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「ゼンデギ」読了 [読書]

グレッグ・イーガン著、山岸 真訳、ハヤカワ文庫SF。
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イーガンにしてはイマイチだったけど、僕には面白いと思えるところもあった。でも、腰巻の惹句は見当外れだと思うなあ....

オーストラリア人ジャーナリストのマーティンは2012年、イランで議会選挙の取材をしていた。選挙は名ばかりで保守派しか当選しない不公平なものだったが、たまたま保守派議員のスキャンダルの暴露に加担してしまう。それは改革派重鎮の暗殺につながり、それらが引き金になって公平な議会選挙が実行されることになって民主化が一気に進むことになる。

イラン人でアメリカに政治亡命したMIT「ヒト・コネクトームプロジェクト」の研究員であるナシムは脳のコンピュータモデルを作る研究をしていたが、プロジェクトに資金的な問題が発生し、民主化されるのをきっかけに母親とイランに戻ることにした。

イランに戻ったナシムは「ゼンデギ」という没入型AR環境を使ったゲームで商売する企業に入社し、以前の研究を細々と続けていた。一方、マーティンは民主化後のイランで結婚して息子をもうけたが、自動車事故で妻を失い、自身も癌が見つかって余命いくばくもないことを知る。マーティンはやがてナシムが自分の死んだ妻の親戚であり、彼女の研究の目標を知って、あることを思いつく....



ただでさえ僕は最近、登場人物の名前が覚えられなくて苦労するのに、今回は発音さえ難しいイランの歴史お伽話の王様や英雄が現れてきてつらかった。ARのお伽話はイーガンがなんのために大量に描写してるのかわからないまま、結局物語とは全然関係がなくて、名前がわからなくても全く問題なかった。どうやらイーガンはイランにシンパシーがあるらしいけど、オーストラリアと同じくらいイランを知らない僕にとっては、無理やり付き合わされている感がずっとつきまとった。

ところで、物語のテーマは「自分が間もなく死に、幼い息子が天涯孤独になるとわかったら父としてどうしたいか」だと言える。マーティンの妻は政治的な姿勢のために親や親戚と断絶していて、頼れるのは友人しかいないが、マーティンは自分の主義とは異なっているという印象をその友人に対して持っている(この友人の存在はちょっと不自然に思える。ちなみに主人公のマーティンやその奥さんはイーガンの登場人物としては珍しく科学技術の当事者からは遠い、政治的な人物になっている)。息子を友人に託せない、と感じたマーティンは息子の後見人となるコンピュータモデルをナシムに作らせようと考える。

イーガンはこれまでの作品で、人間の脳のシナプスをシミュレートして仮想空間で生きつづけるような話をたくさん書いている。そのためには巨大な計算リソースが必要になってどうやってそれを確保するか、なんていう話もあったりする。

でもシナプスは分子レベルの化学反応で、第1原理計算的に直接それをシミュレートしていたんではキリがないので、どのレベルをモデル化するか(例えば分子間の化学反応のレベルから、神経伝達物質による受容体の励起のモデル、あるは一つのシナプスの動作モデル、そして脳細胞の機能モデル、さらには脳細胞間の機能ブロックのモデル、というふうにいろいろなレベルが考えられる)というのは大きな問題である。機能モデルは具体的にそのレベルの機能を網羅できなければシミュレータはちゃんと動作しない。低いレベルは単純だけど数が多くて、逆に高いレベルは数は少なくて済むけどモデル化は複雑になる。

彼の以前の作品、例えば「順列都市」でもそういうことへの言及があったと思うが、そこでは数で勝負という話になっていた。さすがに膨大な計算リソースは遠い未来でないと実現できないと思えるので、「順列都市」では数学理論そのものが計算実体になるというようなSF的詭弁を登場させている。それはそれでSF的な道具立としては面白いが、やっぱりちょっとつらいな、と思っていた。

「ゼンデギ」は遠い未来の話ではなくて、計算リソースも現在と数桁(もちろん十進で)しか違わないような2027年が舞台になっている。イーガンは「サイドローディング」という技術をひねり出してリソースの問題を解決する。サイドローディングは二つの過程から成っている。ひとつは色々な刺激を脳に与えてどのような反応をするか脳内活動のレベルで観察する技術と、もうひとつはナシムの脳全体の機能モデルであって、おそらく脳を機能の集合としてまとめたモデルを、刺激に対する反応で学習させて鍛え上げよう、というものらしい。

脳のモデルは最初は外科的な手段で得るが、そのモデルはニューロンの接続のレベルではなく、機能ブロックのネットワークとして捉えるようにイーガンは書いている。ナシムは最初たくさんの錦花鳥の脳を切り刻んで配線を調べ、そのあと死者の脳をスキャンしたものを使う。

ナシムは錦花鳥のさえずりから「二都物語」を朗読する「ブランク・フランク」へモデルを成長させたあと、サイドローディングのひとつめの手法を取り入れることでサッカー選手の「バーチャル・アジミ」を仮想空間内に作り、さらに若い女の子のように会話できる「ファリバ」を女子学生20人の反応データから作り出す。物語の中でチューリングテストへの言及はなかったと思うけど、ファリバは間違いなくパスするだろう(もちろんSFなのでそんな技術は今は存在しない)。

歴史お伽話の中でマーティンの息子が活躍する合間に途切れ途切れに描写されているこういった技術的な進捗のようすは、フィクションだとわかっていても読んでいて、あぁこんなふうにできたらいいなあ、と思ってしまう。

不特定多数の女の子の代表であるファリバを超えて、マーティンという特定の個人と同じように受け答えする「プロキシ」を作るのがナシムとマーティンとの共通の目標になる。その一方で「ゼンデギ」はクラックによる妨害工作を受けるようになって存続の危機がせまる。

この本を読んでいない人には申し訳ないが、物語の結末をバラすと、彼らのプロジェクトは失敗に終わる。まあ、推理小説ではないので結末がわかると読む気がしなくなるというような本ではないが、詳しくは書かないようにしよう。この結末はイーガンが、サイドローディングという手法で話を書いてはみたもののこれではうまくいかないだろうな、と考えるに至ったということだと僕には思える。素子レベルのシミュレーションでは計算リソースが膨大に必要であり、機能レベルのシミュレーションでは粗雑すぎる、と考えたんではないだろうか。

物語の最後の一文が「ゼンデギ」の妨害工作の首謀者(彼らの「ゼンデギ」を攻撃していた理由がまたイーガンらしくて面白い)の言葉、

「もしなにかを人間にしたいなら、人間まるごとをお作りなさい」

で終わってるのは、仮想空間内の意識だけの人間を実現することが未来永劫不可能なんではないか、とイーガンは感じるようになってきた、と僕には思える。妙にヘナヘナした終わり方を読んで「これまでさんざ書き散らかしてきたのはどうしよう...」と頭を抱えているイーガンを連想してしまった。まあ作家としてはまだ老大家というような歳でもないので、今後の作品に乞うご期待ということだろうけど。



そういえば、宇宙全体は交錯した幾つかの場の相互作用でできているらしい。場は連続ではないかもしれないけど、それぞれの場はミクロにはあらゆる場所の微小な空間の作用(ラグランジアンの積分)に関する位相を知らないといけない。そんな複雑で膨大な相互作用を宇宙はどうやって計算してるんだろう....
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