「プレガルディエン・シュタイアー」2月20日 [クラシック]
横浜の県立音楽堂でシューマンとシューベルトのリートを、この二人組がやるのを女房と二人で聴きに行った。先週の三連休帰らずに今週帰ったのはこのため。
最速レビューじゃ。「最速」というには仙台までの移動時間が不利。
この二人組は女房がもうかれこれ15年以上前に「いいリート歌手がいる」とかいって見つけてきたもので、そのあとあれよあれよというまにメジャーになっていった(もちろんクラシックの基準で)。そのあとなかなか生で聴く機会がなくて、プレガルディエンは5、6年前に聴いたマーラー「大地の歌」だかツェンダー版「冬の旅」だかが最初になってしまった。当時でもそろそろ盛りは過ぎたかな、と言う感じだった。
今日のコンサートでは、もともとシュタイアーはいつもの通りピアノフォルテで伴奏の予定だったが、いざ弾いて見ると使用予定の楽器のコンディションが悪かったということで急遽普通のシュタインウェイになった。そのせいかどうかわからないけど、もともとシューベルトの「白鳥の歌」がメインだったのにそれが抜粋になって、シューマンばっかりのプログラムになった。
席は女房お気に入りの最前列ではないけど、前から3列目のど真ん中で、狭い音楽堂ではプレガルディエンの唾が飛んでくるギリギリの線。女房と「シューマンで寝そうになったら、かわりばんこに寝よう、二人でヘッドバンキングしてると目立つし」と言いあいながら音楽堂に向かう坂道を上った。
プレガルディエンは、頭は全面真っ白になってしまって、目の下の肉のたるみと腹の突出は大きくなっていた(ちなみに彼は僕と同い年)。それに較べて小柄なシュタイアーは身軽そうだった。最初はシューマンの小品8曲。プレガルディエンは譜面台に歌詞を置いて歌う。寄せ集めの小品で、まあピアノで言えば前奏曲。ぱっとしなかった。
そのあと「白鳥の歌」の最後の6曲。シューマンに較べると曲がダイナミックなのでわかりやすい上にプレガルディエンは譜面台無しでずっと前を向いて歌う。聴いてる方もずっと音楽がわかりやすい。最後の「Doppelgänger」に向かって集中力を高めていくのがいかにもやり慣れていると言う感じ。
その後休憩で女房と、やっぱりシューベルトのほうがよかったよなあ、とか言いあった。プレガルディエンのほうは衰えが見えて、高い音のピアニシモは艶のない音色になってしまったりしてた。そもそも音程が低かったんじゃないかと訊くと女房曰く
「テノールじゃなくてバリトンの声質になってるわね」
たしかにその通り。またシュタイアーについて女房が「彼は左利き?」そう言われれば左手の和音はしっかりしてるけど、右手の和音がぼやけたり細かなアルペジオが転んだりするところがあった。いつものゴトゴトいうピアノフォルテではない現代ピアノのせいでよけい目立ったのかもしれない。
後半はシューマンの「詩人の恋」。実は僕は、プレガルディエンのシューマンに全然期待してなかったんだけど、これはよかった。
プレガルディエンはどうも昔から明るい美声だけどどこか能天気なところがあって「冬の旅」をやっても「冬のピクニック」(これは女房の言)になってしまうことがある。しかしこの「詩人の恋」ではそれがプラスに作用した。明快な言葉と音程、それにしっかりとした声量。密やかな失恋の歌では無くなったかもしれないけど、音響の美しさ、ピアノと一体になった和声やリズムの面白さ、直接は理解できないけどドイツ語の言葉としての響きに乗った説得力は聴いていて楽しかった。こういう「詩人の恋」はいい。シュタイアーも現代ピアノだったおかげで音量的に負けなくて音響的には見通しがよくなった。こっちの方がいいんじゃないか? 普通にやられると絶対寝る。
お客さんがいつまでも帰らないのでシューマン、シューベルト、さらにシューマンを2曲と小品をアンコール。だんだん集中力が切れてきてるのがよくわかった。まあ、無理もない。
終わってから僕は仙台に戻らないといけないのでそのまま電車に乗ったが、女房はCDを買ってサインを貰いに行った。これがさっき女房からメールで送られてきた二人組のサイン。
あとで訊くと、シュタイアーのソナタが聴きたい女房は、その場で握手をしてもらって大胆にも「ベートーヴェンの予定は無いか」と直接訊いたという。その答えは...
女房にとってはCD1枚分の情報なので、ここで開陳する必要もあるまい。いずれわかることになる。
しかし、なにが気に入らないと言って、ピアノのペダルをあげて曲の最後の音が終わるや否や間髪入れず大きな音で拍手をするバカがやっぱり何人かいた。無音の空隙を恐れているのか、それとも「俺はこの曲がどうやって終わるか知ってるんだぜぃ」とひけらかしたいのかよくわからないが、どうしようもなく邪魔。ほんとうに気分のぶちこわしで腹が立つ。どこでコンサートに行っても必ずいて、しかもどこの国のライブ録音を聴いてもたいていいるので日本固有の現象ではないらしいけど、ほんとにもう、おまえら、来るな。
せっかく面白かったコンサートの話にこんなことを書くのはいやだけど、本当に不愉快。
追記(2/21):
女房からサイン入りCDの写真を撮り直した、というので置き換えた。どうやら女房はずいぶん喜んでいるらしい。
最速レビューじゃ。「最速」というには仙台までの移動時間が不利。
この二人組は女房がもうかれこれ15年以上前に「いいリート歌手がいる」とかいって見つけてきたもので、そのあとあれよあれよというまにメジャーになっていった(もちろんクラシックの基準で)。そのあとなかなか生で聴く機会がなくて、プレガルディエンは5、6年前に聴いたマーラー「大地の歌」だかツェンダー版「冬の旅」だかが最初になってしまった。当時でもそろそろ盛りは過ぎたかな、と言う感じだった。
今日のコンサートでは、もともとシュタイアーはいつもの通りピアノフォルテで伴奏の予定だったが、いざ弾いて見ると使用予定の楽器のコンディションが悪かったということで急遽普通のシュタインウェイになった。そのせいかどうかわからないけど、もともとシューベルトの「白鳥の歌」がメインだったのにそれが抜粋になって、シューマンばっかりのプログラムになった。
席は女房お気に入りの最前列ではないけど、前から3列目のど真ん中で、狭い音楽堂ではプレガルディエンの唾が飛んでくるギリギリの線。女房と「シューマンで寝そうになったら、かわりばんこに寝よう、二人でヘッドバンキングしてると目立つし」と言いあいながら音楽堂に向かう坂道を上った。
プレガルディエンは、頭は全面真っ白になってしまって、目の下の肉のたるみと腹の突出は大きくなっていた(ちなみに彼は僕と同い年)。それに較べて小柄なシュタイアーは身軽そうだった。最初はシューマンの小品8曲。プレガルディエンは譜面台に歌詞を置いて歌う。寄せ集めの小品で、まあピアノで言えば前奏曲。ぱっとしなかった。
そのあと「白鳥の歌」の最後の6曲。シューマンに較べると曲がダイナミックなのでわかりやすい上にプレガルディエンは譜面台無しでずっと前を向いて歌う。聴いてる方もずっと音楽がわかりやすい。最後の「Doppelgänger」に向かって集中力を高めていくのがいかにもやり慣れていると言う感じ。
その後休憩で女房と、やっぱりシューベルトのほうがよかったよなあ、とか言いあった。プレガルディエンのほうは衰えが見えて、高い音のピアニシモは艶のない音色になってしまったりしてた。そもそも音程が低かったんじゃないかと訊くと女房曰く
「テノールじゃなくてバリトンの声質になってるわね」
たしかにその通り。またシュタイアーについて女房が「彼は左利き?」そう言われれば左手の和音はしっかりしてるけど、右手の和音がぼやけたり細かなアルペジオが転んだりするところがあった。いつものゴトゴトいうピアノフォルテではない現代ピアノのせいでよけい目立ったのかもしれない。
後半はシューマンの「詩人の恋」。実は僕は、プレガルディエンのシューマンに全然期待してなかったんだけど、これはよかった。
プレガルディエンはどうも昔から明るい美声だけどどこか能天気なところがあって「冬の旅」をやっても「冬のピクニック」(これは女房の言)になってしまうことがある。しかしこの「詩人の恋」ではそれがプラスに作用した。明快な言葉と音程、それにしっかりとした声量。密やかな失恋の歌では無くなったかもしれないけど、音響の美しさ、ピアノと一体になった和声やリズムの面白さ、直接は理解できないけどドイツ語の言葉としての響きに乗った説得力は聴いていて楽しかった。こういう「詩人の恋」はいい。シュタイアーも現代ピアノだったおかげで音量的に負けなくて音響的には見通しがよくなった。こっちの方がいいんじゃないか? 普通にやられると絶対寝る。
お客さんがいつまでも帰らないのでシューマン、シューベルト、さらにシューマンを2曲と小品をアンコール。だんだん集中力が切れてきてるのがよくわかった。まあ、無理もない。
終わってから僕は仙台に戻らないといけないのでそのまま電車に乗ったが、女房はCDを買ってサインを貰いに行った。これがさっき女房からメールで送られてきた二人組のサイン。
あとで訊くと、シュタイアーのソナタが聴きたい女房は、その場で握手をしてもらって大胆にも「ベートーヴェンの予定は無いか」と直接訊いたという。その答えは...
女房にとってはCD1枚分の情報なので、ここで開陳する必要もあるまい。いずれわかることになる。
しかし、なにが気に入らないと言って、ピアノのペダルをあげて曲の最後の音が終わるや否や間髪入れず大きな音で拍手をするバカがやっぱり何人かいた。無音の空隙を恐れているのか、それとも「俺はこの曲がどうやって終わるか知ってるんだぜぃ」とひけらかしたいのかよくわからないが、どうしようもなく邪魔。ほんとうに気分のぶちこわしで腹が立つ。どこでコンサートに行っても必ずいて、しかもどこの国のライブ録音を聴いてもたいていいるので日本固有の現象ではないらしいけど、ほんとにもう、おまえら、来るな。
せっかく面白かったコンサートの話にこんなことを書くのはいやだけど、本当に不愉快。
追記(2/21):
女房からサイン入りCDの写真を撮り直した、というので置き換えた。どうやら女房はずいぶん喜んでいるらしい。
2011-02-20 23:08
nice!(1)
コメント(8)
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奥様も音楽好きなようで羨ましいです。(^^;
by たこやきおやじ (2011-02-22 15:22)
コメントありがとうございます。
今回のリサイタルを女房はずいぶん気に入ったようです。こういう好き嫌いの振幅の大きさでは、僕は完全に女房に負けます。
女房のキャラに較べれば僕なんか淡くて、まるで半透明みたいというと、うちの子供たちに大受けしました。
たこやきおやじさんの奥様は音楽がお好きではないのですか?
by decafish (2011-02-22 20:56)
うちの家内は私に感化されて聴くようになっただけで、自分から何か聴きに行くというほどではありません。
前川清のコンサートにはよく行っていますが。(^^;
by たこやきおやじ (2011-02-23 14:21)
逆にたこやきおやじさんが前川清のコンサートに行くことはないのですか?
僕は子供たちに「おやじの音楽の趣味は偏狭」と指摘されています。
by decafish (2011-02-23 23:44)
家内のお友達のオバサンがファンで、誘われて行くようになりました。
私は行きません。
家内は長崎の出身で前川清と同郷なので愛着があるようです。
私も学生の頃は天地真理のディナーショーなどのは行ったことがありますが。(^^;
by たこやきおやじ (2011-02-24 13:56)
おお、天地真理、ディナーショー、羨ましい。当時の天地真理なら僕も行きたいです。
僕も学生の頃、南沙織のコンサートにはマジで行こうかどうしようか迷ったことがありました。そのときは、友達とチケットを買いに行くとすでに売り切れてました。ふ、古い話。
by decafish (2011-02-24 21:14)
南沙織のLPも1枚持っております。天地真理は多分LPは全部持っていると思います。ついでに小柳ルミ子は2枚です。
この前テレビに天地真理が出ていましたが見る影もなく、デブのオバサンでした。幻滅でした。(^^;
学生の頃は天地真理のレコードの合間に、フルトヴェングラーやブルーノ・ワルター、セゴビア等のレコードを聴いていた変な学生でした。(^^;
by たこやきおやじ (2011-02-25 14:43)
うゎお。
小柳ルミ子はなんとなくオバさんポかったので僕はそれほどでしたが、天地真理、南沙織は僕の中学のクラスの男子がみんな大騒ぎしていて僕もいっしょに騒ぎました。
高校に入って、麻丘めぐみは友達と一緒に大阪フェスティバルホールに行きました。上の奥の方の席から見た遠くのステージで彼女が踊りながら歌ってる写真的記憶があります。な、懐かしい。
麻丘めぐみの話で友達と盛り上がっていたちょうどその頃、バッハの無伴奏ヴァイオリン無伴奏チェロやマーラーの1番も好きだったのですが、その話は誰ともできませんでした。
たこやきおやじさんの気持ちは身にしみて良くわかります。
by decafish (2011-02-25 22:00)