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生産システムは人を信用してはいけないのか? [日常のあれやこれや]

先週後半から会社のあづみ野工場に行っている。週明けからも行く。目的はトラブル対応。僕がソフトウェアの一部を書いた装置がちゃんと動かない。というか、そもそも設計時点では想定していなかった使い方をされているせいで、それをなんとかしよう、としている。

自動的に良品を生産するように設計された生産設備は仕様通り使われて運用されれば高い信頼性を発揮するが、設備の仕様から逸脱するような使い方をされる場合たいてい問題が起こって、はっきり言えば役に立たないことが多い。そりゃそうだ、設計とはそういうもんだ。もちろんそうでない装置も中にはあるけど、そういうものはたいてい極端に高額である。

ようするにそこそこの値段の装置で、人の介在が不要な安定した生産設備は、仕様とは異なる使い方に対して脆弱というか、柔軟性に乏しい。機械は生物ではなく、柔軟性とは生物の持っている特権のようなものである。だから「バイオミメティクス」のような試みがありえる。


でも、製造業の「高品質」がすなわち「人を信用しない」と言う姿勢と同義になってしまったのはなぜだろう。「完全自動化ラインだから品質が高い」という謳い文句はいたるところに転がってるし、ISO9000シリーズからは「人を信用するな」「システムだけが信頼の根源である」という思想がひしひしと伝わってくる。確かに僕の経験からはその通りではあるんだけど、なんでだろう。

人は必ずミスをするからか?もちろんそうだけど、それを言うならシステムも人が作ったんだから原理的には完璧ではありえない。なら確率の違いか?システム構築よりも現場でのほうがミスの確率が多いかもしれないけど、それはディテールをどれだけ考慮するかの違いのような気がする。

逆に、人に頼った製造業というとこんどは職人技の極みたいな話になってしまいがちである。それは宗教者の「悟り」みたいなもので他人の理解を拒絶することになる。

どちらも僕のやりたいことではないという気がするんだけど、ではどうすればいいんだろう....
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