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冨田勲死去 [日常のあれやこれや]

冨田勲が5月5日に死んだ。日本の僕らの世代には「ジャングル大帝」「ビッグX」「リボンの騎士」さらに人によっては「空中都市008」や「マイティジャック」などによって冨田勲の音楽の語り口が無意識の深層に刷り込まれている。

僕が学生の頃には彼はシンセサイザを多重録音したアルバムを次々に出して、先日亡くなったキース・エマーソンと並んで、当時素人でも使えるようになってきた電子楽器の音色をどう使いこなすか(あるいはどう使わないようにするか)という面での教師のような存在だった。

京都で学生をしていたとき、バンド仲間(正確には違うけど)と3人で冨田勲の住所を調べて東京の自宅の前まで行き、結局ピンポンダッシュしただけで帰ってきてしまったことが懐かしく思い出される。会社に入ってからは(バンドをやりたかったんだけど気の合うメンバが見つからなくて)僕も真似をしてRolandのU-110やU-220といったGeneral MIDI以前のPCM音源をGM規格化以降に中古で何台も手に入れて遊んでいた。その頃はまだDTMという言葉もなく、冨田勲の打ち込み多重録音のスタイルが模範だった。

彼の作るメロディは輪郭がはっきりしていてわかりやすく、しかもどこか一捻りがあってカッコよかった。僕が子供のころテレビで流れていた音楽はいわゆる歌謡曲が多かったが、僕にはどれも「あたりまえ」でぼんやりとした退屈な曲ばかりに思えたけど、アニメやドラマの主題歌や劇中音楽は好きなものが多かった。その多くが冨田勲の作品だと大学の頃知った。うまく言えないけど彼の音楽にはどこか違うセンスというか、短いフレーズにも的確な切れ味のある、個性の刻印みたいなものを感じる。

「ジャングル大帝」のバスボーカルの最初の9度の跳躍は子供心にも「すごい」と思ったことは前にも書いた。「マイティジャック」のトランペットのユニゾンファンファーレは聴くたびにスカッとしたし、その後のボーカルのテーマ部分での遠隔調が直接接続された和音進行も茫洋としているだけではない、どこか遠い憧れのようなものも感じられたことは今でも思い出せる。

ちなみに、「マイティジャック」放送当時僕は中学生だった。同級生の男の子の間で「マイティジャック」の受けはあまり良くなかったけど、僕は特撮の迫力と音楽に夢中になった(当時父がそんな息子のために精密なMJ号の模型を木と発泡スチロールで作ってくれたのを思い出す)。またその少し後の「宇宙戦艦ヤマト」にこれとよく似た3連符のリズムと楔形の付点音符を持ったトランペットのフレーズが出てきて、それもカッコよかったけど僕は初めて聴いた時「でもマイティジャックが上」と思ってしまった。

新作の準備途中でのポックリだったんだなあ。何年か前に初音ミクの入った交響曲をテレビで見たときは、流行りものを取り込もうというような下衆な発想からではなく、ただ「サファイア王女」の代わりが彼は欲しかったんだと僕には思えて、歳を取っても少年の心を持っている人だなあ、と感心した。僕もこうありたいなあ。もう遅いけど。

しかし、僕らの世代のヒーローたちが次々死ぬなあ。寂しいなあ...

合掌。
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