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「クロノリス - 時の碑」読了 [読書]

ロバート・チャールズ・ウィルスン著、茂木健訳、創元SF文庫。
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昔読んだ「時間封鎖」「無限記憶」の著者の長編。この著者の個性が発揮されてて面白かったけど、お話としては、まあこんなもんだろ。

今からそれほど未来ではない2021年。アメリカ人のスコットは妻のジャニスと5歳になる娘のケイトリンを連れて仕事でタイにいた。仕事とはいっても契約は切れてタイでのアメリカ人に関するノンフィクションを書くつもりでぶらぶらしてる、という状態だった。スコットは明け方聞いた爆音のような音の主を確認するために友人のヒッチとバイクで出かけて、戒厳状態のチャムポーン(マレー半島の付け根)に一夜にして巨大なオベリスクが現れているのを見る。その台座にはタイ南部とマレーシアを「クイン」と名乗る何者かが征服したことを賀する碑文があり、その戦争が20年後の未来である2041年に終結したことを宣言していた。

その後アジアの各地にそのオベリスクが突然現れてその周辺の地域を破壊していった。そのオベリスクは通常の物質ではなく、未来から送られてくるらしいということを追認して「クロノリス」と呼ばれるようになる。「クロノリス」の出現に対して誰も抵抗することができず、その土地はただ蹂躙されるだけだった。その無力感から「クイニスト」と呼ばれる宗教的な集団があちこちに現れる。

その後アメリカに戻ったスコットは大学時代の恩師スラミス・チョプラから接触を受ける。チョプラはタウ・タービュランスと呼ぶ物理過程を研究していたが、それが「クロノリス」の出現に関係していることに気がついて「クロノリス」の出現を予測し、ついには出現を阻止する計画を立てる(ちなみに、このスー・チョプラは50年代SFならマッド・サイエンティストで、この本のハードSFなところをひとりで全部担っている。登場人物の中では数少ないステロタイプだけど、レズビアンであることをカミングアウトしてるところは今風)。

未来、といってもたかだか20年なので、もし「クイン」なる人物が実在するとすれば、もうすでにどこかにいる可能性が高いし、クロノリスを出現されるための技術が現在と隔絶して存在するとも考えにくい。また、クロノリスは戦勝記念碑らしいが、戦争をするまでもなくクロノリスを出現させることでその一帯は蹂躙され、戦うまでもなくクインの勝ちであることに等しい。クインとは何者で、どうやってクロノリスを20年の過去へ送り込むことができるのか?

地味だけどいかにもSFらしい道具立てで好ましい。「時間封鎖」でもそうだったけど主人公はちんたらした性格で、なにごとにも積極的に関わろうとはせず、それが災いして(直接の原因ではないが)娘は片耳の聴力を失い、妻には逃げられてしまう。そういう主人公がなぜか事件の核心にいつも居合わせるのは「時間封鎖」と同じ。それも「タウ・タービュランス」が原因らしいけどそこのところはイマイチ釈然としない。

しかし、「時間封鎖」と同じように登場人物は(SFにしては)リアルで魅力的に描かれている。全員がどこかトラウマを抱き、心に問題を抱えたまま行動する。スコットは娘の病気に対して何もできなかったことをずっと後悔し続ける。物語の全体には無力感、退潮感、閉塞感が漂って雰囲気はたそがれている。21世紀劈頭の作品だけど希望にあふれた感じはぜんぜんない。こないだ読んだ「ねじまき少女」も全編、右肩下がりのたそがれた雰囲気だったが、単に最初から存在する暗いディストピアではなく、そこへ至る過程とその「茹で蛙」の気分を描くと言うのが最近のSFの流行なのかもしれない。

物語はクインがチャムポーンにひとつめのクロノリスを送り込む2年前でクライマックスを迎え、エピローグはクロノリスとクインをひとつの事件として俯瞰する時代(何年かはわからないがスコットは70歳になっている)になっている。つじつま合わせ的な種明かしは無しに終わるが、読み手にはいちおう納得できるだけの材料が提示される。しかし全てを描ききって終わるという感じではない結末になっている。ネタバレになってしまうので書けないのが残念だけど、最後は雰囲気だけでシメてしまった感が残る。

ところで、作者はこの物語を2001年に書いている。つまりちょうど20年先を物語の開始時点の世界として選んだ、ということになる。「20年先」という微妙な距離感をみずから具体的に得るためだろうということが理解できる。

この物語全体に漂う退潮感は今の先進国共通の気分だと思うが、特に震災後の日本を支配している気分のようにも思える。日本にはかつて終戦やバブル崩壊なんてのもあったけど、そのときは全く別のところに希望もあった。このいいようのない、これから徐々に縮んでいくだろうという予感は日本が明治維新以降初めて味わうものだろう。20年という未来はSFでは中途半端だけど、現実の世界では百年前、五十年前の日本人が「20年後」を思い浮かべたのとはずいぶん違って予測がつかなくなってしまった。その意味では「20年後」は遠い未来とそれほど大きな差はなく、これから自分の人生設計をする若者にとっては酷な時代かも知れない。

物語の中でクイニストと呼ばれる若者たちは、20年の未来から送り込まれてくるクロノリスと、そこに刻まれたクインの名を、自分たちの未来を指し示す道標のように感じたり、あるいはそれを宗教的な啓示とみなしている。

日本でクイニストのような若者が増えなければいいんだけど....
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コメント 2

崇徳院

黒の栗鼠。
by 崇徳院 (2012-03-27 12:49) 

decafish

崇徳院さんの逢瀬は来世ではなくて20年後だった、ということですか。
「せおー、はやー、みー」
おあとがよろしいようで....
by decafish (2012-03-27 21:03) 

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