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「永遠の門 ゴッホの見た未来」を観た [日常のあれやこれや]

映画「永遠の門 ゴッホの見た未来」をうちの子供たちに誘われて観た。女房は「ゴッホの伝記映画なんて怖いに決まってる、どうせ結局耳切るんだぜぇ」と言って参加しなかったので3人で行った。ゴッホは僕の好きな画家というわけではないけど、僕の持ってたゴッホのイメージとこの映画のゴッホはちょっと違っていた....

手持ちカメラで撮ったようなブレの多い画面の上に、ゴッホの視野を表していると思われるシーンはたいてい画面の下半分がレンズの前に浅いプリズムを置いたようなぼやけた2重像になっていて、かなり見づらかった。音楽もゴッホ一人のシーンでは、キース・ジャレットを下手くそにしたような行き当たりばったりなピアノのソロで、まるでマイクをピアノの中に放り込んで撮ったような音色と、白鍵だけなのに短二度や長七度が衝突する(たいていドとシ)耳障りにも感じるものだった。こんなん僕でも弾けるがな、と思いながら聞いていた。

昔、僕が子供のころはゴッホを形容するのに「情熱」「努力」「天才」「狂気」といった言葉が使われることが多かったように思う。この映画はそういうゴッホの古臭く通俗的なイメージとは無関係で、ちょっとほっとする。まあ、そんなの今更だよな。そして特に前半ではゴッホの絵に描かれた人物や、風景が画面に現れて「あ、これ知ってる」みたいなシーンがいっぱい出てくる。なにげなく糸杉を見上げたり、ゴッホ自身も自画像で描かれた服装と背景そのままだったり、例の「郵便夫」「医者」そのままの人物が出てきたりして楽しい。

この映画ではゴッホは情緒不安定なところもあるけど心優しい物静かな画家で、精神病を匂わせる描写はほとんどない。それよりもフランス語で話す周囲の人々(映画の中心人物たちはみんな英語で喋っている。全員英語じゃないのは意図的なのか配役からの制約なのか)の無理解や、彼らのからかい意地悪へのゴッホの反応に対する誤解が積み重なった結果、判定が下されたり、さらにその結果入院することになった、と言っているように見えた。

アルルの人たちは一様に頑迷でゴッホに対してそっけなく冷たい。映画ではそれを強調するかのように、アルルにゴッホが描いたような暖かい太陽はなく、頭をうなだれるように立ち枯れたひまわりが地平線まで続く。

逆にそういう描き方のせいで「耳切事件」(映画では暗転して描写はない)や最後の死因となる銃創を受けるシーン(自殺説はとらなかったようである)がなんとなく状況を陳述してるだけの、説得力の低い場面になっているような気がした。

映画では、いつものようにゴッホが草地の木陰で木の根を写生しているとき、子供の集団が彼を囲んで彼の絵を変だと非難したり、絵具の乾いていない画布を手で弄ろうとする場面がある。ゴッホがやめさせようと声を荒げたときに、子供の引率と思われる女が子供たちに追いついてきてゴッホを「きちがい」と罵る。

この映画ではゴッホが子供や若者に因縁をつけられたり、からかわれたりするシーンが何度か出てくる。一方的に暴行を受けて病院のベッドで目を覚ましたとき、弟のテオからどうしたと聞かれても、「覚えていない」「よくわからない」としか答えない。それが彼の病気のせいで本当に覚えていないのではなく、まるで彼が加害者を庇っているかのように描かれる。



僕のゴッホのイメージはというと、ちょっと違っている。内向的なのに我を張ることが多くて思い込みが強くて他人には攻撃的で、そのくせ内面は弱々しくて、何かあるとすぐ酒や女に溺れたり自暴自棄になったりする。さらに経済観念にも乏しくいつまでも自立できない。そして援助してくれる数少ない人たちや友人ともちょっとした行き違いからすぐ諍いを起こす。

ようするに「ダメ人間」の典型みたいな男のくせに、絵のことになると別人のように冷静で理論的で画題から技法まで包含する一貫した考えを確固として持っていて、その上に鋭い批評眼の持ち主で他人の絵に対しては的確な評価を下すことができる。絵に関するときだけ聡明な人格者になる。いわゆる「破滅型天才」の類型に近いけど、ゴッホ自身存命中は「天才」とみなされることはついぞなく、変な絵を描き散らすだけの単なる「ダメ人間」だった。

そういう矛盾した人格の持ち主のせいで、精神病の診断も正常な人から見たらその矛盾が理解しにくかったからではないか、ゴッホ自身もそれを自分の病気の症状だと思い込んだんではないか、とも僕には思える。まあ、僕が勝手にそう思い込んでるだけだし、そういう極端な性格はそれはそれで病気ではあるけど。

「星月夜」に狂気をみる人もいるし、たしかにある面、恐ろしい絵ではあるけど、一方で的確な技術に裏打ちされた、冷徹に計算された緻密で素早い筆運びと配色で、それまで誰も見たことのない超個性的なイメージを作り出していることに反対する人はいないだろう。「星月夜」は透徹した理性と孤高な感性を合わせ持った人だけが描ける絵で、本当にすごい絵だと僕は思う。そしてそれが狂人にできることだとは僕にはまったく思えない。

映画にはゴーギャンとの共同生活でゴッホの速筆をゴーギャンがたしなめるシーンがある。ゴーギャンが一方的に共同生活を破棄する原因は単に性格の違いだけではなく、もっと絵画とその技法に関する議論とその結論の不一致が二人の間にあったと僕には思える。映画ではそのあたりはさらっと描かれてゴーギャンを失うと知ったゴッホが極端に動揺する様子が拡大されるけど、実はその前にゴッホに的確な指摘をされてゴーギャンがムカつく、ということが何度もあったんではないか、と思っている。というか、普通そう思うよな。

映画でもゴッホはスーラを貶してモネを高く評価する言葉をゴーギャンに投げかける。ルノワールやドガに対しては「ま、こんなもんだろ(映画でどういう言葉を使ってたか忘れた)」という評価だった。ゴーギャンはそれをあいまいに聞き流し、ゴッホは控えめに言いつのる。僕のイメージではゴッホはもっと厳しい言葉を使ったはずだと思える(当時飛ぶ鳥を落とす勢いの印象派の連中をゴッホが本当にそう評価したのか、はわからないけど、ゴッホがそう考えるのはよくわかる気がして面白かった。ゴッホがミレーを手本と考えているとほのめかすシーンもあったし)。ゴッホが本当に言葉を操るのがうまかったかどうかはよくわからないけど、僕のゴッホに対するイメージではそうである。

ゴッホをアスペルガー症候群と見る説もあるらしい。僕にはそれが一番もっともらしく思える。

最後のシーンも含めて、ゴッホはごく普通の人でたまたま自然に対する天啓を受けた人物にように描かれた映画だと思った。ようするに、妙に優しいゴッホ観の映画だったな、と思った。一緒に観たうちの子供たちはというと、見終わってやっぱり怖かった、と言っていた。そうかな。

あ、そういえば娘にチケットを立て替えてもらってそれを返すのを忘れていた。最近彼女はめったに帰ってこないので忘れそう。
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サンフランシスコ人

「星月夜」の実物をニューヨークで見ました....私も本当にすごい絵だと思いました...
by サンフランシスコ人 (2019-11-27 08:46) 

decafish

コメントありがとうございます。
僕もずっと昔、出張中の休日にMoMAで見ました。実はその時、ピンとこなかった、というか恐ろしい絵だと思っただけだったので、改めて見てみたいと思っています。
ゴッホの絵は日本での客の入りもよくてわりと頻繁に展覧会があるのですが、「星月夜」はなかなか日本に来てくれません。

こんどニューヨークへ休日を挟んだ出張があったらMoMAとグッゲンハイムのハシゴをしたいとずっと思っていましたが、もう機会はなさそうで残念です....
by decafish (2019-11-27 20:49) 

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