びつきやすい酸素は地球が生まれた高温高圧化の環境では爆発的に化合してしまう。地球が作られたころは他の元素を酸化させることで地球に取り込まれたが、ほとんどすべてが酸化物の形だった。最も多い酸化物はH2O、水だった。

酸素分子は、動物が化石として発見されるようになるカンブリア紀よりもずっと前から植物の光合成の結果として大気中に放出されてきた結果である。葉緑素を持った植物は光のエネルギーを使って水を酸素分子と水素イオン(プロトン)を作り出す。そのあと植物は発生した水素イオンの濃度勾配を利用してATPを合成して、自分の細胞の中で使うエネルギーを作り出す。酸素分子はその副産物で、いわば葉緑素の排泄物である。

先カンブリア紀までに大量に放出された酸素分子の強い酸化力を利用してエネルギーを得るミトコンドリアを持った酸素呼吸する生物が現れた。地球の酸素濃度は光合成と酸素呼吸+自然酸化のバランスで決まる。例えば石炭が大量に作られた3億7千万年前から2億9千万年前の石炭紀は酸素濃度が高かった。もともと植物が分解されずに地中に埋没したのが石炭なので、この時代はどういうわけか酸素が炭素等と再結合せずにいたため遊離酸素が増えたということでこれはつじつまがわかりやすい。

しかしそれ以外の時代の酸素濃度の上下はよくわからない。もちろん非常に複雑なプロセスになるはずなので簡単ではないというのはわかる。しかしこの本の主張の根拠である、酸素濃度の地質学的な歴史を表したバーナー曲線はシミュレーションで得られたものらしく、いったいどういうモデルでそんな計算が可能なのか、その結果がどのくらい確からしいのかはよくわからない(バーナー曲線にはエラーバーが付け加えられているが、モデルが間違っていたら意味はない)。地球全体の葉緑素の数とミトコンドリアの数と自然酸化の要因ごとの総量がわかれば酸素濃度はわかる、ということなのかもしれないけど、そんなのが簡単にわかるのかな。しかしこのバーナー曲線をもとにカンブリア紀以降の6億年間の進化的な出来事を説明しようとする。

動物の進化と空気中の酸素の割合に相関がある、というこの本の主張は一般論としては説得力がある。しかし地質時代の境目の絶滅と生き残りの適応放散がすべて酸素の増減によっていると言われると、そうかあ、と言う気もしてくる。例えばカンブリア紀のいろいろなボディプラン(体制、進化的に有為な体の形態上の特徴をいうらしい)の動物たちにとって彼らのニッチはもともと誰もいなかったはずで、酸素濃度の低下が引き金になるというのは理解できない。どんな環境変化も引き金になり得るはずだし、またまったく内因的に起こっても不思議はないと思うんだけど。

また、恐竜が恒温動物(内温性)か変温動物(外温性)か、あるいは肺に気嚢を持っていたかいなかったか、さらに卵の残っていない三畳紀からジュラ紀に欠けての恐竜たちは卵生だったか胎生だったか、そして飛ぶことのできる鳥への進化はいつだったのか、というのがこの本のクライマックスになっているけど、どうも議論の混乱を感じる。いかにもすべてを酸素濃度起因にしたかった、という恣意的な圧力を感じる。またその前に内温性がペルム紀の低酸素濃度時代に対応するために進化したとう主張をしているが、それは逆だろ、と思ってしまう。

それでも、目からウロコというか、膝ポンものの主張も多い。そっちの方がずっと多いので例を挙げないけど、これまであまり「酸素濃度」に注目してこなかった、ということを指摘したことは意味あることなんだろう。

動物はずっと環境の変化によって絶滅し、その空いたニッチに生き残った動物が適応放散する、ということを繰り返してきたことがよくわかる。絶滅前の種は進化的な最適化の度合いが高く、突然の環境変化に弱かったりするが、なかなかまったく新しい方式を試すということは難しい。つまり新しい方式はそのときは適応度が若干低いかもしれず、最適化された種に簡単に淘汰されてしまうはずである。

一方でそういう最適化されきった種が、大きな環境変化によって絶滅してしまった後は、広いニッチがあるので少々効率が悪かったり、不利な点を持っていたりした十分最適化されていない種でも生き残れる可能性がある。そこではいろいろなボディプランが試される場になる、ということなんだろう。

数値計算の最適化手法とまったく同じである。ひとつのデザインから出発して最適化を繰り返すと、だんだん固まってしまって何をやっても変化しなくなってくる。そういうときはデザインを揺すってやって少々評価関数の値が悪くても別のデザインの可能性を調べることで、より評価関数をよくできる場合がある。「デザインを揺する」というのは進化的には多くのニッチを占めた種を一度絶滅させる、ということに対応する。残酷な方法ではあるが、その結果人間は生まれることができた。そしていずれは更なる最適化のために絶滅する運命なのかもしれない。

この本は専門家とは言わないまでも、古生物学にそこそこ知識を持った人を対象にしているらしく、僕のような素人には読みづらい部分もあった。バーナー曲線は議論の根拠なので、章の扉ページに再掲されていて親切ではあるが、いろいろな種の名前が登場するのにその図版があるのは限られているし、類の特徴を表す言葉にいつも説明が与えられているわけではない(単弓双弓無弓類は、言葉が初めて出てから数ページ後で初めて説明がある)。

また、地質年代の名前とその継続時期なども頭に入ってないとピンと来ない部分もある。手元に図鑑か、Wikipediaでもあればいいけど電車の中で読むにはちょっと辛いところもあった。僕は地質年代を書いた表になっているページに栞を挟んで、という時期を表す「何年前」という言葉を千万年単位で読んだ。こうするとこの本に出てくる年代はマイナス数十という数字になって頭に入りやすかった。

ところで本の日本語タイトル「恐竜はなぜ鳥に進化したか」というのは、書名をキャッチーにしたかった、というのがあるのだろうけど、内容を正しく表していない。恐竜の話がクライマックスではあるけど、著者はそれを主張したかったのではない。原題は「Out of Thin Air」で、それもまたなんか文学的に過ぎるような気もするけど。
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