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ショスタコーヴィチ交響曲第15番の調性/無調の話 [音楽について]

MacPorts版64ビットコマンドラインLilyPondを導入して快適だったので、それを使ってひとつのネタを披露する。楽譜をいっぱい書く...

1  ショスタコーヴィチの交響曲第15番

ショスタコーヴィチの交響曲15番はショスタコーヴィチの最後の交響曲で、また「交響曲」というジャンルのほとんど最後になる曲である。15曲ある交響曲の中では僕の一番好きな曲で、そして彼の交響曲の中でいちばんの傑作で、古今東西の交響曲のなかでも上位に数えられる名曲だと僕は思っている。

この曲は、見かけ上は引用/パロディが満載で、また特に第1楽章は新しいメロディというかフレーズが次々に現れては通り過ぎていくように聴こえることもあったり、一方で重苦しく暗い調子で沈みまくるところもあったりして、掴みどころのない曲のように言われることがある。一般的には、自他の作品からの引用はショスタコーヴィチによる「しかけ」「からくり」と考えられることが多い。

僕にはこの曲が、非常に知性的かつ冷静で、しかも一音一音がすべて自然体でありながら決然としていて、ブレがないと聴こえる。それはショスタコーヴィチの生前の言動とは真逆で、迷いがない、と言っていい。

僕がこの曲をどう聴いたか、というのは前に書いたことがある。また、ここで何度か書いたように僕はショスタコーヴィチの引用を云々しても仕方がない、と思っているので、引用、パロディの話は無視して(最後に彼の引用に関して僕の思うところを書くつもり)、今回はもうすこし曲の構造についてまとめてみたい。特にショスターコヴィチの「調性感」について。

今回は最初に書いたように64bit版LilyPondで音符を描くのが快適だったので譜例をいっぱい描いて、僕が考えるショスタコーヴィチの「調性」に関する面白いところを「とことん」書きたいと思う。一般に言われていることや偉い人が言ったことと違うところがたくさんある。僕は音楽学者ではないので、客観性よりも自分の耳で聴いて感じたことを優先した結果である。

「それは違うだろ」と思った人はぜひコメントください。

トッコトン。

こう書くとちょっとかわいいかな。

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