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キット・アームストロング ピアノ・リサイタル [クラシック]

女房が注目している若手のひとり(世界的に売り出している若手はいちおう全部注目するらしい)キット・アームストロングのコンサートが昨夜浜離宮ホールであったので二人で行ってきた。
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不満はいろいろあるけど、若い人の演奏を聴くのはやっぱり楽しい....

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9月16日「マハン・エスファハニチェンバロ独奏演奏会」 [クラシック]

昨夜、女房と一緒にエスファハニというチェンバロ奏者の演奏会に行ってきた。銀座の王子ホールだったので会社が終わると速攻で電車に乗った。また例によって銀座の地下鉄の改札の中で迷った。

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けっこう面白かった...

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N響「スラトキンの武満」 [クラシック]

今夜のEテレ「クラシック音楽館」ではスラトキンが武満徹の「ファミリーツリー」を振っているのを聴いた。スラトキンが武満と懇意だったというのを初めて知った。キャラはお互いずいぶんと遠いような気がするけど。

この曲は谷川俊太郎の詩に武満徹が曲をつけたもの。でも歌にはなっていなくて少女が語ってそれにオーケストラが伴奏するという武満には珍しい形式になっている。

谷川俊太郎の、いっけん優しそうだけどどこか酷薄な言葉が少女の口から語られると、幼さによる残酷さと、自分とは無関係な地平への憧れのようなものが同居する不思議さが現れるように僕には思える。武満がこの曲でいかにもそれを狙ったように僕には思えてくる。

でも、それに覆いかぶさる武満の音楽はそれに従うように優しげで柔らかく聴こえるけど、ずっと鳴り響くということはなくて、短いかたまりにブツブツと途切れる。まるで語り尽くすのを嫌っているのか、武満の柔らかい和音は空気の中に溶けていってしまって、鳴り続けることを拒否しているかのように響く。ひとつのフレーズはすぐ休符に取って代わられる。そして音のない空間がこまぎれに頻繁に現れる。

武満の晩年の曲にそういうのは多いような気もするけど、この曲は僕にはとくにそう思える。本来は言葉に寄り添うはずの音楽が、断定を避け、語尾を曖昧にし、結論を遠ざけようとしているように聴こえる。それはいかにも日本的な言語構造に思えるけど、この曲で少女によって発せられる言葉とは矛盾しているように僕には聴こえる。

武満の真意は何だったのか、はもう誰にもわからない。それは彼と懇意だったというスラトキンにとっても同じである。生き残った我々はああもあろ、こうもあろ、と思いめぐらすのが関の山である。

Eテレ「クラシック音楽館」ヤルヴィ・ゲルネの「亡き子」 [クラシック]

ついさっきEテレの「クラシック音楽館」でパーヴォ・ヤルヴィがN響を振ってマチアス・ゲルネのバリトンでマーラーの「亡き子をしのぶ歌」を聴いた。ヤルヴィは全世界のオーケストラを振っていてネット配信では盛んに流れている(よその国では音質は別にして実況を太っ腹にタダで流すところがたくさんある)ので、生を知らなくても聞く機会がやけに多い....

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バーミンガム市交響楽団音楽監督交代 [クラシック]

今朝プリキュア新シリーズ第1回を見ながら、物理演算が精密になるとパラメータ設定の不自然さが強調されるなあ、なんて思ってたら、横で女房が「お」とか言ってニュースを見つけた。バーミンガム市交響楽団の音楽監督にMirga Gražinytė-Tylaが就任するという。ネルソンズの後釜ということになるが、それがなんと30歳前の女性でうちの娘と同い年である。

若手は起用する側からすればバクチの要素もあって当事者たちにとっては難しいこともあるだろうだろうけど、僕みたいな単なるファンにとって若い人の抜擢は楽しみである(老大家の名演奏なんて退屈なだけ)。例えば、もちろん録音でしか知らないけど、そのバーミンガムでのラトルやシモン・ボリバルのドゥダメルは面白かった(今どうかは別にして)。

ところで、この人、苗字はどう発音するんだろう。またしばらくはいろんなカタカナで書かれたのが氾濫するんだろうな。それと、例えばここにあるようなショートのおねえさんは僕好みである。

オスモヴァンスカ、ミネソタ管 [クラシック]

今日のお昼間、たまたま女房がインターネットラジオで鳴らしてたヴァンスカとミネソタ管弦楽団のベートーヴェン交響曲7番のライブの実況を聴いた。遠いアメリカミエアポリスでの演奏がほぼリアルタイム(せいぜい1秒程度の遅れ)で聴けるなんて素直に驚いてしまう。インターネットってすごいな。ただし、もちろんリアルタイム音声圧縮なので音はそれほど良くはない。でも僕は「ハイレゾでなければ聴く気がしない」なんていう、思考力が圧縮されたようなやつみたいなことは絶対言わないので、音楽がわかるレベルであれば全く問題ない。

僕の昔のイメージではミネソタ管なんてド田舎の下手くそオーケストラだと思ってた。ところがとんでもない、その演奏がまったく素晴らしかった....

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Eテレ「クラシック音楽館 リントゥ・フィンランド放送交響楽団」 [クラシック]

女房が夜、慌てて風呂から出てきた。この番組を見るというか聴くためだった。フィンランド放送交響楽団がサントリーホールでハンヌ・リントゥというごついおっさんの指揮のシベリウス尽くしのコンサートの実況録画。フィンランディアをやってそのあと諏訪内晶子のソロでコンチェルトで、そのあと交響曲の第2番という、シベリウスの有名曲の上から三つとりました、というような構成。

女房はつい一昨日、ヴァンスカ読売日響でこのコンチェルトを聴いてそれが良くなかったという。僕はなんで一緒じゃなかったんだろう。まあ、それはいい。よくないけど。

諏訪内晶子は、十分やり慣れた曲なんだろう、特に1楽章ではニュアンスたっぷりのソロを弾く。そのあともひとつひとつの音に何かしらのニュアンスがついていて濃密というのではないけど、聴いていてそこそこお腹いっぱいになる。そのニュアンスがなんだか僕にはすごく日本的に聴こえた。まるで演歌を聴いているみたいな気がした。面白い。

シベリウスと日本人との相性の良さはときどき言われるけど、なんかシベリウスにはそういうコブシの乗せやすさとか、歌わせやすさみたいなものがあるような気がした。ヨーロッパ人たちはどういう風に感じるんだろう。

エリザベートセミファイナルを聴く [クラシック]

ここんとこ女房と晩飯を食いながらエリザベートコンクールのセミファイナルの録音を毎晩のように聴いている。今年はバイオリン部門でコンクールでの音がアーカイブされていつでも聞けるようになっていて、ベルギーのテレビのサイトでは動画として上がっているらしい(でもデータレートが細くてブツ切れになる)。昔から考えればすごいことだ。

やっぱり若い演奏家の音楽を聴くのは面白い。コンパルソリになってるイザイのソナタは超名曲だと僕は思うんだけど、率直なまじめさの中にパロディや皮肉や遊びみたいな要素がぷつぷつと香辛料のように含まれていて、二十歳代前半の若者には表現しきれないのか、そういう部分を置き去りにしてただの辛気臭い曲にしてしまうのがかなりの人数いるのも面白い。しかし僕の世代の言葉で言えばみんな「バカテク」ばかりで、それだけでびっくりしてしまう。

課題曲のひとつで「カルメン」をネタにした僕のよく知らない曲は、演奏技巧的にはすごいのかもしれないけど、イザイとはまったく正反対の、音楽的には「カス」と言っていいくらいまったくしょーもない表面的な曲で、僕にはこれを選曲した時点でその出場者はアウトに思えてしまう。いや、イザイの内省的な独白のような曲の後に聴くからよけいそう感じてしまうのかもしれない。また、コンパルソリのもうひとつの現代曲は、バイオリニストそれぞれの解釈の幅がすごく大きくて笑ってしまうぐらい面白い。

それと、ピアノ伴奏のレベルに大きな差があることにも笑ってしまう。聴いててへたっぴでやっつけ感満載の伴奏者がいるかと思うと、別の伴奏者はちゃんと音楽をまじめに作ろうとして、主役のバイオリニストがかすむようなのもいる。もちろんコンクールなので審査員はそういうところに評価の差を出さないようにするだろうけど、演奏には大きなの差があるように聴こえてしまう。

まだセミファイナルに残った全員を聴いてはいないんだけど、さっき聴いた24才のトーマス某君は大家然とした演奏で頭ひとつ飛び抜けていたように思える。若者らしい初々しさがなくて可愛げないとも言えるけど。

来週にはファイナルのコンチェルトが始まるらしい。しかし、1ヶ月もこんなことを続ける必要があるので、コンクール出場者も大変だけど、審査員も大変だわ。つくづく体力勝負だな、と思う。

ラ・フォル・ジュルネ2015 [クラシック]

またラ・フォル・ジュルネの時期が来たので、女房と娘と3人で行ってきた。
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ちなみに息子はクラシックには興味ないし、そもそも今日は出社日だった....

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3/31メルニコフ「ドビュッシー前奏曲1、2巻」 [クラシック]

ずっと前のショスタコーヴィチでお気に入りになったメルニコフ。今回もショスタコーヴィチのプログラムもあるようだけど、今日はドビュッシーの前奏曲の1巻2巻を通しでやるというので聴きに行った。
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場所がわからなくて迷ってしまってちょっと焦った。ショスタコーヴィチほどのインパクトはなかったけど、そこそこ面白かった。

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