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日曜美術館「ルドン」 [日常のあれやこれや]

日曜美術館の再放送「見えないものを見る~オディロン・ルドンのまなざし~」を見た。メインキャスタが小野正嗣に変わった。前のは凡庸に思えてあまり面白くなかったので期待。

僕の子供の頃、ルドンはわりと好きな作家の一人だった。残念ながら本物は一枚も見たことはないけど、父が主幹をやっていた神戸市中央図書館の蔵書のなかに小さめの版の画集があってそれをなんども見た。モノクロで描かれた異形の、怪物のようだけど威嚇的ではなく弱々しかったり軟弱に笑っていたりして、普段はどこかに隠れているような、なんとなく情けない、そういう生き物たちが子供の僕には水木しげるの描く妖怪のようで、密やかで近しく見えた。

しかし僕はルドンの怪物たちに対して、もっと恐ろしげに、怪物らしくしろよ、とも思った。一つ目巨人よ、ニヤけるなよ、と思っていた。その意味では僕には物足りなくもどかしく、中途半端に思えた。図書館の大判蔵書にあったキリコのマネキンや、ダリの鶴みたいな足の象や、もっと昔のボシュのピンク色のなんだかわからない袋みたいなやつのほうが自立した怪物らしくて、ほら、こいつらのほうがずっとしゃんとしてるだろ、と思っていた。

そして、その画集の後半にあったパステル色調の花々の絵を、子供の頃の僕は大嫌いだった。僕には、ルドンが日和った、この裏切り者め、仲間だと思っていたのに卑怯者め、と感じられた。モノクロでは一つ目巨人も花も蜘蛛も三白眼を見開いてあらぬ上の方を睨んでいたのに、色がついた途端にみんな目を閉じてしまっていた。閉じた目は現実を見つめずに、自分の内側にある理想の明るい安寧な花園に閉じこもろうとしているように僕は感じた。モノクロの花たちはそれぞれが意思を持っていたのに、パステル調になるとアメーバのようなただ存在しているだけのものに思えた。

その後ルドンを意識することは50年たった今までずっとなかった。いまちょうど日本にいくつか来てるらしいので本物を見に行きたいと思っている。

放送では文学的な修辞が過剰に思えた。言葉で説明するのは必要だけど、文学的な比喩は絵画にとって逆効果になることがある。その中で鴻池朋子というゲストの言葉は作る側からの視点があって面白かった。この人、すごく頭がいいんじゃないのか、カッコよかったな。
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DanielGaulp

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by DanielGaulp (2018-04-09 02:38) 

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