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YouTubeで聴くショスタコーヴィチ その5「森の歌」のどこが特別なのか [クラシック]

前回の続きでYouTubeにあるショスタコーヴィチを聴きながら、「社会主義リアリズム」に沿った作品を書くことになったふたつの事件とその周辺の話の最終回。

彼の「社会主義リアリズム」に沿った作品の頂点としての「森の歌」が、僕にはただそれだけではない「特別な作品」と思える、その理由について。今回はちょっと文字ばっかりが続くけど....

この「森の歌」はショスタコーヴィチの作品の中でも特別な位置づけにあると僕は思っている。ソビエト体制称揚とレーニンやスターリンの個人崇拝、輪郭のはっきりしたメロディと明快な和声、力強く安定性の高いふくよかな音響、などなど「体制御用作曲家」のステロタイプな作品像とぴったり符号する。その意味で「ベルリン陥落」などの「社会主義リアリズム」に沿った作品群と同列だと一般には考えられている。そのため今でも、特に西側ではこの曲を酷評する人は多い。

しかし、ただ音響を垂れ流すだけの「ベルリン陥落」とは違うところがたくさんあると僕には思える。前回書いてきたように、近親性の高い遠隔調への直接転調と機能和声的な主調への復帰、それによって得られる明るい音色と主調の安定感、全体を1つにまとめあげるそれぞれの主題の関連性とその中での多様性、主題を縁取って支える対位法の豊満とも言える多彩さ、変拍子の持つ緊張感とそれに不自然さを感じさせない柔軟なリズム、民族性を感じさせながらユダヤなど特定の民族に偏ることのないメロディ、その上でわかりやすさと個性的な表現を両立させている、などなど、単にオーケストラを鳴らすだけではない、ショスタコーヴィチが持つ、退屈な映画音楽の量産で得た技法の全部を注ぎ込んだ、作曲技術のデパートのような曲になっていると僕には思える。作曲に要した時間は短いけれど、ショスタコーヴィチの気合の入り方はまったく違っているように感じる。

ではこの曲がショスタコーヴィチの最高傑作か、と問われれば、僕はそうとは思えない、と答えることになってしまう。なんだか偉そうだけど、どこが最高傑作に相応しくないか、というとやはり「問題提起の弱さ」と「その克服感の弱さ」、そしてその結果としての「底の浅さ」「内面へのツッコミ不足」と言っていいと思う。そこが交響曲や協奏曲、弦楽四重奏などとの違いになっている。

前回の第3曲のところでも書いたけど、全体としてベートーヴェン的な、みずから問題を克服したという達成感や解放感に欠ける。彼の交響曲第5番は、それこそベートーヴェンに始まる問題提起とその克服を描いた音楽であると解釈されているし、10番、11番もフィナーレが必ずしも問題解決を表していないにしても、少なくとも前半は内面を探る音楽になっていると思える。この「森の歌」の第3曲や第6曲のイングリッシュホルンの部分はもっと自らの内面を観察して問題点を浮かび上がらせる音楽だったなら、最後の割れ鐘の音響に対してもっと共感と納得が得られるはずで、ショスタコーヴィチの技量をもってすればそれは可能だったろうと思えるのである。

「ベートーヴェン的」なものは古臭い、というなら「社会主義リアリズム」的な、ポピュリズム的な表現全体が古臭いわけで、それを言い出したらそもそもこの曲が成り立たない。

「ショスタコーヴィチの隠された暗号」論が好きな人たちは植林計画が、ひいてはスターリンの計画がしょせんそれだけの底の浅いものだ、ということを暗に表すためにそうした、と言うかもしれない。他の、例えば交響曲第5番の「暗号」論と同じような、いかにもありそうな話が作れるだろう。しかし僕にはそうは思えない。当時の彼にはそんな「遊び」をする余裕はなかったはずである。

その原因のひとつは歌詞にあると僕は思っている。旱魃で苦しむのを自然改造で克服しようとするんだけど、それが自らの反省から起こるのではなく、スターリンが発案し、彼から人々に与えられて、それによって人々の目が覚まされた、という内容になっている。つまり歌詞からして自ら克服したものではない、と言っているわけである。これは「社会主義リアリズム」がそういう内容を要求しているわけではなく、芸術家たちが忖度した結果で、あなた命令する偉いひと、私たち実行する臣民、というおべっか図式が一般化していて、それに作詞をしたドルマトフスキーが従った結果で、スターリンと党中枢はそれを良しとしたのである。

もちろん音楽そのもののほうは言葉にはならないので、歌詞の通りなっている必要はないし、どういう関係になっていようが聴き手には伝わらない。しかし作曲家は、悲しげな歌詞に明るいリズミカルな音楽をつけようとはしないし、無理やりやろうとしても難しい(竹中直人の「笑いながら怒る人」がすごいのはまさにそのせいである)ように、いろいろなレベルで歌詞の内容と音楽を関連させて作曲するだろう。さらに、自分に素直な作曲家は歌詞内容と自分との内的な関係が、意識するしないに関わらず音楽に現れるだろう。

本当はショスタコーヴィチは、歌詞を超える内容の音楽を「森の歌」によって作ろうと考えていたのではないか、と僕には思える。しかし彼の意思とは無関係に、彼と彼の「森の歌」の当時のソビエトにおける有り様(ありよう)が、そしてそれ以上に当時の彼の内面がどうしても反映してしまったのではないか、と思う。ようするに最高傑作とならなかったもう1つの原因は彼自身にある、と僕には思える。

それは実は交響曲でも同じで、第5番もほんとうは明るいフィナーレが書きたかったんだけど、当時の彼の、これで生死が決まるという不安が現れてしまったのかもしれない。10番ももっと肯定的なフィナーレにしたかったのに、ただ自分を鼓舞するだけのような音楽にしかならなかったのかもしれない。11番も同じで勇壮な革命歌で終わりたかったのに、結果的に行進曲調ではなく遠くを憧れるかのような3拍子の「帽子を脱ごう」が取って代わってしまったのかもしれない。無理やり当初目標に従おうとすると曲は破綻して形をなさなくなり、9番のように計画を破棄してやり直さざるを得なくなる、ということなのかもしれない。

僕は一般に言われているのとは違って、ショスタコーヴィチは自らに正直な、そしてそうでしか居られない作曲家だったと思っている。何かを暗に仕込むといった芸当は、作曲開始当初は考えたかもしれないし、他にもいろいろ盛り込もうと考えるけど、結局は彼の内なる声に音楽が支配されて、出来上がった音楽にはパロディックな意味不明の表現として痕跡が残ることになってしまった、と思っている。その具体的な例は交響曲15番のところで書いた

「森の歌」も、もしジダーノフ批判をかわすのが目的なら「ベルリン陥落」のような音楽で良かったし、そういうカンタータでも党中枢は十分満足したはずだった。少しだけ捻った転調や、変拍子や、長大なフーガや、主題の有機的な繋がりなんかは不要だし、どうせスターリンたちは気にもしないはずだった。しかも、たったこれだけの小細工でさえヘタをすると、わかりにくい、形式主義的、ブルジョア的、などと言われかねなかった。特に自己批判した身である当時は徹底した恭順が相応しかった。

それでも「ベルリン陥落」とは違うものを盛り込もうと意気込んだのは、ひとつは批判に従ったとしても有象無象ではない、彼独自の価値ある音楽が書けるという自負と、「ベルリン陥落」ばかり書いていたのでは心がすり減ってしまうという不安があったのではないか。

しかし出来あがってみると、意図したところから微妙にずれていた。千葉潤の本によれば、初演は大成功だったにもかかわらず、
当時、ショスタコーヴィチと交際していたウストヴォリスカヤによれば、「森の歌」が11月15日にレニングラードで初演されたあと、ヨーロッパホテルに戻ったショスタコーヴィチは、彼女の前で、枕に顔をうずめて号泣した。ウォッカを飲んで少し気分を落ち着けたが、飲んでも飲んでも酔っぱらうことはなかったという。
とある。僕は「ウストヴォリスカヤによる伝聞」はちょっと大袈裟過ぎるのではないかとも思うけど、千葉が本で指摘するような「森の歌」によって「御用作曲家」を決定的にしたことよりは、作品が結果的に不本意な出来で、しかもそれが大受けだったことのほうが彼には痛手だったのではないか、と僕は思っている。しかもその原因はスターリンでもなければ誰でもなく、ただ自分自身にあったという自覚なのではないか、と思っている。

彼は一連の映画音楽などの「社会主義リアリズム」に沿った作品と同時に「ユダヤの民族詩から」「24の前奏曲とフーガ」交響曲第10番、それと超傑作だと僕が思っている「ヴァイオリン協奏曲第1番」などを書いている。発表するあてのないこれらの作品を「引き出しのための作品」と呼んでいた。これらはいわば自分のために、心をすり減らさないようにするために書かれた作品だった。当時の彼にとってはこの二つの作品群は、書き始めたときは大きな差はなかったかもしれないけど、作曲を続ける中でそれぞれ異なるものを満足させる作品に収斂していった。

そういった外的な困難と内的な欲求との矛盾というか、折り合いをつけることの難しさを感じながらこの「森の歌」は、「ベルリン陥落」に代表される「社会主義リアリズム」に沿った作品と「引き出しのための作品」との間を取り持つ作品にするつもりだった、と僕には思えるのである。残念ながら結果的には、というか彼の作曲姿勢からすれば必然的に、その目的を達成したとは言えないものになった。



ショスタコーヴィチはこのあともう一度同じ作詞家とカンタータの作曲を計画する。それがOp.90「わが祖国に太陽は輝く」音だけここで聴ける)で、共産党を「太陽」と見立てた歌詞で、彼は当初この曲を「党に関するカンタータ」と呼んでいたらしい。彼がどういう音楽を作ろうとしたか、はそのことからもわかる。しかし「森の歌」が数ヶ月で作曲されたのにこちらは難航する。中断を挟みながら2年がかりでできたのは、ソロ歌手がいないのとバンダが半分の6本になっているだけであとは「森の歌」と同じ大編成(少年合唱も含んで)の単一楽章のカンタータだった。似たようなModeratoのクラリネットのソロから始まり、最後は大音量のフォルテシシモ(fff)で終わる曲で、「森の歌」の約半分の長さである。

聴くとなんとも精気の抜けたかげろうのような音楽になっている。明るい曲調がただ薄笑いを浮かべているだけの、上滑った感じをむしろ強調しているように聴こえて、作曲技術の高さに反して「ベルリン陥落」よりさらに作品としての質が低下しているように思える。聴く人によって印象は違うかもしれないけど僕にはこれがそうとしか聴こえない。この曲をショスタコーヴィチがどう評価したかは伝わっていないし、shostakovich.ruによると初演の日付が曖昧だったりしてその反響もよくわからない。

この外見がよく似たふたつの曲を聴くと、プライドを捨てさえすれば誰にでもできそうな、そしてソビエトの多くの作曲家たちがそうしたような、ただ批判に応え、体制への恭順を示すことと、自分に対して無意識的に正直な自分自身を制御することの両立がショスタコーヴィチにとってはどれだけ困難だったか、を表しているように僕には思えるのである。
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